なんですかなぁ、毎度毎度「女系と女性は違う!」「万世一系の・・」なる
定型句を繰り返せば鉄板!みたいなロートル思考がまだ切なく息してるようですが。。
あえて言えば。。「そんなもん知ったこっちゃない」わけですな。現憲法下では。。
お馴染みのロートル学者「八木秀次」は、天皇の歴史の“正当性”なる文言を
毎度の如く盾にしとるわけですが。
その正当性とやらを「純粋に」活かすとするなら、
少なくとも「天皇の規定を憲法から外し」、特別指定文化財のような枠組みで保護し、
その上で皇族方の中で自分達の意思で自由に、あるいは支える属性等によって
幾らでも都合の良いように踏襲していけばいいわけで。
少なくとも現憲法の建て付けから言って、男系に固執しなければいけない・・
という論理性は、「主権者国民」の態勢にあって、尚も各種の平等権利要項で構成される
憲法の枠組みの中にねじ込みつつ、国民の理解と支持を受け続けられる、
受け続けるか否かは「全くの保証がない」わけですな。
というよりも、この先多様性はどんどんと変化しながら進んでいく上では、
寧ろ益々「歪な存在」として国民とは距離を遠くすること必至。
その流れで単純に言えば、この先「天皇不要論」はかえって増す可能性の方が高い。
「それじゃ駄目なのだ!」と幾ら口角泡飛ばした所で、主権在民である以上、
欧米型民主主義を更に進めていく以上、受容も合致もしていかなくなるでしょうなぁ。
現実に、上皇夫妻による30年間の行動や姿勢によって、
それ以前にあった「天皇との疎遠性や難解性」を、相当程度縮め緩和して来たことは
紛れもない事実で、だからこそここまで親しみを持って広く許容されているわけで。
この状態にあって、幾ら歴史性や伝統性なるものをどっかり前に置き、
鼻息荒くフガフガと万世一系、男系が〜と言った所で「近現代の今」、
多様性の進む現代と法社会じゃ受け入れられんのですわ。
それがまさしくこの数字に表れてるわけですよ、と。
先の「生前退位」だってね、あれを「今回限り」なんて特例にしちゃったのは、
確実に今後禍根を残し、何時の時代かに再び同じような境遇が発生した時、
次の世代はほぼ間違いなく「あの時代、特例なんてことしやがって・・」
という論調が起きることうけあいでしょうよ。
「象徴として、国民に近い位置にあり続ける」=まさにリベラリズムなわけですな。
だから受け入れられたのですよ。ここまで広く。
ヒロヒトのように「あっそ・・」と、木で鼻をくくったような態度だったり、
お手振りも「よっしゃよっしゃ、くるしゅうない」ってな“縦振り”をしてれば、
途端に大衆は離れますわね。
だからこそ、この状況で「男系」なんぞの伝統もどきに固執する理由がないのね。
でね。大いなる勘違いが「伝統」なる概念ね。
ロートル保守らは「何が何でも前例踏襲」に一心不乱だが、
伝統とは本来、
「変わりゆく時代や社会情勢の変化に合わせていきながら、継承するもの」なんだな。
という大前提になぞるならば。至極簡単。
男女平等や人権規定らが主体に有る「日本国憲法」の中に、
“国民統合の象徴”としてインストールされている天皇は、
尚更「女系でも女性でも受容し」、多様化の、国際社会の一員としての象徴
(シンボライズされたもの)じゃなきゃ、整合性が取れていかないわけですな。
この部分が最も肝要なのだが、民族保守だのエセ保守だのの愚連隊は、
知的水準の低さっていうか、世間知らずというか・・
クレ556吹きかけても回らない頭じゃあねぇ。。
■男系男子「こだわらぬ」8割弱=自民支持層でも7割―皇位継承に関する時事世論調査
(時事通信社 - 11月15日 18:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5865719
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