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2019年05月06日20:17

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この姿から、退位までの経緯の再考察と「投げられたボール」の答えを弾き出すべき。

改めてこの件。
別欄にて、反応の中にある「メディア批判」に対し物申したが・・。

繰り返せば。幾ら天皇を退位したからといって、平民になるわけじゃないどころか
「上皇」なる特別な椅子を用意し、引き続き“皇族の一員”として扱う限り、
行動や動静について「追われていく立場」に変わりがないわけだ。

逆に、退位の翌日から途端に全く追わず、ずっと避けて経過していくなら、
今度は「天皇じゃなくなった途端、メディアも誰もその後の様子を伝えないのか」
「あまりにも冷た過ぎ・・それって不敬の一種でもありゃしないのか!?」
という声さえ、僅かでも飛び出して不思議がないし、それに対する正当な答え・・
即ち「そっとしておいてるので(ご遠慮申し上げてるので)・・」さえ、
ある種の誤魔化しや言い訳と解釈する者さえ出かねない。

その点で言うなら、退位した直後だから“余韻として”報じてる・・と見ていいだろうし、
新天皇が即位の礼を行うか、またはその前から徐々にフェードアウトしていく・・
と解するのが妥当だろう。じゃないと、「重大な問題」と直面することになるからだ。
それはどういうことか・・。

正確にはこの時点で「既に問題の一旦」が露見していることに、
一体どれぐらいの人が感づいてるだろうか・・多分殆どが「無関心」だろう。
つまり、天皇は退位し、事実上新天皇体制がスタートした状態にありながら、
尚も「2つの権威(上皇と新天皇に拠る権威)」が存在してしまってる・・ということ。

退位したからと言って、その日から突然大衆の記憶から消えるわけでもなければ、
30年余りに渡る唯一だった権威性が、すっぱりなきものに出来る道理が
ない状態にある。その意味で言えば、ここには更に別な問題が生まれる。

それは、こうして「メディアが追い取り上げること=権威性の二重構造」を、
作為・不作為に関係なく「人為的に」醸成がされてしまうこと。
反対に、それはよろしくないとし全く触れなくなったとしても、
二人は「一般人になったわけじゃないので」、幾らプライベートの行動を
今後取ったとしても、れっきとした公務ではなくとも「半公務のような状態」で
あり続けるということ。即ち「世間には依然として2つの権威が存在し続ける」。

その都度SPも付けば、宮内庁に拠る“管理下”に置かれるわけで、行動から何から
基本的には今までと大きく変わらず生活することとなる。
規模や態勢が縮小、または改変されるだけで。つまり
「そっとは過ごせない立場であり」、尚も“上皇の称号”を新たに得たんである。

それより何より、もっと重要な問題。
上皇である事による、新たな概念や規範が明確にあるわけじゃなく、
または何某かあったとしても、まだ「一般的に馴染む状態にはない」。
従って、今上と元皇后二人による「上皇としてのあり方」を、
新たに模索していく事となる・・と言える。

今までのような“全身全霊で務めを果たす”ことからは開放され、
上皇としてのあり方について、全力を出す責務にはないものの、
かといって、いきなり明日から気軽にスーパーに出掛けたり、
好きなことをして遊び更けるわけではないから、30年余りに及ぶ習慣性と惰性により、
二人は「聡明であり続けようとする」だろう。

お二方に対し「激務によるご負担が取り除かれたので、良かったです・・」
と言っても、特別な椅子に「座らせた」んであるから、今度は
「上皇としての佇まい(余生の送り方)」を、暗に強いたんである。
それを強いたのは誰か?他でもない、「現政府」や“肝入りの”有識者らだ。

ゆるふわな世間が右も左も「末永く、これからはごゆっくりと」と言っても、
天皇としての激務にはなくなるだけで、「近代史として初の上皇の姿」について、
二人がまた模索することを半ば強制したようなもの・・と言える。

これらのことから何が言えるのか・・。

3年前、今上が国民向けのビデオメッセージにて、直接退位について言明して以来、
突然の出来事に各種方面でそれなりの議論は沸き起こったものの、
肝心要の「国民側は」、ごく一部を除き一様に「お歳だし仕方がない」とし、
「ここで陛下の思うようにさせてあげるべし」とし、ある面で
「腫れ物に触るかのように」して、今上に“忖度”した。

識者各方面では、いわゆる“真正保守”、伝統保守タイプの属性にて一部で
「摂政論」を根幹にしながら、現天皇制度や象徴の意味合いの議論があったとはいえ、
大きく深く、じっくりと改めて国民的な議論にまで至らず、
時間の逆算や準備の都合という物理的な面を中心にして、速度を上げて
結論を急いだ感がある。

しかし、あの時今上は間違いなく「ボールを我々に投げた」はずだ。
ここで、国民一人ひとりが、憲法や象徴天皇制の意味・あり方、これからの皇室や
天皇のあり方について、どうすべきと思いますか?・・と。
「主権在民」の社会システムにて、“主役となる国民はどう思われますか?”と。

結局この3年間、深い国民の議論はなく、出した答えが単に「ご意向を忖度」しただけ。
厳密には「政府〜有識者に丸投げしただけ」。
にもかかわらず、これを機会として「天皇制反対」と主張する者を猛批判し、
あるいは、改元でお祭り騒ぎする層に苦言を呈すれば「水を差すな」と言う始末。

何にも主体的に考えてないじゃないか。考えてこなかったじゃないか。
全部が全部「お上のご意向に従って」丸呑みしただけで、忖度すること、
ただひたすら有難がり労をねぎらうことが、まるで優秀な国民であるかの如き態度で、
何らも主体的に、自発的に考えなかったのが「主権者国民の姿」だったんじゃないか。

ただひれ伏し、異を呈せずお行儀よくしている・・それが天皇に対する向き合い方だと
多くが思っている状態だが、それは何らも「今上の要望に答えてない」。
これを機に、現代の日本や未来の、国際社会下にある日本の皇室について、
どうあるべきかについて、一切につき主体的に考えてこなかったじゃないか。

その結果が、政府や権力に拠る「狡猾な天皇制度の利用」だろう。
国民が何にも考えず、腫れ物に触るかの如きで避けて来たせいで、だ。
ゆるふわな感覚で、今上と皇后の振る舞い、象徴メージに目を細め受容したせいで。
漠然と有難がっただけだろう。それじゃあ戦前の天皇制下にある
「臣民」と同じじゃないか。それでいいのか?が問われてたのに、だ。

あのビデオメッセージは「現政権に対する反発だ」といった論調さえあったが・・
そう解釈出来る余地はあったかもしれない。だったら、権力に利用されず、
尚且つ今上が作り上げた「国民目線の皇室と天皇」を好意的に受容するなら、
現制度が果たして理想的なあり方なのかについて、3年間でじっくり
考えるべきだったろう。

それをせず、またしてもこのまま新天皇に拠る出発をただ黙って受容するなら、
今上と皇后が模索して来た「新しい時代の天皇や皇室」は、引き続き時の権力によって
「狡猾かつ恣意的に利用される」ことは必定だろう。

間違っても、だからといって単純に天皇を国家元首に・・なんぞの解釈をするならば、
「元の木阿弥」となるだけだ。。

■上皇ご夫妻、退位後初の外出 愛を育んだテニス場へ
(朝日新聞デジタル - 05月05日 18:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5607614
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