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2019年05月09日17:44

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「安全概念」を、真の意味で考えて来なかった社会全体のツケ。

事故を受けて色んな反応があるけども・・。
どれもこれも一見して間違ってはいないと見えて、およそが「見当はずれ」、または
根本からずっと不適切なまま、交通インフラや安全概念を捉えて今日がある・・
ということをまざまざと思い知らされるのが正直な所。

交通死亡事故者数は、およそ過去10年程度の推移を見る限り右肩下がりで、
昨年数値で「3532人」という公式データが有る。
因みに統計上最も多かったのが1970年当時の「1万6765人」だから、
単純対比だけでいえば非常に良好に推移している・・との言い方も出来る。
とりわけ現代10年程度は下がる一方なので尚更だ。

下がった理由や考察については、実は各分野によって異なる。
自動車交通を所管する警察行政は、主だって「取締や安全啓蒙等が実を結んだ結果だ」
とし、同じ行政の役所や道路管轄部門は「各種道路設備が整備された結果」とし、
自動車産業は「自動車ハードが進化した結果」とするなど、各々の分野で
“実績の優位性”を主張しているという状態。

つまり、データそのものには各種の「バイアス」が掛かっている状態にある。
そうした背景を基にしながら、では各々で弾き出された各種データを下敷きにし、
「安全工学」という最も重要な観点になぞらえた時、理想的な交通分野として
推移しているのかを考えると、実は全くそうじゃなかったりするのね。

結論的に言うならば、「およそがドライバーの運転責任」に比重が掛かり過ぎている・・
ということであり。これを表面的にみる限り、“何処がいけないの?”と
思うかもしれないし、実際間違っているというのもまた粗雑かもしれない。

がしかし。運転者はあくまでも「人間」であり、人間は「ミスを犯す動物」であることが
絶対的な大前提であるも、実はこの前提がなおざりのままなのが、交通分野における
安全工学の実態だったりするのね。

安全学を考える上で、どんな分野にも共通する基本的で最も重要な法則・・
それが「フェールセーフの概念」。
事故(アクシデント)は、出来る限り“起こさないようにする”ことを基点には置くも、
反面では「起こり得る」ことを肯定した考え方に基づく。

ミスという行為を殆どに渡り受容しつつ、ミスによって最悪の領域に突入させない・・
即ち「不幸中の幸い」へ如何に留めるか。その策がフェールセーフ。
事故は、どんな場合でも構造的に「連鎖拡大」するもの。
したがって、連鎖する過程のどの段階で食い止めることが出来るかが、
フェールセーフの役割。要は、事故には至ったとしても、最悪の死亡事故にまでは
させない、重症を負わせるまでには至らせない・・など。
構造的に重大事故が5段階の連鎖だとした場合、如何に数字の低い段階で
食い止めることが出来るか・・の考え方。

とすると。現在の自動車インフラは、事故の分類や原因毎に異なりがあるので
一概には言えないが、所管する警察行政の発表する、とりわけクルマ側が原因とする
死亡事故の主因でみるとおおよそ「運転者の過失」が最も多い。
即ち信号の見落とし、歩行者の発見の遅れ、ハンドル操作ミス、脇見・・その手の類だ。
悪質とされる異常な速度違反、暴走運転等の占める割り合いは非常に低い。

その過失分類を観ると、殆どが「一瞬の些細な間」に集中する。
時間軸に置換すれば、殆どが「コンマ数秒」、「百分の何秒」という極めて短い間の
判断や操作、視認等をちょっとでも誤ると、あっという間に重大事故へ至ることが
伺える。つまり「猶予がなさ過ぎる」極めてタイトな環境に置かれてるのが
自動車インフラだ。要は、一瞬目を瞑ってくしゃみ一発しただけで、
下手すれば重大事故に至る可能性が大いに潜んでいる・・それが自動車交通の実情。

これを「過失」という日本語の意味合いとして忠実になぞらえた時、
果たして「妥当な解釈」と言えるのか!?だ。

交通インフラの頂点にあるとし、高度な技術と厳格な態勢にある「航空インフラ」。
何もかも自動車の世界とは異なりが大きいとはいえ、一瞬目を離したとしても、
脇見を続けたとしても、パイロット同士で雑談を続け集中力を欠いたとしても、
一瞬で最大の事故に至る構造にはなっていない。つまり「フェールセーフ」が
重層的に構築されてるからだ。

運輸事業だからとか、搭乗人員数が桁違いだとか、そんな理由だけで
単純に言える話では決してなく、ざっくり言えば
「安全概念を真剣に考え重視している」からであり。
それに対して自動車の世界は、昨今の不健全な使い方で言えば、およそが
「自己責任」のインフラ・・といっていいのが実態なんであり。

別角度からみれば、司る行政や国らが補完すべき安全に対する姿勢、考え方、
そして具体的な対策・・これらと運転者個人に拠る責務のバランスや比率、構造が
「極めて不適切」なのが真の姿なんであり。

記事にある、この運転者に拠る弁明の「前をよく見ていなかった」は、
文体にするとあたかもそれが結論で、よく見ていなかった=重過失 との解釈へと
即結び付けられるが、実はもっと複雑な構造にある。

「なぜよく見ていなかったのか」が本当は重要なんであり。
ボーッとしていたのか、考え事をしていたのか、別の何かに気を取られたからなのか、
それとも・・ここをえぐり検証することで、潜んでいた「危険因子」を炙り出し、
その因子を徹底検証〜対策を講じることで、「よく見られる」ことに繋がる可能性が
潜んでいるわけで。

あるいは、フェールセーフに基づく、既にあちこちで言われている「ガードレール」や
分離帯などの安全設備。“クラッシュ”が発生しても、最悪の事故を食い止める為の
手段、その一つがまさにこれ。ところが、当現場を含めて日本中には
実に多くのこうした「不備不足の状態」に晒されたままなのが実情。
それでいながら、現代社会の「主要インフラ」に君臨し続けているというわけだ。

死亡者数は減少しても、一年に3千人以上も亡くなっている。
主に病気や寿命で亡くなる数字からみればまだ少ないかもしれないが、
それでもこんなにまだ多い。交通事故は航空機事故らと比べて、一度に亡くなる人が
少ないために、一件の事故が及ぼす社会的な衝撃度が比較的低い。

衝撃が低いからこそ関心もその分低くなり、そして年に一度、累積の数字を
後で出されるから、数に対する衝撃の度合いもその分低くなる。
つまり「麻痺している」、「麻痺させられている」わけだ。
交通事故は、車がひしめき合って走っているから起きて当然、または仕方がない・・
と何処かで黙認、受容しちゃってるというわけだ。
受容した、黙認したこと拠るある種の後ろめたさを、運転者への批判や
環境不備への批判に置き換えている・・というのが実態だろう。

「安全とは何か」。このことへの思慮が、あまりにも社会全体に希薄過ぎるんだな。
だから原発事故は起こり、起こっても喉元過ぎれば・・となる。
ズバリ「安全概念を真剣に考えない、捉えない」からだ。
経済性や利便性を優先し過ぎるからだ。安全性とのバランスが不適切なまま
スタートを切り、途中で止まることも引き返すこともしないからだ。

一方で事故が起これば「犯人探しをして、血祭りにあげて当人がうなだれれば」
そこで溜飲を下げて全てが終わり、リセットし次の日をまた迎えていくという繰り返し。
だから事故は、不必要なな犠牲は絶えないんであり。

幼き命が失われる衝撃も悲しみも、こうして表出することは必然的だろう。
その一方で、年間数千人も、数千回も「悲しみは日々起こっている」。
幼かろうが、老いていようが命の尊さも悲しみも同じなんであり。
たまたま今回、事故の有り様や犠牲者の分類が衝撃的だっただけで。

もっと言うなら。戦後統計開始以来、交通事故者数の総計は、目も眩むような数であり。
戦争で犠牲になる人数とさほど変わらない、または凌駕すると言ってもいい。
長年、日本のあちこちで地域紛争が繰り返され、気がつけば
おびただしい犠牲者数に至った・・と言い換えてもさして無理筋でもない。
かつて「交通戦争」なる比喩が存在していた時代があるのは、まさにこの意味合いも
含まれてのことでもある。にもかかわらず、社会全体としては
「無頓着なまま」で来たんである。

真剣に、本当に安全を考えるなら、当該ドライバーだけの資質に集中、
猛批判の大合唱をしただけでは何一つ解決しない、何一つ「進化しない」で、
明日もまた・・いや、今この瞬間も悲惨な事故の危険性を孕んだまま経過し続ける。

既に現代社会はあらゆる複雑な構造下に置かれ、見える見えない各種のストレスや
影響の基で生きている・・という根本を忘れがちなのが根底にある。
言わば「人間の許容度や限界度をとっくに超えている環境」に置かれている。
個人の資質や責任の範疇なんて、遥か以前に超えた環境なのが実情なんである。

その事実を直視し、認知する所から始まらないといけない問題であり、
「気をつければいいだけ」「未熟者はクルマを運転するな」なんぞとの
アバウトで不見識な物言いをしても、何ら解決しないどころか見当違いでしかない・・
そのことをどれだけ自覚出来るかに掛かっている。

「安全運転を心がけよ」という精神論で、自動車社会はもうとっくに成立しない。。

■容疑者「前をよく見ていなかった」 大津の園児死亡事故
(朝日新聞デジタル - 05月08日 20:17)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5611186
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