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2018年05月20日14:03

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石灰と節介の話。。

先週、実家の方にちょいと。

体力的に低下しつつある母親が、春につき家の周囲で野菜を植え付けるってんで、
遅れていた畑起こしと肥料撒きの手伝いで圃場の準備を。

考えてみれば、肥培とか品種とかの化学的領域ばかりで、
肝心の“実地”からはとんと離れており・・
能書きや公爵は当然重要なれど、もっと大事なのは「直接触れること」。
その当たり前のことが当たり前に出来ない・しないのはやはり良くないなと改めて。

パンパンに固くなった土、スコップで起こすってのはやっぱ大変ですねぇ。
耕運機でもあれば簡単均一に撹拌出来るのに・・と思いつつ、僅かの面積、
汗して掘り起こすという原点に立ち返る・・その大切さを今頃になって実感。

母に聞くと、昨年もたいして土作りには手を掛けてないってんで、
先ずは物理性の改善に粗大有機物の投入を。
ホントは鶏糞がいいんだけど、資材店舗には良い鶏糞がなかったので、
成分はやや低いが“牛ふん堆肥”を。入れないよりかはいいですし・・。

お次は“石灰分”。本当ならPH測定すべきも、製品出荷するわけでもないので、
投入量を気にすることなく、土と根に優しい有機石灰を。
チョイスしたのは「ホタテ殻粉末」。本来なら“カキ殻”が最優秀だけど店舗になく。
アルカリ分も有機分も低い“貝化石石灰”は却下し、値段も安価なホタテ殻を。

そして基肥は、長ネギとトマトを植えるってんで有機配合を。
動植物有機原料のミックスだし、全体含量としては有機が多く緩効性なので、
ネギとトマトの生育ステージを考えればベストだろうと。

春の日差しと土の香り。そして肥料の臭い・・
近くにはスズメや野鳥の鳴き声。そよぐ春の微風・・
何だか妙に懐かしい気分と安心感。

土をいじる・・ってことは、自然の大地上で呼吸をするってことは、
やはり人間にとって、健康にとってとても重要なのだということを、
直接的に肌と呼吸器官を通して強く感じましたですねぇ。

えっちらほっちら夢中で作業してると、前の道を歩く人の気配。
顔をあげると何処かのおばさん・初老のおばあちゃんらが立ち止まって見つめてる。

「あら、畑起こしかい。ゆるくないねぇ〜(大変だね)。何植えるの〜?」と。
聞くと、おばさん方も春の作業中とのこと。資材を観て「それ何?」とか色々会話。
家がすぐ裏だってんで、少しお手伝いなんぞを。

「いや〜、若い人のおかげで助かったわ〜」と、お茶やらジュースやらお菓子やら頂き。
世間話やら、地区による最近の事情やらの話で華が咲く・・。

若かりし頃故郷をあとにして、いつぞやから近隣に住み始めたのだろうから
お互い知らないんだけど、だいぶ前から周知のような錯覚・・(笑)

今や都市部の方に移り住んでからの年数の方が長くなってるのに、
こうして不定期に帰り、見知らぬ人であっても自然と交流出来てしまう・・
で、重要なことは、単身住まいになってしまった母も、こうした近隣住民の方々と
日常的に交流することで、互いの状態確認やあらゆる自治が出来ているという事実。

すっかり寂れ、かつてのような人の熱がなくなった居住地区だけど、
残った人々によってそれでも懸命に繋がっている。
いや、人が少なくなったからこそ寧ろ一人ひとりの絆は強まってるのかも。

ともすれば、それは「お節介」でもあったりするのだけども、
お節介のない世間というのも、逆に寂しい・・いや、本質的な意味で「怖い」。

都市部は人の数が多いのに「可視化され難い」。
反対に、地方は人の数が少ないのに「可視化されやすい」。
そこに関係しているのは、社会という土壌に必要な養分(PH値)の多少か。

お節介のない都市部。お節介に溢れる地方部。
どちらがいいのか悪いのか、一概には言い切れないものの・・
さりとて、多様な人間が共存する社会にあって、一人では生きていけないという
性質から人は免れられない以上、身近なコミュニティを重要視しないと
人間社会は住み難くなる・・ということは間違いがなく。

無機の石灰は、適正量の投入から外れると土が固くなり、寧ろ土壌を悪化させる。
その点で有機の石灰は、過剰投入しても土が盤にならず根に優しい。

無機(質)の石灰(節介)
有機(質)の石灰(節介)

人間によるお節介が、真の意味で有機的であったなら、人と社会にとっては
大変有益的であり、無機質なお節介だったなら、またはお節介が不足していたなら
人と社会にとって無益的・悪影響を及ぼすということなのかもしれない・・。

そんなことを、土を起こし、額の汗をタオルで拭いながら感じた、春の一日でした。。
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