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2018年08月21日14:56

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終戦とした「正」の意味。

戦争体験者だった亡き父は、自身が幼少の頃から事ある毎にこのことを口走っていた。
ニュースで終戦記念日を連呼する度、毎度のように。

「何が終戦だ。敗戦だろうが・・」
食事の時は、こうブツクサと呟きながら飯を食べていた。

高度経済成長時代の上に育ちゆく自分にとって、当時このセリフと怒り心頭な父の表情を
食事時に見聞きするのは、時としていい加減うんざりな気分にもなったものだ。

同じ戦争体験者の母は、
「そんな昔のことを何時までも根に持ったってしょうがないべさ・・」
なんてことを言ったりすると「何が昔だ!そんな風に曖昧にするから駄目なんだ!」
そうやって時折険悪な空気になるのが、子供の自分にとっては嫌で仕方がなかったのだ。

あれから幾年が過ぎ、自分が大人になりあらゆるものが蓄積されていき・・
なぜ父がこれほどまであの戦争の話になると憎悪の表情となり、
愚痴をこぼし続けるのかが、徐々に理解出来るように。

確かに、終戦じゃなく敗戦だ。
記事にある通り、敗戦という事実を有耶無耶にする根源がここにある。
青少年時代・・いや、その後の人生をあの戦争によって狂わされたとする父にとって、
戦争の総括をまともにずっとして来なかったこの国に対して、何一つ信頼も信用も
して来なかったのは、それまで何度も国や世間を頼ろうとしたものの、
事ある毎に裏切られて来たからだ。頼れるのはもはや自分しかない・・
だからこそ自分の腕を磨きに磨き、誰にも頼らない生き方に邁進して来た。

対象的な母のあり方・・。
性格の違いや生い立ちの異なりによるものだろうとは思うものの、同じ戦争体験者で、
戦後の苦難を負わされて来た両者の、この差は何なのか・・
ずっと考え続けていた。

明快な答えは未だに出ないけれど、何れにせよ浮かび上がるのは、
両者・対極にあるこの感覚の異なりこそ、戦後日本を包み込んで来た
「正負の特性」であり、戦争に対する捉え方や考え方を如何様にも左右するもの・・
という気がしてならなかったわけで・・。

恨み骨髄に人生の大半を占め、忘れてなるものかとした父の怨念と、
忌まわしい記憶は遥か遠くに葬り去りたいとする母・・。

どちらの想いも、戦争を体験した者のみぞ持ち得る「正しい感覚」なんだろう。

第一義としては、なんたって焼夷弾の雨あられ、小銃弾が飛び交った戦時中が
一番の地獄絵巻であったことに変わりはないが、限りあった戦時中よりも
終戦から先の方がずっと「長く出口の見えない期間」であったこと・・。
父も母も、苦難として完全に共有され、共鳴されるものだったはずである。

自身としては、その後は恨み骨髄に徹した父の想いの方に加担して来たし、
昨今の世間的変質らとを眺めるに、一層その想いを尊重するものだが、
母に拠る想いと対比し続けることで、ふとした考え方も浮かぶ。

もしも、8月15日を終戦ではなく敗戦記念日としていたら・・
“敗戦の屈辱感”というものを、後のある時代に再燃化し、再燃化され、
「悪用される」恐れがあったのではないか・・という。

戦争がもたらす怨念には、父のような理由にも、施政者等による「思惑」にさえも
作用出来てしまうもの・・という潜在的特性を秘めているからだ。

そのことからすると・・いや、昨今無邪気に乱用される「太平洋戦争肯定論」なんかを
垣間見れば尚の事、結果的に終戦記念日として、
ある種「マイルドな(曖昧な)定め」にしておいたことは、
少なくとも“70年余りにおいては”効能があった・・と言える気がして来るのだ。

だとした時。
今後重要になって来るのは、曖昧であることの「正」の部分を如何にして
論理的に正当化するかと、逆に敗戦である事実を如何に「正しい負の意味」として
論理化し、普遍化し続けるか、だ。

この微妙な解釈の差を、時代性の中で右往左往させないための不断の努力・・
やはり次代を継ぐ世代が、一層歴史に対し謙虚さを貫く・・これに尽きるだろう。。

日本が「敗戦日」ではなく「終戦の日」と呼ぶのは「自分たちの行為を曖昧にするため」=中国メディア
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=97&from=diary&id=5251163
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