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2018年08月21日13:31

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盆時期の光景。。

盆が明けました。
一年のうち最も好きな期間が、このお盆と年末年始・・
って、いわゆる“盆と正月”ですけど・笑

父が亡くなってから2回目の盆ってことになりますか。早いような遅いような・・
いや・・無宗教ゆえ特段の行事なく迎えてるので、初盆がどうだったとかいうのも
記憶に刷り込まれてるでもなく、淡々と二回目が過ぎていった・・って感じ。

地域も、目に見えて特段に大きな変化があるわけでもなく。
相も変わらず寂れる街並みと、人けの少なさ・・
元々閑静な地区ではありますが、一段と静けさが増したなあと。
朝から晩まで、外を行き交う人の姿や話し声、子供達の歓声、車の音さえもなく・・

夜なんてめっぽう静かで、鈴虫の泣く音だけが響き渡るという。
就寝にはもってこいなんですけどね・・

夕方には犬の散歩。
雨や曇りの日が多く、遠く大雪山系では初雪まで観測される肌寒さの日もある中、
夏の気温と陽射しが戻った日、普段と反対側のコースを少し遠回り気味に。

自身多くの時間を過ごした、元農家である母方の実家近くのエリアまで。
大人になってからは、この一帯を車で往来するばかりで、考えてみたら
歩いて通るなんて殆どなかったんじゃないか、と。

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青々とした稲穂が育ってます。
画像じゃわかりにくいですが、全体的に穂丈がやや短い印象。
やはり6〜7月下旬まで続いた日照不足の影響が・・
ただ、出穂は概ね揃っていて垂れて来てるので、ここから9月中旬まで
秋晴れと湿度が高く推移しなければかなり挽回は出来るのかなあと・・。

反対側は大豆畑。
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同級生友人宅の本家農地でしたが、ご主人が他界した後貸与を経て売却、
今は別な生産者により豆と麦をサイクル栽培。この圃場一面も昔は全て田んぼでした。
何枚も水田が連なり、細かくあぜ道で区切られていて、反対側奥の方にある
母方の実家に農繁期住み込んでいた頃は、農道を通らずここのあぜ道をくねくね、
近道をしながら学校へ通っていたものですが・・。

水田と大豆畑の間をワンコと・笑
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この道も昔は砂利道でしたし、農道の殆どはそうだったけど、
気がついたらもう砂利道なんて探すのが困難なぐらいにまで。
車が往来する度に砂煙が猛々と舞い上がる・・なんて光景もなくなりました。

で、いつぞやからこの部落に建った石碑なんてのを、初めてマジマジと。
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開基百周年を記念し、平成7年の今時分に建てられたもの。
読んでみると、明治38年に数戸がこの辺の一画に入植、二年ほどかけて
全域に入植者が増え部落が形成されていった、と。

知らなかった。
この地区の歴史なんて母方から掻い摘んで聞きかじる程度で、
正確に知り得てなどなく、適当な知識しかなかったことが目の当たりに。
“この辺の人達は一体何時頃から住み着いたんだろう・・”
なんてことを考えたことはあったけれど、正しい情報なんて中々・・

祖父母は戦後、樺太から引き揚げ開墾を条件にこの地に渡り農家を始めた。
昭和22〜3年、いや、もう1〜2年後からだろうか。
石碑にもあるように、この辺一帯は低地なうえ湿地帯の沼地で、
とても農業を行うに適してなどなく、僅かな場所で野菜や穀物を作るも
殆どまともなものが出来なかったと聞いている。

一帯にはヨシやハンノキが乱立したり腐熟しており、
沼地ゆえに魚や貝類までも生息していたと。
そこへ、遠くから山土を削って搬入し、何年もかけて投入を繰り返しながら
徐々に水田畑を形成していったようで。

ゆえに、この辺の入懇は昭和の戦後からだとばかり思ってたが、もっと前から既に
この辺には人がいたんだなあ、と。

石碑の裏には、協賛金を出しただろう部落の農家達の名前がずらりと彫られていて、
大抵の名字は知ってるものの、中には自身が子供時分だった当時、
長老として名を馳せていた人の刻印も。

一人ひとりの名前と碑文をじっくり読みつつ、夕暮れに染まりゆく後ろの田園地帯とを
重ねながら思いにふける時、幼少時の光景が徐々に蘇っていくのと同時に、
昔と今の光景の違いを部分的に感じながらも、だけど総じてはあまり
変わっていないのではないか・・なんてことも思ったり。

ただ内情としては、既に複数の農家は離農してこの地を後にしたり、
廃業後もこの地で細々と生活していたりと、100年以上に渡る時の流れと時代の潮流は、
こんな僻地にもしっかり刻まれているなぁと・・

トンボが舞い飛ぶ周囲一帯、時折往来する農家の軽トラ、暮れゆく西の空と遠くの山々。
内情は時節毎に変化はしても、この地域に流れる趣きと盆頃に流れる風・・
独特のそれらは、子供時分だったあの時に感じたものと、
今も大きくは変わってないのではないか・・

そして改めて思ったのは、変哲のないこの田舎、この地区部落の風情は、
今でも自分の体内を流れる源流でもある・・と。
だからこそ、何時までもこの光景は残っていて欲しい、とも。

そんな風に思いながら、ワンコとそぞろ歩く散歩の時間は心地よかったであります。。
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