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2018年05月01日03:49

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あの“猫達”がいなくなった・・。

以前記した、ふるさとの街にある叔父の家で飼っていた猫のこと・・。

今年1月下旬、叔父が老人ホームに居を移し、残された二匹の兄妹猫・・
(いや、姉弟かもしれない)彼らをどうしようかと、当時から限られたツテで
何とか新しい飼い主を・・として来たが、どれもダメで滞っていた。
だからといって処分するなんて選択肢は何らもなく、諦めずに地道に・・と。

とは言うものの、最も寒さが厳しくなる1月から春の日差しが感じられるまでの
およそ2ヶ月程度、奴らをどうやって繋ぎ留めるか・・
幸か不幸か、奴らは子猫の状態で誰かから“飼って欲しい”と懇願されて譲り受けて以来、
一度も暖かい家の中で飼育されたことがなく、隣接する納屋を寝床に
およそ5年程度生きて来たので、主のいない家や周辺であっても、その点では
一応特段に心配はなかったのでもあるけれど、さりとて誰もいない敷地で
果たして大丈夫なのかが、とても気がかりにあった。

問題は「餌」。寒さを凌ぐにも・・いや、餌がなきゃ幾ら丈夫でも
生き延びるのは無理なわけで・・そこで、苦肉の策として取り敢えず
一番大きなキャットフードを2袋購入し、普段使っていた餌用の皿二枚に
それぞれ山盛りに。残りは袋の口を開けた状態で横倒しにし、
足りなくなったら何時でも潜って食べられるようにして、最後家を離れた。

その後二週間ほどしてから、所用のために再度家を訪れ声を掛けると、
厳寒の中彼らはいつものように、納屋の上にある資材置き場からひょこっと顔を出し、
柱をつたって元気よく駆け下りて来た。その時観た餌の量はさほど減っておらず、
“この減り方だと、一袋は約一ヶ月程度持つかな・・”という感じだった。

その日を起点にしつつ、それからまた一ヶ月ほどして様子を見に行った。
それには何より、餌は勿論のこと、その後に降り積もった雪のせいで、
入り口が塞がって外に出ることが出来ず、下手すれば凍死しかねない・・
という心配が強くあったからで。

農村地域の元農家で、生活道路から約2〜30mほど入っていかないと家や納屋には
到達出来ない環境。叔父が住んでいた頃は、トラクターで除雪をして道をつけていたが、
既にもういないため家までの道は車が入って行けず、生活道路に停めて
あとは雪を漕いで納屋へ。奴ら、果たして生きてるのか・・と思いながら。

案の定、出入りのために僅かに開けておいたシャッターは雪で塞がっており、
こりゃマズい・・と思いきや、横に付いている出入り用の扉が何故か開いた状態で、
そこに雪が吹き溜まり、結果的に開きっぱなしで固定されていた。
そこには僅か猫の足跡らしきものが確認出来るものの、何時のものかわからず・・

中に入りいつものように「おーい、お前たち、いたかーー!?」と叫ぶと、
上の階からひょこっと二匹が顔を出した。生きてた・・・
その瞬間、正直涙が出そうになった。冷静に考えれば、奴らはそうやってずっと
生きて来たわけで・・。ただ、幾らちゃんと手厚く飼われて来なかったとはいえ、
家には人間が居て、適当ではありながら餌は与えられていたのだし、
周囲を自由に行き来することも、穏やかな日は陽の当たるベランダで暖を取ることも
出来ていたことを考えると、それらが殆ど出来ない状況下、冷気の籠もる鉄製納屋に
半ば監禁状態だった彼ら・・幾ら丈夫で鍛えられてるとは言え、こんなことは
生まれて初めてなわけだから・・。

凍れが一番きつい1月から2月を丸々乗り切り、3月の初旬を取り敢えず迎えられた・・。
肝心の餌は、ちょうど一袋が残り僅かな所。なので食べることだけはどうにか出来た、
と観てもよかった。なので、予備として購入しておいたもう一袋を開けて、
新たに更に盛り付け残りは前回同様に。そしてその際には新たに買った
缶詰の別な餌と、1リッターの牛乳を2つに分けて与えてあげた。
缶詰の方が珍しく初めてだからだったのか、一目散にガツガツ食べていた。

良かった・・生き延びてくれていた・・。こんな厳しい条件下、誰もいない所で、
人間に置いてきぼりにされた中で彼らが、兄弟寄り添って生きてくれてた・・
その事実を前にして、改めてこみ上げてくるものがあった。

元々人間にちゃんと可愛がられ大事にされてないからか、いつも何処か
寂しそうな表情に感じてた奴ら・・オス猫の方は少し警戒感をいつも持ち、
簡単には触らせないけども、だけど人恋しさを漂わせながら近くには寄って来る。
その距離も、回数を重ねる内気がつけば随分と近くになった。
メス猫の方は割とすぐに触らせるようになり、昨年末からは自分が行くと
喉をゴロゴロ言わせ、動く先何処でも付いて来るようにもなり・・

ともかく、これで一番心配だった厳しい冬はどうにか超えられ、残りはもう
日に日に暖かくなり春へと一直線。雪も徐々に溶けていくに従って、
外へも楽に出ていけるようになるし、春の陽に当たることも出来る。安心した。
次はまた約一ヶ月後の、4月初旬頃に様子を見に来ようと・・

しかし、自身による予定外の引っ越し等などもあって、その初旬には行けなかった。
一段落ついたら即・・と思いながら、中々思うように都合がつかず
とうとう4月も末に。気になって仕方がなかった反面、寒い冬は乗り切っただろうし、
仮に餌は底をついたとしても雪解け水や、周囲は田園地帯ゆえ、逞しい奴らなら
何かかにか餌になるものを探して生き延びるに違いない・・
そんな彼らの生命力に期待や依存をしていたフシがあった。

つい先日、時間が少し出来たのを見計らって車を走らせた。
道中不安半分、されど奴らならきっと大丈夫だ・・と思いながら。
先ずは奴らの姿や様子を確認し、それから新たな餌を購入しようと、真っ直ぐ家へ。

すっかりもう周辺は雪が溶け、車も夏場のようにすんなり入っていけた。
今迄なら、車で入っていくと何処からともなく彼らが飛び出して来て、
車の回りをうろつくのだけど出て来ない。少し不安になりながら、
開いたドアから納屋の中に入り声を掛けると、いつものように上から顔は覗かせない。
何度呼んでも、何処にもいない・・

餌の皿を観ると一粒も餌はなく、横に置いておいた残りの袋ももぬけの殻に。
“餌が、食べるものが尽きたのか・・”。 瞬間的に、もしや・・と慌てて
上の資材置き場に駆け上がり、少しでも暖を・・と敷いてあげた毛布をはぎ、
周囲のガラクタをどけて奴らの姿を探した。いない・・降りて納屋の隅々まで探すも、
気配がまるでない・・

納屋の外へ出て、納屋や家の周辺、庭やその前に連なる防風林の所を少し探すも、
やはり気配らしき気配がない・・途方に暮れてしまった。
餌がなくなったことで、もしや何処かで餓死してしまったのか・・と。

だけど冷静になってよく考えれば、元々家猫のように飼われておらず、
半ば好き放題自然の中で生きて来たタフな猫ゆえに、餌がなくなれば自ずと
自分の力で求めて彷徨うはずだろう、とも。

近隣は住宅地ではなく農村部。隣は畑を挟んで4〜50mの所に農家があり、
向かい側には生活道路を挟んで一軒の農家がある。
もう少し範囲を広げると、その区画には数百メールの範囲に同じく農家が数軒所在。
周りを見ると、春耕期を迎えて育苗ハウスや本格農作業の準備の様子が見て取れる。

隣の農家では、割と手広く営農を行っていることから、ハウスの数がやや多く、
育苗のための肥料や資材を用いており、その「臭い」が漂ってるはずで、
加えて各種の農業ゴミや生活ゴミ等も、雪がもうないので顔を出しているに違いなく。
それらを求めて奴ら、出掛けているはずだろうと・・
けれど、それが確実にあって確実に口に出来ている証拠も保証もないわけで・・
ならば、更に遠くへ・・ということも普通に考えられ・・。

一体何処へ行ったのか。問題は、そうやってどうにか生き延びていたとしても、
元の場所に戻ってくるのかどうか・・そんな奴らの立場になって考えれば、
ただの一つも餌がもうない場所に、ましてや主がずっと帰ってこず、
自分のような人間すら待っても来ないことを前にして、そんな場所に
再び戻る動機もきっかけもないんじゃないか・・

奴ら、旅に出たんじゃないか・・と。そう考えると、尚更切なく物悲しさに襲われ、
しばし立ちすくんだまま動けなくなってしまった。
良い方に考えるなら、そうやってでも彼らがどうにか生き延びることが出来たなら、
あるいはそんな状態を前にして、何処かの優しき農家さんが餌を与えてくれてたり、
もっと都合よく考えるならそのまんま何処かの家で飼ってくれたなら、
寧ろそれは彼らにとって幸せなことかもしれない・・などと。

これがもし一般的な住宅街だったらどうなっていただろうか、とか・・
あるいは辺鄙な農村部、昔から皆が雑で野良猫に対し敵対視する様相にあったなら、
もっと過酷な運命・・いや、最悪の結果でさえあり得てしまう・・
野良犬と違い、律儀に通報して云々・・という土地柄でもないので、
その点での変な恐れは少ないものの、だからといって今度は恵まれた環境に・・
なんて保証は何処にもないわけで。

何処かで野垂れ死んでいる・・なんてことは考えたくもない。
だけどそれは人間である自分の、都合のいい勝手な解釈なんだろう。少なくとも
奴らの身になれば「勝手な言い草するな・・」と言われても仕方がないのだ。

彼らは、少なくともこの二ヶ月弱の間、その前に二度餌を与えに来てくれた自分を
あてにし、待っていたことは多分間違いがない。それを考えるなら、
彼らは主なきあの家にて、残された僅かの生きる希望が自分だったのであり。

そんな彼らからすれば裏切られた、突き放されたと取られたとしても仕方がないのだ。
絶望と落胆の末、彼らはあそこを後にし彷徨い旅に出た。または居を移しに出た・・
もし最悪の結果になったとすれば、これはもう自分のせいだ。
予定通りもっと早くに行けていれば、多分彼らはあの場所で待っていたはずだ。
なのにそれが出来なかった・・彼らにしてみれば、人間の都合なんて判るはずもなきゃ、
受け入れる道理も何らない。

そもそも、基はと言えばろくに大事に可愛がることもないのに、誰か知らないが
生まれた子猫をどうにか貰って欲しいと頼まれ、安易に引き受けた叔父が悪い・・
ということは時々面倒を見ていた、姉である母や親類からも異口同音に言われて来たし、
自分も全く同様に思って来た。挙句の果て、肝心の叔父は猫の処遇について一切の心配や
何らの手はずを取ることも考えることもなく、自分だけのうのうと、
上げ膳据え膳の老人ホームへと行ってしまったという、無責任の極みに元凶がある。

けれども。それはあくまで人間の世界の、人間の中での理由や事情だけであって、
生き方や運命を自分で考え選択出来ない動物にとって、微塵も責任がないことだ。
責任がないばかりか、だからこそ人間がちゃんと考えてあげて、出来うる限り
穏やかな一生を送らせるための責務が全て人間側にある。

だからこそ、事情や背景・経緯がどうであれ、手を掛けどうにかしようとした
自分に最後の責任がある。たとえ人間の世界では、最初の飼い主である叔父が悪い・・
との見解や結論がつけられたとしても。彼ら猫達にしてみれば、そんなことは
知ったこっちゃないのだから。

自分の中では、動物が殊更大好きであることを基にして、これまでどんな場合でも、
どんな対象の動物でも最善を尽くして愛着を持って来たという、自負心みたいなものが
あったと何処かで思っているフシがある。この度の叔父に関する一件の数々でも、
その前には同じく叔父が飼っていた老犬の処遇に際し、いち早く先ず犬を
救うべしとして動き、幸いにも近親のいとこが快く飼ってくれる所まで持っていき、
そのことで「諦めずにやればどうにかなる」とし、老いていることと犬という
難しい条件をクリア出来たんだから、ずっと若くて犬より手が掛からないだろう
猫達ならば、犬よりは容易いはずだ・・という何某かの楽観が
何処かにあったかもしれず。

だらかゆえ、この厳しい冬をどうにか延命させられれば、次の冬までには
きっと誰かに飼ってもらえるだろう、という楽観視が・・。
その“延命策”は、これも単なる「人間のエゴ」であり、あるいは人間のご都合主義
だけだったりするのではないか・・とさえ、今頃になって思い抱いてしまった。
実は、本当は彼らにとってその行為自体が余計なお世話だったのじゃないか・・とか、
あるいはこんなことになるんだったら、もっと早くに何処か辺鄙な所へでも連れてって
放してくれた方がよかった・・と思ってるんじゃないか、とか・・。

どうであれ、彼らはこの世に生まれて直ぐ、人間の都合で親から引き離され、
その都合で再び適当な人間に身を預けられ、一度も手厚く可愛がられることなく、
人間の情愛を深く受けることなく、それでもその人間を頼りにしたにもかかわらず、
捨てられるも同然で置いてけぼりに遭い、挙げ句どこぞやの人間に餌こそ
一時期与えられるも、充分に補完されることなく行く末を決めてもらえないまま、
自力で生きる道と術を持つしかないまま、遂には仕方なく彷徨い始めた・・

考えれば考えるほど、奴らが不憫でならない。しかし、それも奴らからすれば
「ふざけるな・・」だと思う。最初の主がどうだとか、貰い先の叔父がとか関係なく、
同じ人間側として、奴らに対して何と詫びたらいいのか・・どうしても言葉がないのだ。
その不甲斐なさ、先に処置出来た犬のように出来なかった自分の能力不足・・
全てに情けなさが付き纏い、自己嫌悪に激しく陥るのだ・・。

最悪の結果になったという確証はない。その反面、生き地獄を与えてるとしたなら、
それもまた「罪」・・生きるも死ぬも地獄・・その意味では最も酷い
仕打ちじゃないか、と・・だから「せめて何処かの心優しき人に・・」なんていう
苦しい自己弁護的な所に逃避してしまうという、何と情けないことか・・。

もう、あの納屋へ本当に戻ってくることはないのだろうか・・
実の所、万に一つの可能性に掛けて、やはり近々に餌を置いて来ようかと
思い始めている。せめてもの罪滅ぼしのつもりで。彼らが何かのきっかけで
あの場所を思い出し、如何なる理由かで戻って来たことを考えて・・。
それぐらいしか今の自分に思いつく、出来る術がないことに腹立たしさを覚えながら。。
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