mixiユーザー(id:13658569)

2017年04月21日20:45

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これはちょっと感心しない・・。

以前もこの件についてはだいぶ触れたけども・・。

行政・司法方面にアプローチし、何らかの法的枠組みを構築してもらう・・
という点で、ずっと前からその必要性を唱えていたため、一歩踏み出した事自体は
相応に評価するも、『ライブ・エンタテインメント議員連盟』って触れ込みに愕然としたかな。

この内容の詳細まで見えないものの、“政治家のみ”に懇願しているとすれば、
今後の成り行きを考えると決して良いこととはいえない・・と。

つまり、場合によって音楽文化が「政治に取り込まれる」という様相を何処かに呈する、
政治力学がエンタメ事業のどこかしかに介在してしまう・・という、
本来あってはならない有り様に変質してしまう懸念や危険性を感じてしまうわけで。

その意味で言えば、本当ならば「司法」の領域・・即ち法曹界を主体にしつつ、
政治家の入る隙間やポジショニングというのは脇の方で、
必要最小限の状態にしておかないといけないはず。

少し前にあった「演歌議連」なるものもそうだったが、
大衆音楽や文化の分野というのは、出来るだけ政治や権力と遠い位置になければ
理想的な育まれ方や普及には至らないものであって、広く歴史の隅々を観れば
それを指し示す事例は少なからずあったわけで・・。

当初から政治権力へ主に委ねるような格好になれば、斬新な事業展開や思案を
常々要するこの分野にあって、時に公権側に“お伺い”を立てねばならないかのような
状況が生まれる、あるいは「頭が上がらない」かのような下地を作ってしまう恐れがあると。

如何なる状況下であっても、大衆文化事業の中に
政治権力が介入する余地というのを講じてはならないのであり。

展開や成り行きによって、どこかの段階で政治力が必要になることはあろうものの、
とはいえ、政治権力に阿るようなスタートを切ったというのは感心しないねぇ。

下手すると、日本のライヴエンタメ事業や音楽文化全体が、
いつか気がついた時には縮こまった状態に“実質低下”してしまうかもしれない。

いかんよ、こりゃあいかん・・・。


チケット転売&ダフ屋対策、法整備に本腰 サカナクション・山口が切実訴え
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=4539041
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月24日 18:54
    業界事情について、非常に精緻なご説明をいただき、正直大変勉強になりました。

    今回いただいた返信の中で「この分野での実態則との勘案が不十分」との一節がありましたが、実は、この点に対するスタンスの違いが結局のところポンファさんと私の主張を分かつ理由なのだろうとの理解に至りました。
    ご指摘もいただいているとおり、私は、これまでの芸能興行の歴史や現在の芸能興行の送り手側の実情、あるいは、その経営実態というものを、この問題を論じるに当たり考慮していません。また、そういったものを知る立場にもありません。

    別の指摘に

    > TPPにあるような農業についての経済性と、食料自給の概念性との議論のように、
    > 背景に従来の特殊な技術要件や特有の要件等を絡めた時、
    > 大なり小なりの特殊性を排除することは事実上不可能ですが、
    > それを持ってしてすべからく「閉鎖的だ」という論調と、何処か共通するものさえある

    というのもありましたが、全くそのとおりだとは言わないものの、私の考え方の基盤には、どちらかと言えば、各産業の特殊性を背景にした特例措置を極力排除すべきとの思想背景があることは確かです。

    現在の我が国の経済・社会制度(法令を含む)には、現に多くの特例措置(取引規制や税制上の特例措置等)が存在しますが、そうしたものは、制度が導入された時点では、一定の合理性を有している場合が多いものの、時の経過に従って、利権化し、既得権益の源泉に往々にして堕していくという実情があり、役割を終えた産業や企業を延命する一方で、新たな成長産業やライフスタイルの伸長を抑制するなど、資源(ヒト・モノ・カネ)の最適配分に歪みをもたらし、人々の経済厚生を損ねる要因となっていくケースも少なくない。
    そして、一度導入された特例措置は、規制対象となる産業側と規制する政治・行政サイドの双方に既得権益者を生み出すが故に、合理性を失った後も容易には廃止できない。
    ですから、人の生死や重大な人権の危機に関わるようなもの(ex.医療、教育、労働時間などに係る規制)以外は、特例や個別の保護規定を極力導入すべきではないというのが、考え方の基盤にあるということです。

    もう一つのポンファさんと私のスタンスの相違点として思うのは「価格」の捉え方でしょう。
    私は、価格に「良い価格」も「悪い価格」もなく、「正しい価格」も「誤った価格」もない、という立場に立っています。価格形成の過程に外部から余計な力を加えるべきではないという考え方です。先述の「特例措置」と同様の理由ですので、人の生死や重大な人権の危機に関わるようなもの以外は価格統制は行うべきではないという立場です。
    なお、「『麻薬の売人』の如き有り様」との言及がありましたが、麻薬はそれ自体が違法な物品なのですから、ご自身でもおっしゃっているとおり、この例えは乱暴すぎるでしょう。また、私は、先のコメントでも申し上げたとおり、2次流通の利用者の立場にいるものです。その意味では、時に高価であることは確かにお財布には痛いですが、そういう選択肢もあるということは正直ありがたいことなのです。(お前のようなやつはファンではないと言われるなら、それは甘受しますが)

    これに関連して、次のような言及もございました。

    > 電話予約等で朝早くから電話の前で陣取る、コンビニ端末の前で何度も
    > ボタンを連打する、プレイガイドに早くから並ぶ・・そうした健気な一般
    > ファンの労力について、出費の如何で差別化されることが本当にあるべき
    > 姿なのか

    一見もっともらしいと思われるわけですが、このような一面的な評価でファンとしての熱度がジャッジされるのが本当に公平あるいは、それに近いものなのでしょうか。

    世の中にはチケットの一般販売日である場合の多い土日に定常的な仕事を持っておられる方も数多くいます。本番開催日が土日なのはやむを得ないとしても、チケット発売日まで勤務日というのは、該当するひとにとっては2重の不利と言えます。例えば、そうした、それこそ特殊事情をもった個々人にも配慮して、なお公平に機会を与えるということになると、非常に複雑な配慮を施す必要があります(現在の販売システムには、そうした配慮はほとんどありません)。そうしたライヴのクオリティ向上に寄与しないことに人手や設備投資といった努力を傾けることが、まさに経済の観点で言う「資源配分のムダ」なわけです。

    (2につづく)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月24日 18:55
    (つづき 2)

    また、電話に張り付く、プレイガイドに並ぶといった行為、仮にそれに1時間を費やすとして、その意味するところ…1時間の価値は人によって千差万別です。
    非常に高い時間単価で働いている人にとっての1時間、受験生の1時間、無職の人の1時間、土日が公休の人の1時間、別途休暇を取得している人の1時間…、これらは等価とは言えません。単にその人にとってというだけでなく、そのチケット取りにより失われる時間を、もし別の用途のために費やしていた際に、社会に貢献できたであろう価値、いわゆる得べかりし利益の大きさが違うということです。
    それを十把一からげに「チケット取りに手間ひまかけた人のほうが愛情が深い、熱度が高い」などとジャッジするのは、あまりにも表層的な考え方と言わざるを得ません。

    さらに言えば、個々人の単位時間の価値の差異をさておくとしても、「チケット取り」という、その行為自体はなんら楽しくもなく、有意義でもなく、生産的でもない行為のために多くの人が多くの時間を奪われているということ自体、個人にとっても社会全体にとっても無視し得ぬ損失ではないでしょうか。
    そういう苦痛を消費者に強いて、その度合によって客を選別しようなどという発想をする業界って、ほかにあるのでしょうか?

    なお、客が奪われる「時間」に対する興行サイドの無配慮ぶりは、チケット販売だけではありません。会場周辺でのグッズ販売の、スタンディング形式ライヴを始めとする指定席ではないイベントにおける列形成・列整理の在り方、ひいては、そもそも、そのような形式でイベントを開催することの適切性・安全性も含めて、もう10年も20年も前から問題が指摘されているにも関わらず、改善する意思すら見せない怠惰ぶりに、現場の客はかなり疲弊しています(スタンディング形式のライヴなどは、金銭どころか、暴力が支配する世界の場合もままありますからね)。
    それでも、客がついてくるのは、取りも直さず「アーティストのパフォーマンス」という代替性の効かない商品に対する無制限とも言える熱意ゆえだと思いますが、興行サイドは、それに甘えて、ホスピタリティの向上にあまりにも無関心であるとの感想を禁じえません。

    少し話題が逸れてしまいました、戻します。

    「チケット取りの手間暇は一例であって、そうと決めつけるわけではない」という言い分もあるかもしれませんが、どんな基準にのっとろうと、売る側の恣意性を完全に排除することはできません。これは、わざと恣意的に…という意味ではなく、基準を選定する人間の価値観に依存するという意味です。

    では金銭はどうなのか、という話ですが。
    金銭というのは、湧いて出るわけではなく、皆、それを得るために何かを供出しているわけです。所有物を売る、労働力を売る、リスクを取って投資する、etc...。その手段は様々ですが、それを共通の尺度として変換したものが金銭ということなります。
    そう考えれば、金銭を供出するということは、その背景にある、その人が、その金銭を得るために犠牲にしたものを供出するのと同意義とも言えるわけです。

    さらに金銭の尺度としての優位性は、それを得る手段を法の許す範囲で問わないということです。
    つまり、チケット取りの時間で問題となる、個々人の事情による1時間の価値の差異といった問題を生じないということなのです。
    例えば、1次流通のチケット取りでは、指定された時間を拘束されますが、金銭を介在させることで、別の時間を2次流通チケットの上乗せ価格分のために供出する(働く)といった、選択肢の幅が広がるわけです。

    どんな職業にある人でも、また、合法的な範囲であれば、いかなる手段で稼いでも、千円は千円、一万円は一万円。そして同価値の如何なるものにも交換可能。この金銭の性格こそが、価値の尺度として金銭が広く用いられる理由であり、近代的な意味での「自由」(モノ・サービスを手に入れるのに必要なのは金銭のみで、原則として特別な身分や資格を必要としない)を人々に与えているのです。

    金銭による解決を良しとしない論者は、「金のあるヤツだけが手に入れられる」と問題視するわけですが、金銭が個々人の個性と能力に応じて様々な手段で稼げるものであるのに対して、チケット取りの手間暇というのは、そのような柔軟性がないのが最大の問題だと私は思っています。
    彼らの言い方に倣うなら、「暇なヤツだけが手に入れられる」ということになるでしょうか。
    これは、金銭による差異よりも、はるかに分断的であり、誰もその意図は有しないにしても、結果的に差別的ではないでしょうか。

    また、金銭を尺度とし、価値の決定過程を市場に任せることは、とても楽なものでもあります。

    (3につづく)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月24日 18:55
    (つづき 3)

    > 座席価値基準というのを広く興行全体に当て嵌めていくと、前方が良い席で
    > 後方が悪い席・・だとする定義にズレが生じるからです。例えば、傾斜のな
    > いアリーナ席の中間よりも、舞台の上手・下手何れかに寄ったスタンド席、
    > または後方の正面に位置するスタンド席の方が良いとする人もいれば、何が
    > 何でも、どんなものでも前でないと価値がないとする人もいますし、一般ホー
    > ルでもクラシック等の言わば「聞かせる・音や演奏が肝」とされるものは、
    > 前方のかぶりつきは寧ろ最悪で、二階席の前方、またはその直下に位置する
    > 場所が最善・・とする価値基準もあります。

    ご指摘ごもっともで、私も様々なジャンルのライヴに行きますが、いわゆる良席とは、アイドル系などなら、やはり前方、オーケストラなら1階席後方か2階席最前など、価値判断はまさに千差万別です。であればこそ、座席(ないしはエリア)を選択しながら、競合すれば価格で競り合うといったシステムであれば、売り手の主観を排し、売買両者とも何も考えなくても市場が自動的に価値を決めてくれるという意味で非常に楽であり、個々の公演の特性に最も適った価格設定がなされるという点でも優れているわけです。
    ネットが普及する以前は、技術・インフラの制約でこういった仕組みを提供することは困難であったでしょうが、現在なら、難なく実現可能でしょう。

    …とまあ、結局これまでの繰り返しになるわけですが、これらに賛同いただけないのは承知しております。私としても、オークション販売などは、ひとつのケーススタディとして提示している面もありますし、一応、意見の相違を認識した上でのまとめとして書かせていただきました。

    さて、これらの私の基本的な立場を確認した上で、ポンファさんが示してくださった芸能興行の事情が、特別な制度的配慮を必要かを改めて考えてみるわけですが…

    ポンファさんがおっしゃるライヴの特性は要約すればこんなところでしょうか。
    (私なりの理解なので、多少不正確なところはご容赦またはご指摘ください)

    ●一期一会で、個々の公演は代替不能のかけがえのないもの
    ●ステージと客席の相互作用により完成するもの

    理念としては、確かにそのとおりですし、また、そうであってほしいと思います。
    しかし実情はどうでしょうか。

    進行指示のみならず、歌詞や、あろうことかあいさつの台詞までプロンプター(舞台上モニター・ディスプレイ)に依存するような演者。(アリーナ会場で行うような集客力のある公演でも見られる事象)
    あらかじめプログラミングされた演出(Zeppグループなどは、全会場同一設定で照明等を運用できることで、ツアー開催を容易にできることを売りにしていると聞き及んでおります)。
    紋切り型のMCトーク

    (4につづく)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月24日 18:55
    (つづき 4)

    そういったものも、いまや決して少数例とは言えないのではないでしょうか。
    映像化されたライヴなどでも、演者がプロンプターに視線を度々落としているのがあからさまで興醒め…なんてのは1度や2度ではありません。
    プログラミングされた照明等の演出は、それはそれで費用はかかるでしょうし、精緻に計算された演出の良さというものもあるので、一概に悪いものとは思いませんが、少なくとも、一発モノ・当回限りという従来のライヴの特性が薄れる方向に働くのは間違いないところでしょう。

    ライヴも経済効率が追求されているのだなと…、ある意味では感嘆を禁じえません。

    しかし、このようなステージを度々見せられて、一方で「ライヴと白菜は違う」とおっしゃられても、正直ピンとこないのです。「そんなに違うかな?」と。
    「近年CDの販売減少等もあるとはいえ、ライヴ事業は右肩上がりにある」
    もちろん、この議論に参加する以上、その程度の基礎知識は私も持っているわけですが、昨今のライヴの定型化、様式化を見るにつけ、
    そりゃ、こんなふうに「効率的」に大量生産すれば、事業拡大もできるだろうな…程度の感想しか持てないわけです。

    ファストファッションという言葉ありますが、昨今のライヴの中には、相当数ファストライヴとでも言うべきものが含まれているように思えてなりません。

    それから、これも一例ですが、数日前に発表された某イベントの参加要件は次のようなものでした。

    ●入場券を買って某作品展示会に参加
    ●展示会内のグッズ販売3,000円以上で抽選券1枚進呈
    ●抽選券枚数分の抽選参加権→当選でキャストトークイベント招待

    これなどは、形式的には「タダイベ」です。あくまでもグッズの対価を支払うだけですから。しかし、イベント目当てでの高額消費狙い(無駄遣いの誘発)なのは、まあ、誰の目にも明らかなわけです(イベントのコストがグッズの価格に乗っていると考えれば、タダとも言えませんし)。学生のお財布にもやさしいリーズナブルな価格設定…、やはり虚しく聞こえてしまいますよ。タダより高いものはない…ですね。
    この場合などは、本人確認がなければ、当選券が2次流通に出回るでしょう。グッズに関心が高い層とイベントに関心が高い層は完全に重複しているわけではないので、消費者にしてみれば、2次流通の中間利益を支払ってでも権利を融通し合う方が、バカ正直に抽選に参加するよりもリーズナブルなケースに該当する可能性が高いでしょう。
    理屈からすれば、当選券が全枚数捌けた時点で、当選券見合いのグッズ売り上げは実現しているわけですから、2次流通が主催者に与える経済的被害はないわけですし、高額の2次流通で以後の興行に悪影響というようなケースでもありません。しかし、このような場合でも、少なくとも建前上は譲渡禁止が謳われます。これで一体誰が幸せになるのでしょう?
    もっとも、このケースでは、自分で当選するまで抽選に参加して不要なグッズを2次流通に回して資金を回収すればいいのかもしれませんが…(苦笑)、まあ、いずれにしても、このような露骨な拝金主義商売は、イメージを損ねますよねぇ。このように、2次流通がもたらすイメージ被害(2次流通は、むしろ感謝されるでしょう)よりも、主催者が自ら悪評をばらまくようなケースも珍しくない実情もあります。

    また、そもそも、このケースは、資金を投入すればするほど当選確率が上がるシステムですから、事実上、オークションをやっているのと大差ないとも言えるわけです(座席は選べませんが)。

    (5につづく)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月24日 18:56
    (つづき 5)

    そんなのは一部と言われますか?
    しかし、申込権シリアル封入商法も、構造的にはこれと同じですからね。
    考えてみれば、隠れオークションは既に行われているということですよね。但し、金だけ吸い上げられて(申込権の取得費用が2次流通価格より高額出費になるケースもままある)、座席が選べるわけでもなく、消費者にほとんど旨味がないという点で、2次流通業者より、はるかに悪どい印象しかありませんが。

    こうした現実に鑑みるに、少なくとも、芸能興行=文化事業という錦の御旗を掲げるのは、いささか違和感を感じずにはいられません。

    ところで、ポンファさんの日記本文についてなのですが、
    実は、コメントのやり取りをさせて頂く以前から、これは読ませていただいておりました。
    転売規制についての意見の相違はさておき、コンテンツ産業への政治介入の懸念については、完全に同意します。

    私は、政治業界(苦笑)を身近に感じる場に身をおいているのですが、昨今、コンテンツ産業に対する政治・行政の関心の高まりは、従来にないレベルに達しているように感じます。
    記事にあった議連のみならず、某政権与党は、クールジャパン戦略推進特命委員会なる場にコンテンツ産業の著名人(角川歴彦氏、庵野秀明氏、YOSHIKI氏、川口典孝氏(「君の名は。」プロデューサー)、真木太郎氏(「この世界の片隅に」プロデューサー)など)を招致し、さかんに勉強会を開いています。

    まあ、製造業に代わる輸出産業、あるいはインバウンド需要の喚起のために、コンテンツ産業の振興を図りたいということなのでしょうが、正直ありがた迷惑感を否めません。

    彼らの動機自体はあるいは純粋なものかもしれませんが、目的が何であれ、公権力が大衆文化に近づくのはあまり気持ちのいいものではありません。また、先述とも被りますが、当初の目的が適切であったとしても、時が経ると無用なシガラミのみが残るという懸念もあります。
    この点、引続き、注意深く推移を見守り、警戒を怠らないようにする必要があるでしょう。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月26日 17:42
    ありがとうございます。
    まず、こうして真摯にそして時間を割いてこの対話に対峙してくださったことに心よりの感謝を申し上げます。mixiのような昨今のSNSでは、この対話の場が、相互の庭先へのコメントという体裁を取っていることもあり、どうしても遠慮がちな、なれ合い的な会話にとどまることや、そこにも至らず、ただ自己の日記で言いっ放しになることが多い中、こうして、かつてのパソコン通信の時代を彷彿させるような真剣な議論ができることは望外の喜びです。
    また、ご自身のご経験を踏まえての具体的かつ実証的なご考察とご主張は、私にとって大いなる学びになりました。

    ご推察のとおり、ポンファさんが音楽興業の送り手側で何らかの担い手でいらしたのであろうことは、なんとはなしに感じておりました。また、それ故に、あえて、これまで受け手として感じていたことのいくつかを、ぶつけてみたいとの思いに駆られ、かなり無礼な物言いに至った部分もあったことについては、ご寛恕いただければ幸いです。

    さて、逆に、ポンファさんもお気づきかもしれませんが、私は、経済(どちかと言えばマクロ的視点で)に関わることを現在生業にしております。もっともエコノミストなどという大層なものではありませんが、組織内シンクタンク的なところで、そういった分野の調査活動をしているといったところです。
    しかし、だからといって、市場万能主義とか新自由主義的な考え方に与するわけではなく、むしろ、そういった風潮に対して懐疑的・批判的な立場に立っていると、自分では思っています。

    こう言うと、これまでの主張と相容れないように思われるかもしれませんが、それは、どこを基準点として見るかという相対的な見え方の問題とご理解いただければと思います。
    (参照)
    http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959869602&owner_id=3284864

    > これは何もその理論(経済論理そのもの)が可笑しいというのではなく、
    > 上記のような潜在的・根源的なものが一切なく、まさに「机上の空論」的
    > な様相にあったため
    (中略)
    > 彼らとて音楽好きであったり公演鑑賞の経験があろうとは思うものの、
    > ならば尚の事「現場(ライヴ)で何を感じて来たのか」について寧ろ首を
    > 傾げた

    この問題に言及したエコノミストの内心は、私の知る得るところではありませんが、おっしゃるような原理的な経済の論理を投げかけたくなる動機のひとつには、エンタメ業界が主張する建前に対する冷めた視線があると思います。

    『理屈を超えた所の「エンタテイメントの中にあるパッション」や、誰彼身分問わず「大はしゃぎする」その根源』といったところを、エコノミストとて理解していないわけではなく、また考慮しなかったわけでもないでしょう。
    しかし、そういう、いわば「大衆文化・芸能の大義」とでもいうべきものを隠れ蓑にして、一方では、エンタメ業界もまた、(合法的な範囲で)手段を問わない冷徹な営利追求者ではないか、また、その時々で、建前の顔(大衆文化・芸能の擁護者)と本音の顔(産業としてのエンタメ業経営者)を使い分けている。そして、業界としての言わば政治宣伝を行う際には、都合良く建前の顔を掲げ、あまつさえ、他の業界では取り得ないような手段、すなわち大衆的人気を有するタレントを前面に掲げる。もちろん、これは、タレント自身がその主張に賛意を示しているのでしょうが、だとしても、大衆人気を盾に取って反論の封殺を目論む手法との疑念を招いてもやむを得ざるところではないかとも思うわけです。

    エンタメ業界からみたエコノミストの主張が冷笑に付されるのも理解はできますが、一方で、エンタメ業界が主張する「建前」に対しての冷笑もまたあり得るわけです。

    (2へつづく)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月26日 17:43
    (つづき 2)

    ただ、私も含めて、多くの経済視点の発信が冷めた視線を投げかけているのは、現場の演者やスタッフ、すなわちクリエイション活動に直接携わる人たちに対してではなく、業界の経営層であったり、業界団体の政治部門(そういう言い方がぴたり当てはまるセクションがあるかどうかはさておき、そういう役割を果たす機能)ということは付言しておきたいと思います。

    つまり、ポンファさんが例示された農業に例えるなら、現場でまさに農作業に勤しみ、創意と工夫を凝らして作物を育てている人を、「既得権益者だ」などと批判する人は少ないわけで、批判の対象は、現場の瑞々しいアイディアや、そうしたものを起点とした成長の芽を摘み、現場を支援するどころかスポイルしてしまっている業界団体の上層部(農業官僚と言って差し支えないと思いますが)であったり、その組織であるわけです。

    もっとも、そうした批判対象への理解そのものが完全ではない。実情とは違うということはあるのだろう思います。私も、こうして、これまで知りうることもなかったエンタメ業界のインサイダーの実情や担い手の思いの一部なりとも知ることができたことで、自己の理解や主張の至らない部分を知ることができたと、素直に喜んでいる次第です。

    それから、もうひとつの視点として、現場の伝統や慣行、そこに携わる人たちの実感を伴う意見は尊重されるべきだとしても、そこへの偏重が過ぎれば、時に弊害も生じるということです。
    そうした社会の共通認識の元に、国であれば会計検査院、会社であれば社外取締役のようなアウトサイダーがもの申す仕組みというのが整備されてきたわけで、しかし、それでもなお、最近で言えば東芝の経営行き詰まり問題に見られるようなインサイダーの暴走による経営の破綻のような問題も起きており、このバランス問題は、今なお発展途上にあると言えます。

    > 当然市場経済理論を基に横との繋がりを果たしつつ、また経済概念を柔軟
    > かつ大胆に取り入れねばなりませんし、結果の詳細如何は別にせよ、その
    > ような歩みの末に今があることは確か

    との言及にありますとおり、ポンファさんは、この点十分に考慮はされておられるでしょうが、そうであれば、アウトサイダーの、言わば「素朴な疑問や提言」を、ただ「実情を知らぬ者の戯言」と一笑に付するのではなく、虚心に向き合うことの必要性もご理解いただけるのではないでしょうか。

    > 実質的にその出費はチケット二次流通における高値出費と同等だ・・と
    > いうようなものにするとすれば、それはかなり無理筋というか、屁理屈

    それはそのとおりだと思います。私も、これを理由あるいは根拠にして、2次流通の正当性を主張しようなどとは思いません。
    これまで例示したような複雑怪奇なコンテンツ販売手法をあげつらった(あえて、そう言っておきます)のは、両陣営が、原理主義的に自己の正義と相手の非を主張するなら、重箱の隅をつつくような非難合戦になって、傷つけ合うだけじゃないですかというメッセージを多分に含んでいます。

    2次流通が、表通りに看板を掲げて行われるような晴れ晴れとした存在ではないということは、私も重々認識しております。しかし、一般に批判されるような組織的な転売業者が濡れ手に粟の荒稼ぎなどというのは、2次流通の中の、さらにそのまた一部であって、個人レベルの細々とした融通という側面が大いにあるということを知ってほしいと思います。(買い手の経験から、相手がそれを業とする者か、素人かはある程度判別がつきます、よほどの人気公演でもないかぎり、大挙して業者が出品というのはないというのが経験則から得た実情です。また、売買システム利用料込みでの原価割れリスクを考えれば、よほどの人気公演のみに絞らなければトータル(良席だけを選択的に引き当てることは、いかに業者であろうと不可能)で黒字をたたき出すことは、そもそも不可能であろうと思われます。)

    (3につづく)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月26日 17:44
    (つづき 3)

    ポンファさんのこれまでのコメントに「知人間の譲渡までは禁止されていない」といったものもあったと思いますが、ファンの中で、まさに、組織的に動いて、グループ内でチケットを融通し合うというようなのは、おそらく昔から連綿と行われてきたものと思います。
    しかし、イベント参加者の全てが、そういった仲間作りやコミュニケーションに長けているわけでもなく、また、そういった能力の長短によって、チケットへのアクセス性に差異が生じることが、少なくとも表立って正当化されるべきものでもないでしょう。
    そんななかで、多少高価でもても特定のエリアに行きたいと思う客、たまたま良席を引き当てたけど、自分は席にはこだわらず、むしろ少しでも費用を抑えたいと思う客、友人と重複申し込みして結果的に余らした客など、それぞれに異なる状況や欲求をもった個人同士が、特定のコミュニティへの所属や交渉能力に依存することなく、見ず知らずの間で互いに融通できるという機能を2次流通は担っているわけです。
    もしも、これを全廃すれば、ファンコミュニティの中で組織化の能力に長けた人々だけが、「上手いことやる」というような状況が生まれることは容易に想像できると思います。
    こうした組織的な、しかし表層化した2次流通システムには依存しない個人間融通が「知人間の譲渡」に該当するかという問題もありますし、かりに該当しないとするなら、真に「知人間の譲渡」と、組織的な融通との区別を峻別できるのかといった課題も当然生じます。

    もちろん、これらを防止するために、すでに言及もあったかと思いますが、1販売当たりの枚数を1枚にする、重複申込・当選を徹底排除する、本人確認を徹底して本人以外の入場は一切遮断するという方法はあるわけですが…

    また、公式リセールのシステムが代替するという目論みもあるでしょうが、先述したとおり、それぞれの客は多様・微妙な要望を有しているわけで、価格差を一切認めない融通というのは、それこそ現実の要請に対する机上の空論だと、私は思います。

    もうひとつ、
    1次流通価格の見直しを提案する、これまで話していない理由があります。

    それは、人気公演は、もっと稼ぐべきだという考えです。
    興業業界の人々が、価格を抑え、大衆文化の本義を守りたい考えていることは、それはそれで崇高だと思いますし、すくなくとも現場レベルにおけるその思いを私は疑ってはいません。
    また、私は、興業事業が、それ自体で現在暴利をむさぼっているなどと考えたことは一度もなく、これまで批判したコンテンツ販売手法も、利益の大小の問題ではなく、その手法の迂遠さ、姑息さを指摘したまでなのです。

    これは、芸能興業だけの問題ではなく、我が国サービス業全体の問題でもあるわけですが、どうも日本人は目に見えないサービスに相応の対価を支払うという感覚が欠如しているというか、そういう習慣がいまだに定着していない。そして、そのことは、実は、我が国の経済を図らずも不健全なものにしているのではないかという疑問があるのです。

    エコノミストたちは、昨今盛んに「サービス業の労働生産性を上げろ」と言うわけですが、私の肌感覚として、日本ほどきめ細やかなサービスが廉価で提供されている国があるだろうかと思うほど、我が国のサービス業従事者は仕事ぶりは献身的だと感じるわけです。しかし、残念ながら、そのサービスの対価を十分に取れていない。対価が取れなければ、如何に優良な便益を消費者に提供していたとしても、収益も上がらなければ、賃上げもできず、ひいてはGDPを始めとする経済統計にも表れてきません。
    こうした問題が端的に表れたのが、最近にわかに表面化した宅配事業だと思います。あれも、本来、再配達や時間指定といったサービスごとに対価を得られていれば、それだけで生産性は向上するわけで、当然、それを元手に賃上げをし、人を集めることも今よりは容易になる(今まさに、それに取り組んでいるようですが)。また、日本では、どんな廉価な店(例えば、牛丼店やディスカウントストア)でも、笑顔での丁寧な接客が求められる。そんなサービス料金は誰も払っていないにもかかわらず…。

    (4につづく)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月26日 17:44
    (つづき 4)

    こうしたサービス対価の行き過ぎたダンピングは、究極のサービス業とも言える、エンタメ業においても同様なのではないでしょうか。

    私から見ると、我が国サービス業の労働生産性が上がらないのは、働き方の効率問題ではなく、ひとえに適切な対価を得るようなビジネスモデルの構築を怠ってきた企業家たちと、サービスの過剰要求に慣れきった消費者の問題に他ならないと思うわけです。

    その観点から、「料金」ということに焦点が当たった今こそ、人気公演は、それなりの料金を取り、そうでない公演は、それなりの価格差を付けるといったメリハリを付ける好機ではないでしょうか。
    インサイダーが考える「大衆芸能」の有り様からすれば、あるいは、これも否定されるのかもしれません。しかし、「大衆芸能」の名の下に、こういった改革まで拒むとすれば、さすがに内向き論理、自己満足に過ぎ、自家中毒的症状を来しているのではないかとの不安も生じようというものではないでしょうか。

    もちろん、この問題は、本質的には一業種だけでどうこうできるものではありません。大げさに言えば、国民全員の意識改革の問題ですから。そういう意味では、それこそ、政治や財界のトップが音頭を取るべき課題なのかもしれません。
    ただ、エンタメ業、その中でもとりわけ舞台興業は代替不能で、価格弾力性が小さい、あるいはほとんどない商品であるわけですから、むしろ値上げの先鞭をつけてもよいのではないかとすら思うわけです。

    また、便益に応じた価格差について言えば、通勤列車の有料優等サービスなど、大衆的な商品であっても、それを受け入れる素地は徐々にではありますが、浸透しつつあります。
    ラーメン屋の行列を例にとっての大衆商品の性格については、もちろん感覚的には私も同感ですが、それを所与の前提として絶対視するのは、一種の神話化で、思考停止であるようにも思うわけです。(まあ、ラーメン屋の行列は、それ自体がエンターテインメントという見方もあるかもしれませんが(笑))

    > はっきり言ってそんなタレントは自身の中から抹消し(好きになるのを
    > やめて)支出すべきじゃない・・応援すべきじゃない

    これは…耳が痛い…としか言い様がないですね(苦笑)
    全くおっしゃるとおりだと思います。

    ライヴの様式化やプロンプター云々については、私も、本質的には、それを積極的にではないにせよ容認している(私を含めた)「客の責任」と以前から確信しておりますし、その旨の発言もしております(いちいち参照はしませんが、過去の日記等で)。

    ただ、客というのはアンコトローラブルですし、問題意識が発生しても、それを組織的に集約する機構を有しません。なので、ここは、送り手の自制といいますか、一層の努力に期待せざるを得ません。

    音楽に限りませんが、最近のエンターテインメント全般を見て思うのは、行き過ぎた「ターゲットマーケティング」の弊害…です。
    もちろん、全てがというわけではありませんが、客の顔色を伺いすぎる弊害が随所に現れているように思えてなりません。ステージ(画面)と客との心理距離が近すぎるネット時代のあだ花ということになるのかもしれませんが…(Twitterのフォロワー数がタレントの業務成績というような話すら聞こえてきますよね)
    私が最近常々思い、叫ぶのは「客の言うことなんか聞くな!」ですね。
    クリエイターには「客が面白がりそうなものを作る」のではなく「お前らはオレが作るものを面白がる!」くらいの上から目線で客に挑戦してほしいと思っています。

    なお、「プロのステージのあるべき姿」や音楽のあるべき論に関しては、ポンファさんにまったく同感で、それを固定的に定義づけようとは、私も全く思いません。(それにしても、プロンプターのチラ見を積極肯定する人はさすがにいないと思いますが^^;)

    最後、とりとめなくなってしまいました。
    ご容赦を。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月26日 18:50
    申し上げるのを失念しておりましたが。
    今回の議論での私からの発言は、これをもって終息とさせていただきたいと思います。

    繰り返しになりますが、私としては、非常に有意義な対話でありましたし、勉強にもなりました。ありがとうございました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年04月27日 18:24
    発信は終息としましたが、ポンファさんの熱い返信に対して無言というのは、我ながらあまりにも寂しいと思い、議論には立ち入りませんがご挨拶程度に一言だけ。

    改めて思うのですが、所変われば正義も変わるというか。
    そう一言でまとめるのは、乱暴で不正確であることは承知していますが、そのように思いました。
    もちろん、その異なる正義を摺り合わせていくのが人間の知恵というものでしょうし、私のような市井の者が何ができるわけでもありませんが、それでも、その立場なりに知恵を絞る必要を改めて感じた次第です。

    冒頭、リアルであれば…とありましたが、機会があれば是非にとも思います。
    エンタメ産業の投資サイクルの短期化とか、無節操なシンガーソングライター化など、私も、前々から強い関心をもっておりますし…、作り手の捉え方をぜひお聞きしてみたいと思っておりました。

    ありがとうございました。

mixiユーザー

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