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2019年05月31日14:27

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「大衆文化」の概念がわからない権利管理者達によって、文化は死に絶える。

“底なし沼”状態にある、この権料議論。

誰も彼も、およそ基本に立ち返らずアクセルを踏み続ける様相を観て毎度思うのは、
日本でのJASRACに絡むものと合わせて、はっきり言って
「文化愛好者が誰一人いない」。

心底から文化を愛し、発展させようと願う者がいたならば、
こんなバカな議論などしないはずだが。

持論でもあるが、音楽や映像作品は・・
とりわけ音楽は基本的に「無償」であるべきもの。
何故なら、人類の歴史や進化の経緯上、音楽文化が庶民のあらゆる生活場面に
深く浸透し、身分人種、老若男女別け隔てなく誰でも享受出来る文化として発展をし、
普遍的な位置づけとして、時代を幾度も超越してなお君臨し続けてるからだ。

裾野末端にある庶民生活の、更に個人領域はまさしく「個の世界」であって、
他者や他の領域を特段に大きく侵害しない限り、金銭などの要件を出来るだけ排し、
「お手軽性」を中心にするべきもの。庶民文化とはそういうものだからだ。

とはいえ、作品が経済原理に基づき商品化されてる以上、
無節操に拘束されないものとすることは出来ず、何処かで“無償の限界”を施さないと、
音楽が産業として成立もしない。

その分け目が「二次利益」・・即ち「営利目的」や営利が発生するか否かだったはずだ。
つまりこの場合、複製されたものを売買したり、その目的が明白であること・・
それさえ抵触しない限り、音楽や文化は出来るだけ無償であらねばならない。
そうじゃないと、産業として考えても、重要な要素である
「プロモーション」が機能不全に陥り、産業が発展しない。

一般商品に置き換えるなら「サンプリング」。
購入意欲に向けるために、高めて拡大・利益化させるために、
触れて観て食べて確かめさせる。

音楽は、販売側がメディア媒体を通じてプロモーションを行い作品を知らしめ、
あるいは店頭やネット上で視聴が可能であったとしても、それだけで裾野まで十分な
浸透は果たせない。従来からある「庶民の間で広まっていく」ことが対にないと、
真のヒット作や多くに愛される作品にはならない性質にあるからだ。

その重要な「庶民のプロモーション媒介ツール」に権料を乗せてしまうのは、
単なる二重徴収なだけじゃなく、“庶民のプロモーション行動”を阻害することになる。
つまり、庶民に「躊躇い」をもたらし「聴取〜愛好意欲」を削ぐ。

これに似ているのが「カラオケの権料問題」から派生した空気。
歌が、誰にでも手軽に歌えない、演奏出来ない、皆で享受出来ない・・
こんなにがんじがらめな「庶民文化」があるか。こうなると、もはや庶民文化ではない。

実際問題、デジタルやツールの恩恵は、何よりも制作側が受けているはず。
楽器やレコーディングツールに始まって、録音や複製にあたっては、
利便性だけじゃなく最も重要な「音質」の向上へ格段に寄与し、
作品クオリティの昇華目的として、もはや不可欠な方式とハードの構成にある。

作者制作側だけが恩恵に与り、最も大事なお客様には商品原本に留まらず課金する・・
こんな傲慢な有りさまが、果たして庶民文化の提供者と言えるのか!?

出来るだけ多くの人に触れられるためハードルを下げる。
それが、音楽文化の発展にとって最も重要な鍵。個人やその周囲で楽しむ分には、
営利が伴わない分には、そこに1円たりとも乗せてはならないのだ。

そんなに庶民文化を特権階級の如きにしたいのか?
クラシック音楽を貴族階級の娯楽とした、かつての前時代風情に戻したいのか?

大衆文化の原理原則と、庶民文化の概念性を理解出来ない者は、
製作や販売、権利統括する場からいち早く消え去るべきだろう。。

■スマホやPC本体に「著作権料上乗せを」国際組織が決議
(朝日新聞デジタル - 05月31日 10:46)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5642870
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