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2018年11月02日23:47

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では当時、世間はなぜ「あの人物」について自己責任を問わなかったのか?

記事の件はもう散々記したのであれだけど・・
ふと思い出したことがあるので一応触れておくかなと。

拘束事件=ジャーナリストという観点でやいのやいの言っているが、
先のIS事件でもやはり後藤健二氏も同様に、報道の意義やそのための準備、
背景等などについて、世間は勿論メディア自体も終始して来たけども。

当時も指摘する人や一部メディアがあったものの、まるで腫れ物に触れるかのように、
不自然な様相にあったのが、同じく犠牲になったとする「湯川遥菜氏」だ。
後藤氏に対して散々論ったのに、彼については責任処遇や行動背景、
そのための論評は殆ど観られなかったわけで。

湯川氏についての自己責任論を辛辣に言い放った者はどれだけいたのか?
彼が目的とした「民間軍事ビジネス」についての是非や、どういう経緯があったのかを
つぶさに検証した者がどれだけいたのか?結局、今も尚その点については
全くのベールに包まれたまま放置されていながら、片方では後藤氏由来の
ジャーナリズムばかりじゃないか。

後藤氏も安田氏も、準備不足だ安易だとしながら、では湯川氏はどうだったんだ?
ジャーナリズムの重要性批評に対し、軍事ビジネスに対してはちゃんと行ったか?
何らもされていないだろう。おかしいじゃないか。

今更言うまでもないが、湯川氏は田母神俊雄や元外交官僚、あるいはその中に
デビィ夫人らまでもが周辺にいたからか、他方でその界隈〜政治方面へも
関与しているだろうことは、何より軍事関連だからに他ならず、
当の政府も同じく湯川氏に関しては殆ど触れずじまいに終わったのであり。

そのデビィ自身が盛んに後藤氏を叩き、「日本人なら腹を切れ」と豪語、その割に
湯川氏に対しては一言も言及していなかったわけだ。そんなに都合が悪かったのか?

あるいは、04年当時の「イラク人質事件」もそうだ。
ジャーナリストではないが、ボランティアを目的とした高遠菜穂子氏に対しても
同様に叩きまくった。これに対しあの「コリン・パウエル」でさえも
「彼らがリスクを背負って活動することにより我々も前へ進める」とし、
「彼らを日本人は誇りに思うべきだ」と苦言を呈したほどだ。

言わんや湯川氏に至っては、そのアメリカ政府とてオバマの追悼メッセージでは
後藤氏に対する哀悼が主体で、付随してジャーナリズムの価値にも触れたが、
湯川氏については何らも触れずに終わった。そこに「ミリタリー」が
絡んでのことなのか、それとも日本側が湯川氏についての情報を、
意図して正確に伝えていなかったのか定かではないが、
何れにせよあまりに歪な追悼模様だったわけだ。

結局、世間にあるエセ保守連中もまた、湯川氏に触れることは塩梅も都合も悪いのか、
図ったかの如く綺麗に避けて通ったじゃないか。

こうなると、単にマスコミという名が付いてるだけで条件反射的に叩く、
慈善という笠に被ってでしゃばった・・といったような浅い「感情論」だけが
主体としか言いようがないのであり。

これは何も世間だけじゃない。当の主要メディアだって湯川氏を均等に扱わなかった、
焦点を当てなかったことにも起因する。湯川氏が何を目的に危険地帯に足を踏み入れ、
どういういきさつがあったのか、その目的価値はどのようなものなのか・・
そこまでフォローアップし、並行して一人の命が失われたということについて、
後藤氏と等しく純粋に悼んで然るべしだっただろう。

このバランス感覚の無さ・・いや、不自然なこの様相をすっ飛ばしといて、
頭が回らないでおいて何が自己責任論だっての。バカバカしい。。

安田さん「行くのは自己責任」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5359162
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