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2020年01月11日15:23

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【多事So Long】〜美空ひばりAIで判明した、“歌心”の限界点〜

年が明けて10日を過ぎ、今頃このネタに食いつくのも少々気が引けますけど・・

年末年始、各種メディアから流れる情報が、普段と異なる時間軸だったり、
受け手側の生活〜時間軸パターンも大きく変動する時期なだけに、
どうしても後追い的になってしまうわけだけど、どうしてもこのネタは
10日を過ぎても引っ掛かり続けてるので、この際(笑)。

美空ひばりのAI再現は、既に紅白の前にNHKが特集を組み先行してたので、
ネタそのものとしては、それほど大きな衝撃を与えるほどではなかったものの、
視聴率はどうあれ「国民的番組」にて改めて多くに披露されたことで、
一層反応は世間裾野の広くまで行き渡ったのではないか・・という印象。

この反応が実際、巷ではどれほどのものだったのか。
メディアによる年末年始の態勢が挟まったからなのか、大きく取り上げたり
反応を取り纏めるようなプログラムはあまり見当たらないのだけど、
その中で、ライターの“武田砂鉄氏”が、本記事を一部引用しながら書かれていて、
それをラジオでも語られており。

その内容が実に的確な所を突いていて、まさに抱いてた引っ掛かりの核心だったなと。
因みに放送内容がこちら↓


AIの評価としては、美空ひばりが絶世の歌手だったことをもってして、
「音声(歌声)の再現度は如何ほどか?」に基本線があり、
CG映像の再現度は、どちらかと言えば“おまけ”と言ってもいい位置づけ。

とはいえ、映像放送として流れる分、「視覚要素」を排するわけにはいかず、
どうしたって「映像と音声のセット」=総合評価・・
即ち『姿と声がどこまで忠実に再現されてるかどうか』となってしまうわけで。

実際、音声については「相当に高い再現度」だった・・
と言っても多くの異論はないだろうと思う一方、映像の方がやはり
「恐ろしい感じ〜気持ち悪さ」となって、歌声と姿のギャップが
完成品の品質を相殺させる格好となり、それが賛否の分かれる一つの要素にもあった・・
という気がするのね。

音楽産業〜市場という観点で言うならば・・。
“複製(コピー)”の概念では、冷静に考えれば既にずっと前から
「サンプリング」を軸とした幾つかの手法により、他者の演奏や一部の歌声を
流用する事例はあったので、実はそんなに目新しい・・とまでは言えないと思う所。
しかしこの度の複製は、これまでの“完コピ”とは違って、素材を使って
ほぼ一から構成していくという手法なので、やはり斬新で全く新しいと。

最も重要な点は、ここに「歌い手の情念」は全く吹き込まれていない所が、
実は一番の大きな欠陥である・・ということなのね。

ざっくり言えば「存命中の本人なら、多分このように歌ったんじゃなかろうか」
という所で止まっていて、それは即ち“限界点または壁”。
歌声はほぼ完璧なはずなのに、どこか実物に近づいていないかのような印象・・
という矛盾感。ズバリAIでは「歌手の歌心まで再現不可能」ということが、
白日の下に晒されたと思うんだな。

これ、別な角度から言えば「歌心を持っていない歌い手」だったなら、
その矛盾や違和感は相応に小さくなり、聞き手の感動をそれなりに
揺り起こせるかもしれない。なぜなら、誤解を恐れずに言えば
「本人が蘇った気になれればそれでよし、大成功」で終いだから。

しかし、基の歌い手による才能が長けていればいるほど、AI複製は「仇となる」。
歌唱技術はあくまで技術でしかなく、生前の輝き・魅力は「歌手の心」が本髄だからだ。
美空ひばりは、まさに「歌心の塊」が真髄であって、どこまでもヒューマンな歌心を、
更に巧みな表現力〜歌唱力で纏め上げていたから「天才」と言われた所以であって。
この中から、肝心の歌心が抜けてたら何にもならない、ってことなのね。

他方で、過去にこのAIと少しだけ似た手法を取った事例がある。
それは日本ではなく、本場「アメリカのエンタメ市場」で。
知る人も多い『ナット・キング・コールと、愛娘のナタリー・コールとのデュエット』。


これが出された時、実に多くの音楽ファンへ驚愕と感動をもたらし、
結果的にグラミー賞に輝くまでとなったわけで。
この内容が評価されたのは、偉大なる亡き父と、存命の愛娘が
擬似的に共演するという「夢」を具現化するにあたり、
ナット・キングの映像と歌声をそのまま流用し、血を引く娘が、
今を生きる生の姿と歌声を合わせて昇華させる・・
即ち「亡き偉大なナット・キングを、生(せい)のDNAで補完」、
その上で巧みにミックスさせたという、「プロセスと結果」の妙だったと思うのね。

今はなきシンガーと、血を引く存命シンガーが夢の共演を果たしたら・・
という素朴な夢に対して、輝かしき父の姿と歌声をいじらずに、まるで今ここに立って
一緒に歌っているかのように「思わせる」という、“イマジネーション”を、
映像というリアル素材を用いても尚「五感の領域で膨らませる」ことに成功した・・
これがこの曲・プロジェクトの大きな鍵と思うんだな。

しかし美空ひばりのAIプロジェクトは「どこまで再現出来るか」の一点で、
およそが「テクニカル依存」。粗雑に言えば「どこまで驚かせられるか」に、
一心不乱の結果、技術だけの代物となり、「歌心(アナログ要素)を二の次にした」。

「CGという完全な偽物」+「極めて本物っぽい擬似音声」・・。
この妙な組み合わせ、不整合は、幾ら本物っぽさを醸し出そうとしても
歪にしかならない・・というのが、結果論ではないかと。

その点で、仮にこのプロジェクトを出来るだけ成功裏に収めるには、
少なくとも「CG映像抜き」に留めるべきではなかったか。
それでもやはり「歌心」なきままの未完成品にはなるものの、
“オマケ映像”で澱んでしまうことだけは避けられたはずだから。

このプロジェクトを、またはこれをきっかけとして、新たな音楽商法に
変換していく腹づもりが、誰か彼かにあるのか否か・・
その辺までは不明だけど、少なくとも予見し得るここ10年程度のスパンで考えても、
この手法が音楽産業の一角を占めるとは中々思えないし、
逆に占めることが出来たとすれば、その瞬間に「音楽産業は死滅する」も同義だろう。

ところで、このNHK企画。本来なら「紅白で初披露し」、その後で
制作の裏側についてドキュメントにすべきで、順番が逆だったと思うのですよ。
その方がインパクトそのものは絶大なる効果を生み出し、
予告と共に“視聴率向上”の大きな鍵になり得たはずだから。

その意味で、この企画が失敗だったか否かはともかく、
NHKによるメディア戦略としても、音楽産業やクリエイト分野においても、
プラスの効果というのは殆どなく、寧ろ禍根を残すきっかけ作りだったのではないか・・
という気がしてならないんですねぇ、どうにも。。

■“紅白出場”AI美空ひばり「気持ち悪さ」の正体 法規制は必要か
(AERA dot. - 12月31日 18:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5921908
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