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2019年05月01日17:54

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検証も反省も無きまま、いい時代になるはずがない。

適当な記事が見当たらなかったのでここに記すとするか・・。

さて、このおよそ一ヶ月、とりわけ約一週間あまりの各メディア方面を眺める限り。
平成の30年を振り返る、出来事を羅列し顧みるかのようなものが溢れていたけども・・
その大半を観ても、単に「思い出」を振り返ってるだけに過ぎないものばかり。
年表毎に挙げてるだけで、この様相は毎年の年末にある風情と特段大きく変わらず。

振り返ることは大事だし、先ず最初に手を付ける作業なのは間違いない。
が、最も重要なのは「検証作業」だろう。この場合で言えば、
約30年にあって、どういう時代であったのか。浮かび上がった現象や特性について、
果たしてそれらは健全であったのか否か。何が良くて何が悪かったのか。
何は問題がなくて、何に問題があったのか。そして問題や悪性があったなら、
どのようにして次の時代には改善改良すべきなのか・・。

ここまで深掘ったものが皆無だった・・とまでは言わないまでも、
その数量も質量も圧倒的に少なかったと言って差し支えなかろう。

これ、つくづく日本人は「忘却性に富んだ民族」といっていい。
平たく言えば「忘れ去る、水に流す」ことでしか前に進めない民族という。
忘却・・。毎年年末は「年忘れ」という前置詞や語句を用いる。

その一方で「始まり」に重きを置く。「一年の計は元旦にあり」、「最初が肝心」。
「新年」、「元年」・・スタートが何も大事じゃないとは言わないし、
まっさらな気持ちで始めることや心理状態を素軽くすることも、基本的には良いこと。

だがしかし。スタートを健全に切るにはそのためのプロセス・・
すなわち「以前の状態にあったものを改善改良しないと」まっさらには切れない。
そのための「検証や反省」。これが最も不得意な民族、それが日本人だろう。

代表的なのは「先の大戦、太平洋戦争の総括」が成されないまま、あの昭和を終えた。
平成に入り、今上天皇は実父を背景にした戦争への懺悔を、ひたすら祈りと慰霊の旅に
重きを置いて天皇としての生涯を送ったのに対し、国/政府は何らも行わず
昭和の戦後から平成の30年をただ「やり過ごした」。
しまいには「自虐史観」なんぞという言説を用い、日本は悪くなかったとし、
検証どころか反省も十分せずにここまで来た。

イラク戦争は、主導した米国自身のみならず、参戦した国や支持を表明した諸外国各々で
密に検証し、何が悪かったのか、何処に判断を間違えさせたものがあったのかを
徹底検証し、何処も膨大なボリュームで記録化しつつ、同じ轍を踏まぬような体制を
敷いているのに対し、日本は外務省がたった数ページ程度の「お手盛り文」しか
残しておらず、検証に遥か及ばない。

IS人質事件では、悲惨な結末後に「検証委員会」なるものを立ち上げ、
内容には個々に逐次の定期的な確認や検討事項を盛り込みながら、以後表立って
繰り返し実施されている様相にはない。結局「形だけ」。

福島原発事故では、以前も以後もろくな検証や検討が「健全透明性」にない状態。
東京五輪では竹田が挙げられ、スタジアム建設も各種体制もボロが出て、
それでも尚「とにかく成功させることだ」なんぞとし、有耶無耶のまま
突っ走ろうとする。

トドメは政府行政に拠る「隠蔽、改竄、虚偽、捏造、破棄・・」。
そして警察や検察司法の極めて悪質な司法実態が顕在化・・。
どうだ。全てにおいて「ぶっ壊れた」のが平成だったんじゃないか。

民間領域では「ミートホープ事件」や「白い恋人」、「吉兆」等の食品関連偽装、
“姉歯”に代表される「建築偽装」、金融、自動車・・どれもこれも虚偽や捏造、隠蔽・・
不正のオンパレードだったのが平成という時代で、最後は政府行政に及んだわけだ。

この何処に「ありがとう、平成」と言える要素があるんだ?

大衆風情では、インターネットの普及拡大等もあってか、一層の「個人主義化」が進み、
仮想空間性を背景にして“見境がつかなくなり”公序良俗性が失われ、陰湿性が増長し
誹謗中傷や個人・団体への鬱憤晴らしが常態化。

それが過ぎてか今度は「法の奴隷化」現象を生み、大衆の一元性からはみ出る、
右にならえにない者をバッシングする・・代表的なのは「イラク人質事件」で、
以後IS事件や先の安田純平氏までの顛末にある。

戦争のない、一見して平和風情にありながら、分断化や差別化の増長により
実は極めて不健全だった時代、それが平成の実態。
生き延びることが困難だった昭和の戦中戦後から、
「生きられる時代」なのに「生き難い時代」だったのが平成の実態。
見せかけの、「虚偽の平和」だったのが平成の実態。

どの分野や事象も個別に異なった理由や背景、あるいは複合的な構造ではあるも、
共通しているのが「損得勘定の拡大化」。即ち「新自由主義の導入」以後が平成の正体。

「自己責任概念」は、まさに金融商品の特約事項にある「自己責任原則」を流用、
そのまんま世間の常識化とさせた“ネオリベ属性に拠る思惑”。
それを、従順性に富んだ日本民族はまるっと飲み込んでしまった。

その結果が「損得勘定」であり、「公正」であるよりも「損得」が重要で、
得に合わせて正しさにしてしまったのが実態。
逆を言えば「損することを公正とは解さなくなってしまった」。

他方で「公共の概念」が崩壊し、多様にある人の特性を大枠で包み込むのではなく、
狭い要件下に押し込んだ末の「一律な有り様」を公共とし、少しでもはみ出る者は
容赦しないという「独裁的国家の有り体」を、大衆自らが能動的に受容したのが平成。

即ち「包摂することをしなくなった」、または「得の場合は包摂し、損の場合はしない」
とするのが平成の日本。その一端が生活保護バッシングや人種差別、LGBT問題などだ。
大勢の得になるとの解釈・・即ち金銭的・数値的に明確となるプラス事情は肯定し、
それ以外は切り捨てる。数字に賢くなったように見えて、実は馬鹿になったのが平成。

こんな時代が有難かった?馬鹿も休み休み言え。

少なくとも、新しい元号を能動的・好意的に受容し、良い時代を願うなら
個人がやることは山ほどあるはずだ。政府行政がやることは星の数ほどあるはずだ。
ところが、それにあたっての検証も反省もなにもないまま、ただ闇雲に新時代の到来だと
浮足立ってるだけじゃないか。この状態でいい時代になるはずがなかろうて。
黙って待っていたっていい時代にならないのはもう明白だろう。

新天皇がいい時代にしてくれるわけでもなければ、役人がやる様相にもない。
各人が平成の30年を冷徹に検証し、反省をし、良かった所と悪かった所を見極め
その上でどうするべきか・・自分が年を取った時、今とどう感受性が変わるのかを
想像出来なければ、レイワという時代はもっと悪くなること必定。

政府も役人も、昨日と変わらず同じ状態で機能する。
だったら悪くなるに決まってるだろうが。危機だよ危機。
こんな状態、ちっとも喜ばしくもないだろう。

反省をせよ反省を。猛省をせよ猛省を。公も個もだ。。

新天皇陛下が即位 令和幕開け
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5603117
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