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2020年01月20日21:09

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核心付近にある「別の問題」。

この件については、正月明けにみっちりと書いたので、
改めてもう書くまでもない・・と思ったのだけど、一つ二つ書き漏れたので補足的に。

この試みの核である「音楽」という点では、精密な“組み合わせ”が
一つの作品となる上で絶対的に欠落し、尚も永久に埋め合わせられないだろう部分が
『歌い手の歌心』である・・ということについて、前回主に言及したわけだけど。

その観点とは別に、このプロジェクトで“やっちゃった感”のある部分が。
ライターの武田砂鉄氏も同じことを言ってたけど、最後の場面だったか、
生前の彼女の直筆を用い、

「また会える日を楽しみに、私も頑張ります・・」

とのメッセージが付加されていたわけだけど。しかしこれ、
87年彼女が入院中に、こちらも故人である「千代の富士」に宛てた手紙の一節という。

これ、何気にどうなのよ・・というか、AIの再現以上に実は相当な問題を孕んでる・・
と思うんだな。なぜならば・・

本来は個人である千代の富士に宛てた、おそらくはお見舞いに対するお礼文言のはず。
ここで、まずは“プライバシーの領域”のものを、書いた彼女個人の意思とは
全く異なる主旨で「引用され」、尚も出された千代の富士個人の許諾が取れない状態で、
遺族側が認可した(かどうか定かじゃない)状態である・・という、実に心許なくも、
ある種の「捏造・改ざん」の様相を呈していることにあると。

これが仮に、かつて彼女がコンサートやその他の芸能活動において、
ファンに向けた別の場面で用いられた文言だったならば、今回もまた延長線上の
“活動”と解し、「流用」したとしても整合性は一応あるし、まぁまぁ許容範囲内・・
とは言える。がしかし、この「流用・転用」は明らかに改ざんの類。

AIは単に「再現してみた」で収まるとしても、この手紙の転用は
明らかに許容範囲を超越していると思うんだな。
この文言が、元来の主旨にて直接的に響くとすれば、第一義的には故・千代の富士で、
次に関係ご遺族や周辺・・となるはずだが、それを半ば無理矢理「剥ぎ取って」、
全く別の第三者多くに「感動をもたらそうとする目的で」、パーツとして
流用するというのは、あまりに「やり過ぎ」。“倫理上の問題”。

もう一つ。今回の楽曲自体について。
正直言って「良い曲とは全く思えなかった」のね。
実はこの感覚、秋元康による最初の「川の流れのように」がリリースされた当時も
同じような感じだったんであり。

言うまでもなく、「川の流れ・・」はそれまでの美空ひばり路線とは異なる、
なんというか「最初からエッジを削ぎ落とした“万人向けのイージーソング”」・・
という軽い印象しかなく、こんなふわふわした楽曲は彼女に相応しくない・・
と思ったのね。

ところが、日に日にそうではなくなっていった・・と。
理由の一番はやはり「生前最後のリリース曲」という因果が大きいのだけど、
それとは別にしてある種“こんなスカスカな楽曲”に、彼女自身による持ち前の
「魂〜歌心」を注入し、どんどん膨らませていった所が肝だと思っている。

つまり「5点の楽曲を、歌心を注入し熟成させることにより10点の楽曲にした」という。
よって、秋元康の才能云々なんて言われてるけど、実はそうじゃない。
「美空ひばりの才能によって、駄曲が名曲となった」のが本当の所だと。

それを前提にして。今回も秋元康により、またしても「川の流れ・・」基調の楽曲に。
がしかし、今回は「生きた美空ひばりが不在」の状態で、“加工の歌声”のみで
なぞっただけの状態。言わずもがな、ここに彼女による天才的な「歌心・マインド」は
一滴も注入されていないんである。

ゆえに、「全く響かない駄曲」という評価に留まるわけで。
もしも彼女が存命で、生前と同じ程度の健康と歌唱レベルだったなら、
今回の楽曲もまた「名曲に化ける可能性」は、一定程度あった・・と言える。
が、残念ながらどう転んでも果たされることはないわけで。

AIによるビジュアル面を中心に、「気持ち悪い」という感想が多いけども。
そんな“部分的な要素”より、もっと本質的な所で“気持ちが悪い”んだなぁ。。

AI美空ひばりに賛否分かれる「故人とAIは別物」観は必要か
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=5942511
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