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2018年05月22日21:34

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「責任論」を考える。

別の項目にて記したことと被る所があるけども、今一度あらためて・・。

大方の受け止めと同じで、実に誠実に、ありのままと思いのおよそ全てを明かした姿は、
行った行為に対する情状的ものを除いても、尚「しっかり受容出来るもの」
だったのではないか。二十歳もホヤホヤであるということ、
学生という身分であることを前提にしながらも、それ以上にこの事態を受けて
悩み苦しんだ末、決した判断を先ずは全面的に評価してあげねばなるまい。

どうしたって直ぐに対比されることは、先般の監督に拠る内容とあり方だ。
“弁解はしません”とし、あたかも潔さを装わんとさせながらも
さっさと幕引きせんとするかの如き様相で辞任をし、
そのままもう表には出ないかのような印象さえ残す・・
監督であり“責任の伴う大人”としての経緯と考えるなら、何処からどう観たって
この学生選手と比べて雲泥の差であるってのはもはや論を待たないだろう。

まだ二十歳の学生諸君には出来て、伝統ある大学チームの監督がそれを出来ずにいる・・
学生選手の足元にも及ばない状態を前に、内田氏は一体どう捉えているのか・・だ。

さてはて。
これにて多くの庶民の脳裏に浮かび重なるのは、昨今続く政治や行政、あるいは
企業などにおける不祥事、疑惑らに対する対応の如何・・それらとの対比だろう。
各々内容や性質、立ち場等などの点で異なりは大小あろうものの、
事案に対する対処の仕方、向き合い方、行動経緯・・これらは皆共通項がある。

一言で言うなら「責任のとり方」だ。
何と言っても、起こったことや疑念が生じ拡大した時点で「説明責任」が発生し、
当該本人または所轄責任者なりが行わねばならず。まさに“最初の一歩”。
ここが先ず適正に、且つ迅速に行われるかどうかで、直後からの印象や道筋に
狂いが生じてくる。

事案の性質や程度に応じながら、一方で組織性が背景にあるならば、
やはり第一義的には統括責任者なりが速やかに前へ出て出来る限り詳らかに、
誠実に応えていく以外に方法はない。問題は説明経緯にあたって、
当該責任者自身に問題性が介在している場合、また、「説明する資格と資質」に
そもそも及んでいないとされた時、成り代わる人物が速やかに代わって行う必要が
出て来る。このタイミングや判断を間違えると、かえって疑念が高まったり
誠実さ自体が当事者界隈から欠如している、と観られてしまう。

また、事案の性質上極めて悪質性が高いとか、隠蔽性が懸念されるようなものについても
やはり別な責任者や、公平性や透明性を担保すべくな第三者が速やかに、
インターバルを置かずに行う必要が出てくる。

そこで一番のヤマは、俗に言われる「責任=けじめの付け方と時期」だ。
問題が肥大化、またはその一途にある最中、あるいは騒動に至ったことの責任をとって
早々に辞任する・・という手法は、一見して何となく責任をとったように観えて、
それは単なる形式的なものに過ぎず、寧ろ「逃げ」と捉えられることが往々にしてある。
よって、早々に辞任し受容されるのは上記のように「説明責任を追うべく資質にない」
とされた場合のみだ。そうでない場合に初めて、問題収束が完全に果たされるまで、
もしくは概ねそれが観えた時点でけじめを付け辞任する・・という流れが妥当性を持つ。

そして事案当事者が、組織性の中での一介の人員だった場合・・。
出来うる限り当事者自身が前面に出る、または説明の果てまで追うべき責務は
一応生ずるものの、組織の性質や事案の性質等々を鑑みた時、限界性やあらゆる懸念が
発生するかもしれないことを鑑みた上で、やはり統括責任者が全面に出て
本人と共にするか、または本人に成り代わって全面的に説明責任と事後処理について、
有無を言わず無条件で行わねばならず。その上で、最後は当事者本人は勿論のこと、
管理責任を持ってして辞任や重い処分を受けるべきであり、その責務が最初からある。

それになぞらえた時、直近の政治行政の各々を見れば一目瞭然、
極めてどれも不誠実であるばかりか、責任所作のあり方は殆どに渡って
不適切極まりないものばかりだろう。いわゆる「トカゲの尻尾切り」に見られる
「無責任体質」。これほど組織の概念を否定し、且つ健全性を損なうものはない。
いわんや、それが政府という最高機関がその体にあるならば、
その外形的様相と及ぼす広範への影響を考えるに、それは相当深刻な
「国家の崩壊状態」以外に言いようがない。

他方、組織構成員とて当然ながら、各々の責任範疇や応分は必ずある。
がしかし、それを負うべくな限度や限界も必ずあるわけで、不足分について、
あるいは「全体責任」として、けじめの意味も含めた“包括的責任所作”を
組織の長や管理責任者は絶対的に取らねばならない。

日本的に言うならば、「いざという時前へ出る頼もしいトップにない組織」に、
部下が安心して業務を、身と心を捧げて務める気概など起こるはずはない。
そこにあるのは常に疑心暗鬼の空気と、いつ裏切られるか弾かれるか、
その恐怖心や不安感らを抱きながら、偽りの状態で業務に邁進せねばならないという、
何とも不健全な“奴隷環境”でしかないことになる。
これでは良好な労働環境はおろか、業務や利益等の理想的な向上と発展性は望めない。
まさに昨今の、日本の中央政治や行政、その下に在る各種民間組織や社会には、
この疑心暗鬼や不安感らが静かに、重く包み込んでいるといえよう。

翻って、当の学生選手によるあの姿を今一度見つめるに・・。
あの有り様こそ、今の日本の政治行政が、司る施政者達が、行政役人等といった
重責を担う者達が、社会を構成する内の企業体責任者・経営者らが、
最も所持すべき姿勢じゃないのか。いい大人の隅々を見回した時、
今この学生君ほどの誠実さを持つ者が、同じ行動を取れる者が一体どれ位居るか・・

彼の爪の垢を煎じて飲まねばならないのは、他ならぬ頂点に在る施政者らであり、
役人諸氏らであり、各種組織責任者らであるはずだろう。

彼ははからずも、必死に自身をもってして、今の多くの大人達へあらゆる警鐘と示唆を、間接的に行ったように観えて仕方ないんである。
「責任とは、こうやって取るべきなんじゃないでしょうか・・」と。。

日大選手、コーチから「できなかったじゃ済まない」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5121595
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