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2019年05月07日17:22

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「自動化」にある設計概念と、「運転姿勢」の関連性。

高齢者事故の全般を前にして、「高齢者だから」として一括りにする前に、
「交通事故」として一度まっさらに、原点からじっくり見直してみるべき
事柄と思うわけで・・。

その上で件の「AT」は、元来“自動化(または簡素化)”することにより、
複雑な運転操作によって掛かる人間への負担を軽減し、総合的な安全向上を、
あるいは「快適な自動車運転〜カーライフの向上」を目指す・・
ってのが大まかな方向性と。

ところが、そのメリットを具現化すると同時に、潜んでいた別な問題性を露呈させた・・
得てして「自動化に拠る問題」は、クルマにかかわらずあらゆる属性で
観られる傾向にあり、決してクルマに限った話じゃ全く無いのよね。

同じ「乗り物」で言えば。最先端にあるといっていい“航空機の世界”。
こちらも少し前の時代、パイロットの負担軽減と安全性の向上を目的に、
また変化する航空運輸の事情も手伝って、大型機に拠る「3マンクルー(人員数)」
から「2マンクルー」を実現し効率化。あらゆる自動化を進め、
確実で不安定性を回避するためコンピューター制御に拠る盤石性を目指し、
およそその目的を満たし続けたと。

が、自動化の概念を高めれば高めるほど、本来操縦の主役であるはずのパイロットを、
機械やシステムから排するかのようなシステムとなり・・。
つまり航空機の飛行(操縦)から、半ば「人間を追いやるかの如き」状態へと推移。

その結果、あらゆる突発的な事象や、空にある数多の予見困難な出来事に対して、
人間に拠る直感的な、または蓄積された“応用能力”でシステムへと介入することが
逆に困難となり、「コンピューター対人間の格闘」という予期せぬ現象や事態を招き、
そのことによって寧ろパイロットに拠る焦りや混乱を新たに助長、
遂には事故へと至る・・という新たなフェーズへと突入してしまった。

同時に、「機械任せな状況」を増加させ、操縦という行為から
人間を半ば解き放つことによって、緊張感や注意散漫さをもたらす結果となった。
その結果の事故としてはこの日本で、記憶の割と新しい現代の代表的な事例が
「名古屋空港での中華航空機墜落事故」だろう。

俗に言われる、「2大航空機メーカーに拠る理念の異なり」。
ミスを犯す人間主体よりも、正確な機械に委ねる事の方が、危険性の多くある
空の世界には理に適っている・・とする欧州の「エアバス社」に対し、
あくまでも主役は人間として比重を置きつつ、足りない、または“支援(補完)”を
機械がすることによって総合的な安定性と安全性を高める・・とする
米国の「ボーイング社」に拠る技術理念。

理論的に、エアバス社の理念の方が理想的と言われたはずが、
蓋を開けてみれば「自動化によって事故は寧ろ増加した」。
事故毎により原因は異なるので一括りには出来ないものの、新たな時代の事故は・・
とりわけエアバス社の事故が絶えなかった背景には、自動化の設定や概念に
そもそも欠陥があった・・とする技術的論調が確立された面があり。
寧ろ、やはり人間が主役であることを変えず、何時でも思うように人間がシステムへ
介入出来る「人間と適切に共存出来る自動システム」を構築する、
ボーイング社の概念の方が望ましい・・とする傾向が高まったと。

それを受けて、エアバス社も技術開発や改築を鋭意進めた結果、
ボーイングが掲げる理念性に近づけた「ハイテク化」となり、
事故数値や事故未満の「インシデント数」も減っていったという経緯がある。

よって、当時「やっぱり機械依存は危ない、所詮人間が作ったものだから絶対はない」
といった概念性は、事故を受けて技術開発を更に進めた結果、
当初の正当理論に近づいた・・という流れに。

横に逸れたけども・・件の自動車に鑑みた場合。
とりわけ記事にある「ATの是非論」には、航空機の近代史に似た背景や経緯を
重ねみることが出来る。

「ATが悪い」のではなく、基点となる安全概念と、付随する技術システムが
理想とは何処かに乖離性がある(あった)・・と解するのが妥当だろう。
尚も重要なことは、「高齢者に拠る事故」を主因に掲げているけども、それもまた
「高齢者に拠る運転概念」が、正しく捉えられているとは言い難く、
伴ってあらゆる年齢属性や運転経歴、環境の異なりまで全てATが網羅されているとも
言い難い側面が、この現代に来て露呈して来た・・というのが正しい気がするわけで。

つまり。「ATにある踏み間違え」は、単に人間側の習熟性や運転技術の未熟さに
問題の中心があるのか、それとも、グラデーション状態にある運転者や
環境面も予めきちんと想定されたシステムであったのかどうか・・。

現時点で浮かび上がる背景を眺めるに、何れかであるわけじゃなく、何か一つの原因で、
それさえ改善すれば事故がなくなる、危険性が激減するわけでもない・・
複合的な要因を前提に、およそ全てをセットで改善改良しないとならないはず。
逆に言えば、じゃあMTを特定運転者の属性に定めるとか、自動車の種別に
特化設置することが理想的だ・・との見方も早計となるだろう。

踏み込んで言えば、増加していると言われる高齢者が「下手」なのではなく、
それ以前は上手かった・・とまでは言わないまでも「正常〜平均的」だったわけで。
別角度からみれば「高齢以前の経験知見は豊富だった」はずだ。
なので高齢によって「下手になった」のではなく、誤認識や間違い等を起こす割合が
増えた・・と解するのが適当。

とすれば、第一には「誤認識や勘違いを生むATシステムの改良余地」があり、
第二には運転者側にある経験則や知見を、システム的に「衰退化させない」、
またはMTという「アナログ手法」に戻す単純発想じゃなく、ATにある自動性と
アナログ特性とを上手に組み合わせてビルドアップするという、
「ATシステムの新たなフェーズ」に進化させることが、技術開発の界隈には
一層求められている・・と観た方が賢明だろう。

他方、以前にも触れたことがあるが、高齢者に拠る各種事故には、
ある「特性」が観られる・・との研究が存在する。掻い摘んで言えば「姿勢」。
要は「運転姿勢が好ましくないことによって、あらゆる事故を増長させている」と。

運転席への座り方を正しくすることにより、重要な鍵となる「視野角」を適切にし、
視野が適切になることによって、交通状況を的確に把握出来、結果として状況に応じた
運転動作へと繋がる・・という実に原始的で基本的な部分。

高齢者は得てして視力が劣り、あるいは背骨、骨格が若年時よりも変質することで、
自ずと運転姿勢が悪くなり、ペダルやハンドルの操作が適正に行い難くなる傾向にある。
また「視力の悪化」とセットになることで、自ずと“前のめり”になり、
同時に「視野角が狭まる」ので、周辺の広い状況が一層的確に把握し難くなる。

「踏み間違え事故」が、全て姿勢に由来している・・とまでは言えずとも、
姿勢が改善されると「間接的に踏み間違えが減る(パニックが軽減される)」と。

従って、高齢者に特化するならば「運転の為の適正なポジショニング」を
どのようにさせるのかの方法論と、適正にさせるための、または適したAT部分の
何某かな技術改善方法を確立化させる・・それが賢明と思うし、
決して「運転者個人や高齢化のせいにさせる」とか、「AT/MT論」で
留まるべき話では決してないと思う所だ。。

■なぜ、AT車はブレーキの踏み違いが多発するのか。その対策を考える
(HARBOR BUSINESS Online - 05月07日 08:40)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=219&from=diary&id=5608821
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