なんだかねぇ・・「妬み」が先鋭化した反応に溢れてて、
こんなんじゃあ益々世間大衆は「権力の人質」になる一方と思うわけで・・。
早い話。
こうした氏による要求や金銭感覚〜固執の様相が、現市場主義・資本主義経済の構造上、
合法的で且つ“あり得る”ものであるならば、それに対してどうのこうのと、
「部外者が」難癖つける道理はないはずでね。
これについて直接的に、第一義的に物申せるとすれば、株主等の投資家なり、
あるいは従業員関係者だったり・・と言った所に限られて然るべしで。
個人的に、ごくごく街場場末の一杯飲み屋風情だけで言うなれば、
「金の亡者ってのは、ワシら一般の道義的感覚では理解出来んねぇ〜・・」
ってな軽口は幾らでも口をついて出て来るだろうけどね。
しかしだ。広く庶民大衆が、ゴーンの所業にギャーギャー言うんなら、
そもそもが現在の「新自由主義」を中心とした経済・社会構造について・・
いわゆる「勝ち組負け組」「損得勘定の肥大」要因という根本について、
いい加減立ち止まって考え直すべきじゃないのかね!?っていう。
片やそれらについて全く触れず、ここまで野放しにしておいて、今になって
幾ら「道義的にけしからんだ何だ」って言った所で「空虚」もいいとこ。
かつてホリエモンが、あるいは村上世彰が吊し上げられた時、
庶民の多くがなんて言ったんだ!?どれほど憤慨したんだ!?
「金儲けして何が悪いんですか?」といった村上世彰に、猛然と噛み付いた庶民は
その後今日まで何やってたんだ?
道義的・倫理的な問題として、市場主義・新自由主義がもたらすデメリットについて、
ちゃんと総括して改めて来なかったから・・ってより、まんま許容して来たんだろうが。
小泉・竹中由来の“構造・規制改革”とやらをその後も是認し、
延長線上で尚も拡大化してる現政治・政権をまるっと容認し、
あるいは「消極的支持」なんぞという、手前勝手で無責任な理由に
依存した結果が、ゴーンという存在を許し、挙げ句がこの状態なんだろうさ。
今になって何を「けしからん!」だっての。
別段ゴーンを礼賛するつもりなんて毛頭ないが、彼個人の立場になってみれば、
「自分なりの手腕・手法」で、合法的である限り責められるいわれはない・・
っていう考え方は、とりわけ日本独特の“慣習・観念”にはない外国人の感性ならば、
至って当然だろうと思うがね。
大元はその経済構造や仕組みであり、次に三顧の礼が如くゴーンにすがりついた
当時の日産経営陣・経営体質そのものにあったんだろうがさ。
「招かざるを得なかった」背景が何処かしかにあったとしても、その「プロセス」、
または戦略そのものに欠陥があったなら、責を負うべきはゴーンじゃなく「日産本体」、
ひいては「日本経済全体の戦略・概念、政治」だろうさ。
翻ればそれは、そうした政治体制なりをきちんと“制御して来なかった”
我々有権者、国民にも責任があるわけですな。
「ゴーンを歓迎し、豪腕を奮わしたのは他でもない“国民”でもあった」ってことだ。
今更ことさら、無責任にも程があるって話。。
■逃亡中のゴーン被告、ルノーを提訴 退職金3千万円求め
(朝日新聞デジタル - 01月14日 02:47)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5934497
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