mixiユーザー(id:13658569)

2018年11月14日18:46

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「法規範」と「感情」を綯い交ぜにしちゃいけない。

ん、これは中々興味深いというか画期的な判断と言うべきものでもあって、
逆に弁護団に拠る主旨正当性を、確固たる論拠で成立させたという特筆すべき事案・・
と言っていいだろうね。

尚、この件については当記事よりも一歩踏み込んだ以下の記事の方が、
現時点ではより正確に考察が可能だと思う。

https://bzfd.it/2Tc5MPN

これを観れば概ね客観的な見方がより出来ると思うが、論旨としては
それほど難解性はなく、裁判骨子にある「医療行為の定義」がこの際妥当か否か・・。

一審判決だとこの中にある「理容師に拠る顔そり」、「ネールアート」、
「まつげエクステ」等も“医療行”として解釈・含まれてしまう。
よって、当該タトゥー施工行為も含めて、医療行為と明確にすべき
「関連性〜医学論拠」が必要になるはずも、検察側は

〜「何が疾病で何が治療かは医学が日進月歩なので固定的に観念をなし得ない」という
医師法制定時の政府答弁を根拠に、医療関連性の必要性を否定〜

という論拠。これだと文面通りなら「医療行として定めることは困難なもの」という
医師法の背景・根幹にある“論理薄弱性”を肯定しているわけだから、
司法が「彫り行為は医療行為にあたる」という判断自体もまた、論理整合性を欠く・・
という解釈が可能になる。

それ以上に、「医療関連性の必要性はない」なら上記の通り、
理容師やエステ関連もれっきとした医療行為に含まれる、と判断されて然るべきとなる。
この状態では一審や検察側の主張(医療行為とすること)は無理があり、
この判断を許容するとすれば、現行あるその他の美容関連行為であったり、
今後誕生する何らかの類似行為にもすべからく「医療行為〜医師法」を
当て嵌めて処する(制限を加える)ことが出来るという、
ある種の傍若性を追認するということになる。

その点で高裁判決の主旨を上記記事から読む上では、

〜タトゥー施術に必要な知識は医師に求められるほど高度・広範なものではなく、
「限られた基本的なもので足りる」〜

とする解釈に何らの無理はないだろう。
そして別途興味深いのが、「タトゥーの文化的・歴史的な価値も評価」している点。

この部分についての詳細な司法論拠が書かれてないので、考察する上では
材料が全く無いが、「文化的」というのはおそらく昨今の国内外における
ファッション性、需要や普及性らを総合的に鑑みたものと推測出来る。

他方の歴史性は、日本の歴史庶民性に散見される“任侠と関連する生活文化的側面”
について、世俗性の中で僅かに黙認(許容)されて来た・・ということを
示唆しているかもしれない。

何れにせよ、論旨の第一義は「医療行為なのか否か」であって、
伴って「職業選択の自由を侵害するおそれがある」の基となる憲法由来の法論理を
純粋になぞるなら、そのおそれに抵触するとの解釈には無理もなく整合性もある。

一方で重要なのはこれだろう。

〜医師法で規制しない場合、タトゥーに関する規制は存在しないことになるが、
医師法を拡張するのではなく、彫り師業界の自主規制や立法上の措置をとる――
といった対処が相当だ〜

多くの一般が持つ懸念・・即ち「施術に拠る身体への影響」。
これに対し司法は医師法を根拠にするのではなく、業界内のルール作りや
理容師免許にあるような、何らかの法的意味合いを含む態勢作りを暗に求めてもいる・・
と受け止めることが出来る。したがって、司法はあくまで本件職業行為自体が
医療行為か否か、職業として是認することが法論理性と矛盾してないかどうか・・
が主体であって、以後の方針や各種対策についてや、そこへの懸念めいたことは
殆どに渡り関与してないのだから、これを受けた業界自体が次に何をすべきかの
ボールが投げ返された・・とすべきだろうし、利用者もまた例外じゃない・・
とも捉えることが出来ると。

なので、タトゥーが昨今の世間的にどう観られるかとか、施用者に拠る資質云々なんぞ
全くの無関係なことであって、タトゥー自体の是非や個人に対する嫌悪感等にある
【感情要素】をここに綯い交ぜにしちゃ不適切だろう、ってこと。

「感情」で都度法規範がコロコロ変わるようでは、世の中たまったもんじゃないので。

■タトゥー彫り師に逆転無罪 大阪高裁、一審判決を破棄
(朝日新聞デジタル - 11月14日 15:04)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5375714
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