mixiユーザー(id:13658569)

2019年05月06日21:30

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行政との共存共栄を、寺院側が提起すべきではないか・・。

まさに、二年ほど前からこの件でずっと考えて来てましてね・・
自身を含めた親兄弟(実家)の分と、母方の実家家系の分。

自身の方は、無宗教で他界した父が頑なに「死んだら無駄な金を一切かけるな」が
強い意向だったため、一般的な墓を持たない方向にはしているものの、
がしかし、残された者に拠る「時の移り変わりと、伴う感情の移ろい」は
実際に起こり得るもので。

意向を汲んで、そのまま合葬墓へ・・としても、では残った家族全員がそれで
十分納得し気持ちを収めることが出来るかは「別問題」となるのよね・・

故郷の隣町に、大型の公営墓地があり。そこに通常の墓地区分と、
安価な新タイプの「永代供養型ミニ墓地」、更に合葬墓など数タイプが混在。
父が他界して今年末でまる3年、未だお骨は家にあり。もう気持ちも整理ついたし、
いつまでも置けないので、4体か5体まで収められるミニ墓地へ、夏までに収めようと。

厳密には一応「墓」なので、その点では父の意向に沿ってはいないのかもだけど、
このままでいけば残った家族が消えた後、誰もみる人がいないので、
結局は方法を決め打ちせねばならず。規模は小さいものの、安価で一応
「プレート刻印」が入り、他者とは区別化されるので、後で誰かが思いついて
立ち寄っても一応眠ってる場所は明確になる、と。

費用は最初の一回こっきり。以後、お盆やお彼岸などには、管理側が発注する
何処ぞの坊さんに、中央塔で合同の供養が定期的に入るんだとか。
プラン観たけど、シンプルで明快。

残った問題は「母方の実家分」。祖父や祖母、叔父ら。
現在は檀家にあるお寺さんの「納骨堂」に処遇されているものの、残った最後の叔父が
他界すると、事実上経費を払い世話する人は居なくなる。

母や叔母らは、「最後は合葬墓で」との意向だが。
金銭面や物理面などを総合的に考えても、現実的に後が居ないので
そうせざるを得ないとはいえ、自身「孫の立場」からすると、いきなり何体も
お寺から隣町の合葬墓に・・と考えたら、複雑な思いはやはり残る。

今の所、存命の女方姉妹が現在のお寺の維持費を、もう少し払いながら様子見を・・
とのことだけど、叔母らも高齢なのでそういつまでもこのままには出来ず。
結局「現実面」と対峙せざるを得ず、何処かで吹っ切らないとどうしようもない。

一方で。「複雑な思い」は、結局の所“生きている者”が抱くのであって、
永劫的に続くものではなく、血縁者が途絶えれば「複雑な思い」もそこで終わる。
どうであろうとも。その現実性と、宗教的な概念とどう整合性を付けるのか。

あるいは生きている僧侶がどう付けるのか。記事にある僧侶らが、現在または
その先暫く「複雑な思い」だったとしても、その僧侶だっていつかは逝くのであって、
自身の寺が継がれなければ、宗教的な意味としての「お粗末感」は、
結局の所途絶えてしまうと言っていいわけで。

問題は、僧侶が言う「お粗末感」や「釈然としない」のは具体的にどの部分なのか。
定期的な供養にある「宗教的な面」でのお粗末感を言うのか、それとも供花やお供え、
墓周りの環境等にある「物理面」を指しているのか、両方ともなのか・・。

どっちにしても、明確な解決法は「行政側が行政費用を立てて」、行政区にある
特定のお寺さんや持ち回り制度などにより複数で、適切とされる最低限の管理や
供養行為等を行えば良いのではないかという気がするのだけど。

そうすれば、経営が厳しくなる一方のお寺側だって、多少の収入にはなるわけだし。
「それでは寺として不十分だ」としても、少なくとも市民の多くが寺を利用せず
公営墓地を選択、一銭にもならないよりはまだマシだろう。

行政が公的にお寺へ発注管理するとなれば、公平性や厳格性さえちゃんと
担保されていれば、市民に拠る広範の理解も一層得られるのじゃないか。

そうしたアクションを、寧ろ寺の側から行政に起こしてみる・・
せっかく存在する行政地区の寺院だったなら、きちんと行政と共存共栄を図るべく、
何らかの取り組みを行う時期に来てるんじゃないのかねぇ。

黙って指くわえて観てる場合でも、愚痴をこぼしてる暇もないでしょうに、坊さんも。。

■安価な合葬墓、寺院は懸念「人生の価値考えるとひどい」
(朝日新聞デジタル - 05月06日 17:25)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5608373
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