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2019年09月18日21:17

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“新自由主義”の成れの果て。

いつからだったのか、オークションを始めとするシステムによって
この手のものが派生していったのは・・

ことオークションについては、例の「チケット高額問題」の件でこれまでも随分と
言及して来たけれど。チケット問題は、中心にある「皆が公平に購入しづらくなる」
デメリットが深刻化を深めて来たことに、およそが集中して来たわけだけど、
その根源にあるのは『社会通念や道義上、あるいは倫理上の問題』なのね。

限りある「チケット入場券の性質」も重なって、本来そこにあるべきの公平性が、
ひいては公共の中での道義や倫理の範疇にまで及んだ・・
だからこそ「社会問題」にまで発展した、と。

それに対し、ほぼトップバッターの格好で対角での論陣を張ったのが、
かくいう「高橋洋一」だったわけだ。
いわゆる“市場原理の理屈”で、高額化を伴うオークションの実態は理に適ってるとした。

が、氏が唱える論旨の冒頭で「倫理や道義の問題を除けば、転売はありだ」と
ぬけぬけと言い放った。この問題は上記のように、一にも二にも「倫理や道義」が
問題性を伴っているのにもかかわらず、最初にそれを“除けば”という注釈をつけた。
つまり言うまでもなく、氏はこの問題に「倫理・道義的問題があること」を
端から認知していた・・ということだ。

これほど間抜けな主張も滅多にお目にかかれないが、新自由主義にある概念性を肯定する
高橋らは、何よりこの「倫理や道義」というのが嫌いで、これがあることによって
自由経済の発展を阻む、「新時代にとっての悪性腫瘍」な如きの発想にあるわけで。
これがひいては「規制緩和」の所に結びついている、と。

さて、その上で本件・・。

まさしくこれ、『倫理と道義』ど真ん中なわけですな。
思いっきり外れとる・・なんてのは言うまでもないことで。

しかし、それを踏み越えて行うのは、これまた言わずもがな「儲かる」、
「儲けようとする」、「買う者がいる(かもしれない)」との理屈が、
倫理や道義を超越するからに他ならず。
そして、それを果たすべくなシステムが用意されているから・・と。

「村上ファンド」の村上世彰が「お金儲けは悪いことですか?」と言い放ち、
それに対して一斉非難されたのは他でもない、「倫理や道義」を外れていたと
みなされたからだ。金儲けすること「自体」が悪いというのではなく、
方法論やそこにある通念上の問題を批判されたわけだ。
同じくホリエモンが批判されたのも、やはり「倫理と道義」。
これら、およそが「新自由主義」による派生や増長の結果。

あれから何年が過ぎようとしてるのか・・
気がつけば、その“イズム”たるや、こうして末端隅々にまで波及。
挙げ句がこの「たてがみ」に、もろに表出してるじゃないか。

簡単に言えば、村上もホリエモンも高橋洋一も、チケット転売者もたてがみ出品者も、
およそが「公共性や社会性よりも、自己の利益しか追求しない」ことによって、
こうして社会的道義や倫理が欠如した態様を、ものの見事に映し出している、と。

未成年女子が履いた下着を平気で売るのも買うのも、市場原理に則っている・・と、
声高に言えるのかどうか、だ。

“何処までを倫理や道義に反しないとし、何処からは抵触するか・・”は結局の所、
一定の社会規範や倫理性をちゃんと所持し、都度照合する作業を経なければならず。
そのための物差し・基準にあたっては、不変的部分と微調整可能な部分との見極めが
出来る素養を必要とし、尚も社会が要求するものと齟齬が生じないか否かについてを
絶えず検討することを要する。

「売れるか売れないか」で決め打つのではなく、「売って良いものか否か」・・。

これは詰まる所、「日々の共生社会でしか育めない素養」であって、
決して「市場」にはないんだな。。

■ウイニングチケットのたてがみ切られる メルカリに出品
(朝日新聞デジタル - 09月18日 18:40)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5793280
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