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2018年05月17日21:03

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“アーティスト”を真剣に目指したアイドル、その礎。

ん・・・驚いたのは勿論なんだけど、同時に色んなことが頭を巡り、
一言では何とも言い切れないほどの重たいものが・・。

メディアをはじめ、一般的にあるだろう“日本の歌謡〜芸能史”という視点は
既に溢れている感があるし、多分その方向性で語られるだろうことをもってして、
ここは微妙に角度をずらしてツラツラと。

彼を含む“新御三家”、戦後からある時期までの、日本の芸能〜歌謡界の中で
一つの転換〜昇華しゆく時期の礎ではなかったかと思うけども。
演歌やムード歌謡らにある「大人視点の音楽」から始まり、
プレスリーなりビートルズなりの世界的影響力によって、日本ではグループサウンズの
ムーヴメントが、およそ未開拓だった若年層を一気に取り込み・・

そこを突破口にする格好で、ビジュアル要素を盛り込んだ「アイドルカテゴリー」が
象られていったわけだけど、西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎の三人は出自の背景に
各々の異なりはあるものの、基本である歌唱力や表現力等の「芸能要素」が
最初から総じて付けられていたと言っていいし、それ以上に各々のベースにあった
“音楽観”が、後に続いていく様々なシングル曲を歌っていくにあたり、
皆特段の無理や違和感なくそれぞれのモノにしていった主な理由ではないかと思う所。

その「音楽性」は各々で方向性や嗜好、特性は違えど共通するのは
更に影響力を増していた「洋楽」が基礎にあったこと。
これ、正確に言うなら彼らに限ったことじゃなく、当時の時代的タイミングを
考えると、多くの歌い手や制作者は総じて洋楽にあるエッセンスを多分に盛り込もうと
意識されてた所があったのであり。

問題は、出来上がった楽曲や放たれるパフォーマンスらがちゃんとしてたかどうか。
その点で、新御三家の面々によるそれは、現代の類似する立ち位置・・
即ち「アイドル領域」に位置するタレントらと単純比較した時、
改めて「音楽性がしっかりしていたアイドル」だったことがわかって来る。

それはやはり、歌唱力や表現力というテクニカルな力量云々というよりも、
素地にある音楽観や感受性らの所に起因するのではないか、と思うのだ。

他方、当時の歌謡界は洋楽のヒット曲を日本語の歌詞に変えカバーする手法が
よくあったし、彼ら三人も時期は違えど例外なくその術に従った。
西条なら「YMCA」や「ケアレス・ウィスパー」、郷なら同じく「ケアレス・・」や
少し後の「GOLDFINGER 」、野口はずっと後になるものの「愛がメラメラ」など、
楽曲そのものだけじゃなく、曲調やサウンドの髄等などに洋楽にあったエッセンスが
色濃く反映されていた。

歌い手自身と制作陣・・。両者が当時の洋楽シーンに感化されつつ純粋に追いかけ、
日本の歌謡シーンや自身のカラーに融合させようとしていた・・
但し、皆が巧く嵌ったり成功したわけじゃなく、結果的にただのパクリに終わって
見えたり、無理のある作品やパフォーマンスが少なくなかったのも事実。

個人的には、彼らが絶頂の人気にあり突っ走っていた頃、やはり洋楽からの影響が
大きく、日本の音楽シーンに目もくれなかった時だったし、洋楽曲をカバーしヒットする
様子を尻目に「ただのパクリ」だと捉えていたフシもあった。

その一方で、シングル曲ではないアルバム収録曲や、アルバム自体を切り取って
つぶさに観ていくと、連発するシングルリリースの「売れ路線」とは異なる、
真剣に“アーティスト性”を追求せんとする所が随所に見え隠れしていたんであり。

その一端として、野口の場合はギターを通したフュージョンテイストだったり、
郷の場合はポップス性により特化したり、そして西条の場合は情熱的なロックテイスト
だったり、必ずやどこかに当時の隆盛下にあった洋楽のフレーバーが
しっかり存在していた。

とりわけ三人共合致する時代的な尺度〜テイストとしては、彼らが絶頂だった
時期にあったポップス・・即ち“AOR”、“シティポップス”の色合い。
数多い彼らのシングルナンバーには主だって観られないといっていいが、
アルバムには結構多く見て取れる。特にクレジットまで追っていくと、
プロデュースや作詞作曲、ミュージシャンの起用らには
ツワモノ揃いな凄い作品が何気にあったりする。

これ、単に時代的なムーヴメントとかタイミングだけの話じゃなく、
三人それぞれは単なるアイドルスターの領域に満足してるわけじゃない・・
ということが透けて見えてくるのだ。

この辺り、彼らが絶頂期に熱狂的だった、主に女性ファンや芸能領域の中での
広く浅いファン層にとってどれだけ理解と周知がされていたかは、正直疑問で
物足りなさがあるのは事実で、シングルヒット曲の羅列や広い芸能活動の中では
どうしたって埋没している部分であるのは否めない。

しかしその一方で、彼らの長きに渡る芸能~音楽活動を眺めるに、
そしてアイドル期以降にある各々の音楽遍歴をよく見ると、アーティスト性を
より先鋭化したい欲求は皆強いことがわかる。つまり、彼らは皆キャーキャー騒がれる
アイドルとして極めたかった、または目指してたのじゃ決してなく、
シンガーやプレイヤーとして・・アーティストでありたかったんだろう、と。

西城秀樹の場合、何と言っても熟練の域での大病によって本来抱いていた、
アーティストとして目指す道筋や世界に狂いが出たり、世界観自体が
大きく変わったかもしれず、その点で本意であったかどうかは定かじゃない。
あるいはその人生観の変化によって、野口や郷が抱くアーティスト観と同列に
観ることは不適当だったりするかもしれない。

けれども、だからこそ晩年での、復活後による確立された音楽観が
如何なるものになったか・・別な視点で感心や興味は湧いたし、その意味でも
残念であるのと同時に、他方では現在の日本の芸能〜音楽シーンの内容は、
当時と比較した時果たしてどうなのかを、この突然の訃報をもってして
今一度提起させているような気がして来る。

追悼の意味で、ここはやはり上記に関連した“隠れた高品質作品”を挙げたい。
この楽曲が収めらたアルバム、彼が唯一英記の“HIDEKI”名義で、
しかもジャケットには一切彼の写真や風貌を載せないという、
かなり「アーティスト」を意識した作品。制作陣には角松敏生、吉田美奈子、
芳野藤丸等など、当時ハイセンスなシティポップスシーンを下支えしていた連中で固め、
“アーティスト・西城秀樹”を強く訴求しようとしていたアルバム。
このサウンドのキレ、締まり具合、都会的エッセンスたるや・・

因みにこのアルバムにせよ、野口や郷によるこの類のアルバムは、
AOR系や“和モノ系シティポップス”ファンからも高く評価されるばかりか、
近年欧州をはじめとした、再び静かなムーヴメントにあるAOR市場にて、
外国人に拠るコレクターまでもが血眼になって盤を漁って来た事実にある。

このことを日本の邦楽ファンや当時のアイドルファンばかりか、
送り手である今の音楽業界がどう捉えるか、だ。。

「Halation」 by Hideki Saijo


西城秀樹さん死去 63歳 最期まで「生涯歌手」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5114520
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