mixiユーザー(id:13658569)

2019年08月29日15:11

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「表現の自由」にある“公共の福祉”を、多くが誤認識している事実。

本件の逮捕者と行為については一先ず横奥くとして・・。
トリエンナーレ騒動で盛んに言われて来た「表現の自由」。

憲法条文にある概念は、表現=今回の芸術や言論活動などがどうしても
焦点化しがちだし、今回もまさにど真ん中だけれども、しかしてこの概念は、
我々一般庶民の、一個人個人が生きる上で保証される「基本的人権」を成すための
重要なファクターとして、相当幅広い権利に跨る要項である・・
という認識があまりに低いのね。なので、今一度教科書に立ち返って再考したい。

嫌というほど挙げられる憲法21条。

【集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。】

今更ながら、これは第一義として「国家権力側」に対して言い放つ絶対命令だ。

一方。必ずや持ち出される注釈に、同じく憲法12条や13条らにある文言・概念により、
「表現の自由は野放図・無制限ではない」という議論が展開されるけども、
その最たる文言が「公共の福祉」。

【第12条〜自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止〜】

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、
これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、
<常に公共の福祉のために>これを利用する責任を負ふ。

【第13条〜個人の尊重、幸福追求権・公共の福祉〜】

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については、<公共の福祉に反しない限り>、立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。

この他に憲法では「第22条〜居住・移転・職業選択の自由、外国移住及び
国籍離脱の自由」の条文と、「第29条〜財産権」の条文の合計4回で
「公共の福祉」の文言が出て来るが、トリエンナーレを巡って22・29条は
論旨とほぼ無関係なので、12・13条に特化して観るべきだろう。

で、この「公共の福祉」。実にぼんやりとしてわかりづらい。
わかりづらいがゆえ、文字をまるっと表面的に解釈する傾向にある。

“公共”とは、一般に「パブリック」・・即ち「公共施設」「公共社会」のように、
広い対象を指すという解釈をされることが大変多い。
しかし、実は法学上正解ではないのね。

元々、パブリックの英語を翻訳すると「人民」、即ち「個人個人」。
つまりベースはあくまで「個人」なのね。その個人の集合体が「社会」なんだけど、
一方で憲法は、基本的に殆どが「基本的人権〜個人の尊厳」を国家権力は守れ、
との命令主旨が主体で、およそが一個人の各種権利を擁護する最高法規。
よって、「社会(公共性)」が「一個人を優越してはならない」建て付けで、
「社会のために、一個人の権利を過度に抑えつけられる・無視されることは駄目よ」と。

パブリック=一個人個人なので、あくまでも公共とは「個人対個人」で
鑑みねばならないものなんであり。つまりは、AとBの二人間で、
どちらかの権利を一方的に優越し、片方の権利を侵害したり損ねることは駄目よ・・
それが法文上における「公共の福祉」の概念。

したがって公共の福祉とは、両者の権利をバランス良くさせるための
「調整機能」であると。間違っても「社会公共(公益性)」という集団性を示し、
「社会>個人」の図式に沿って精査するものではない・・ってこと。

翻って、では今回のトリエンナーレ騒動にある構図はどうなっているか。

展示物が、展示によって誰かの権利(尊厳)を侵害しているか否か・・。
ここでいう権利に「気に食わない、芸術とは言えない」という“主観”は、
個人の尊厳や権利侵害を及ぼしていることには全くならない。

加えて、気に入らないだろう人(見たくない人=見ない権利)に対し、
強制的に見せつける態様・・例えば、県の広報誌に作品描写を全面に掲げ、
集客のため愛知県民全戸に配布、すべからく一律的・多くの人に見せたわけじゃないし、
メディアを通じて広くCMを打って見せつけたものでもない。

よって、囲われた施設内の展示物が、施設外に居る一個人を不快にさせ、
その個人にある何らかの権利を著しく侵害し、尚もやがて個人の集合体=社会機能を
阻害するに遠く及ばないがゆえ、「社会的公益性」ですらも害していないことから、
憲法のどの条文にも何ら抵触するものでは全くない。

あるいは、たとえ催事を見学した個人が不快だとし、個人にある何らかの権利が
阻害された・・との主旨を正当化しようとしても、どの権利をどう阻害、
侵害されたかを具体化することは不可能。なので、批判・批評はあくまでも
「芸術評価として」行うべきもの。

いわんや「文化芸術振興基本法」に従って忠実に行政行為として開催した、
愛知県政を糾弾するなどおよそに渡り、「憲法主体の法治国家」を真っ向から否定、
またはその国民ではない、と高らかに宣言してるも同義。

そして記事本件にある「犯罪行為によって、力づくで開催を阻止すること」は、
刑法分類に思い切り抵触している・・なんて事は言うに及ばず、
憲法主旨と「公共の福祉」に照らしても、中止を促すなんてのは
自分個人にある絶対的権利を放棄しますよ・・との意味にもなってしまうわけだ。

早い話・・。
【全体主義がそんなにお望みなのかね?】 って次元なんだが。
その問いに、反対を叫ぶ者は自分の胸に手を当ててよ〜〜く考えてみるべきですな。。

■「不自由展」妨害の罪 脅迫ファクス送信の男起訴
(朝日新聞デジタル - 08月29日 12:50)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5767413
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月29日 15:37
    凄く納得の腑に落ちる日記有難う御座います(*^^*)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月29日 18:19
    > mixiユーザー 

    まあなんというか、一般の庶民が別にそこまで云々かんぬんという話ではなくって。行政のトップの人がそういう認識がない、その程度のレベルだというのが情けないという話ですよね。

    後個人的には、芸術やら人権やら、公共とはなんぞや?という話も無論大事なんですが、個人の主張、芸術ないしひとつの作品を通して「何を一番伝えたいのか、或いは訴えたいのか?」その本質に触れる事こそが重要であって、作品そのものの嗜好性ないし指向性がどうとかっていうよりも作者が何故このような行動と創作活動を取ったのか?

    そこが僕は大事だし一番僕にとっての関心事だったりするんですよ。それはどのような活動においてそれが本人の出発地点だったりしますから。

    まあそういう地道に人との触れ合いというか個に一個ずつ真面目に向き合うのがそもそもの民主制の本来の姿らしいですが、そんな事は確かに今の資本主義・新自由主義には合わないやり方なんでしょうけども(笑)

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