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2019年10月20日17:40

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食い止めるのは結局「同じ釜の飯を食う人間」。

この論旨にある内容は以前からも言及されて来たことだし、
既に書いてる人もいるだろうけども・・。

「田んぼ」や「畑」ってのは、まさしく“仕事環境”であって、換言すれば
企業の経営者や責任者が、自社倉庫や工場の様子を気にして出掛け、
僅かの余地があれば出来る範囲で、被害を「軽減」することが出来るのではないか・・
との心理によるもの。

水路の調整その他、僅かでもやれるのではないか・・となるのは、
圃場が「自分の食いっぷち」であることに他ならず、言ってしまえば
「圃場が死ぬ=自分も死ぬ」と同義に捉えてるからであって、実際そうなんだから。

これ、農家なら殆どは「代々に渡って継承されて来た土地」であって、
その上に今自分が立てて、飯が食えている・・との認識が強いからなのね。

確かに、筆者が論じてるように「命あって全てが成されるもの」という基点は
100%正しいし、まさに正論中の正論。

がしかし。究極的な生命の概念論まで深堀りするならば、
「農は、生命を繋ぐための絶対的な要素」であるからして、その基盤である土地に対し、
命を張ってどうにか守りたい(守ろうとする)という意識と行為は、
実は物凄く自然なことであり、人間もまた「自然の内の一つだ」とする
概念的な所から自然発生しているもの・・。

という視点が筆者から抜け落ちているのは、やはり専門が「防災」に特化してるから。
なので、防災や人災を防ぐという観点では200%正しくても、それを如何に防災の観点で
整合性を付けながら、生命概念性と結びつけ落とし込んでいくか・・
書かれているような単なる「カメラ」などのソフト・ハード論で
補完出来るものじゃないのよね。

監視カメラでいうなら、別な観点としては、もし映像を観て「まだ何とか出来そうだ」
となれば、出掛けていく可能性さえ、寧ろ増してしまうのね。
そしてその間の急激な変化に巻き込まれてしまう・・ということにもなり得るので。

特に農家は・・とりわけ、秋の時期の天候災害については、およそ春からの
長い時間と共に、手塩にかけて育てて来て、収穫目前にある場合が多い。
単に“勿体ない”なんて俗っぽい感覚じゃなくて、農作物も圃場も
「成長した我が子」なのよ。我が子を簡単に見捨てる親がいますか?っていう、
究極の問いに晒されてる、目の当たりにしている・・ってことなんだな。

筆者は、主に“テクニカルな”要素で防災を進めんとする論旨にあるけれど。
それはそれで良いとしても、重要なことは、農家に限ると大半が「高齢の域」にあり、
今から技術的な補完は、体力的にも物理的にも、予算的にももう「遅い」のです。

無論、若手生産者や先がまだ少しはある年齢域の生産者は例外だけど、
圧倒的に高齢者が占めるこの産業に、幾ら技術革新でもって早急に手立てしようにも、
残念ながら直近の効果には及ばないでしょう。

結局ね・・。
食い止めるのは、最後「人間」でしか出来得ないと思うのですよ。
つまり「奥方や家族による説得制止」、同じ部落やJA組織等による、連帯や情報共有。
「アンタが死んだら何にもならんのやで!」という説得力は、映像でもなければ
気象庁でも、役所でもないんだな。「同じ釜の飯を食う」人間じゃないと駄目なのよ。

■後を絶たない台風のときに「川を見に行く人」にはどんな心理が働いているのか?
(AERA dot. - 10月20日 11:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5832897
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