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2017年04月18日16:41

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多くの命を救い、学ぶ方策。。

こうした経緯や取り組みそのものは大いに評価すべきだろうし、
単なる美談の一つとして終わらせることなく、もっと推進すべきだろうと思う一方で・・。

この件に限って言えば、相応の適正判断が成され、育成や試験という「関門」を突破して
初めて「延命」の道が開かれる・・という“平坦な目線”で捉えねばならないと思う所。

つまり、このことが映し出しているもう一つの現実は、延命にあたっては
尚も「厳しく一段高いハードル」がある・・ということ。
逆を言えば、多くの不適正にある犬達は、延命することが出来ずに殺処分されてしまう・・と。

乱暴にあえて言うなら、「優等生で頭のいい素直な犬以外は救われない」ことを示唆する、と。
そうであったとするなら、この美談で留まることが、あるいはこの施策を推し進めるだけで
本当に殺処分ゼロに関しての解決に向かうのか・・!?だ。

常々ずっと思って来たことがある。

犬や猫等のペット分類は、元来的に純粋な子供と同調したり、守ってくれる特性にある。
多方で子供のいる家庭で動物を飼うことは、情操教育の側面で大きな利点があり、
そのことは昔から共通認識にあるのは言うまでもない。

そんな状況下にあって、親(大人)の都合でペットを捨てることがあったとしたら、
子供にとって各種トラウマをもたらすばかりではなく、教育的見地そのものや
その後の人生観にとって良からぬものを派生させてしまう、非常に不適切なことである。

その辺諸々考えた時、「情操教育」や命のテーマ・教育という観点で、
そろそろ本気で「動物飼育」を学校教育に組み入れたらどうなのか、と。

無論、これまでも部分的にそうしたことを行って来た経緯は見て取れるし、
今もあらゆる形で実践している所は存在する。
しかし全体的に観た場合、満足の行く適切な充実度にあるとは決して思えない。

一方で、現代社会にある、命に関連する向き合い方やあり方を鑑みた時、
いじめ問題や各種現象を眺めれば、教育的見地での「命の教え」が不十分、
もしくは不健全であることから間接波及しているのではないか・・とさえも思えてならず。

命の教育は、幾ら教室の中で教科書を通じて教えようと、
論理的なことは表面的に何となく理解出来ても、本質的なことは中々実感し難いものでもある。
そう考えると、“実地教育”として動物飼育を行うことは、教科書以上の学びを得られる
大変有効的な機会であるはずで、そこから得られるものは何物にも代え難いはずだ。

取り急ぎWiki引用ではあるが、昨年度の小中学校数だけに特化すると、
合わせて3万一千弱存在する。単純に殺処分の恐れがある動物達を
各々1頭・1匹を飼育に振り向けると考えた時・・

現在全国の殺処分数の正確な数は不明なれど、単純に万単位の命が救われる計算になる。
現実には既に実践している所や、環境要件などの点で飼育教育が困難な学校がある・・
と考えたとしても、そこからある程度間引いても尚、多数の命が延命出来ることになる。
あるいは、高校まで含めてもよいだろうし、幼稚園まで拡大してもよいだろう。

子供が自分の手で、自分の目や感性で捨てられた命を育てる・・
このことで得られる学びは、おそらくとてつもない大きなものとなるはずだ。
そのことで本当に良い教育が成されるとしたなら、いじめ問題や自殺等にある、
現代の子供達に潜む深刻な病にあたっては、大きな処方箋、ないしは予防策として
機能する潜在的な可能性すら大いに秘めている・・と言えるのではないか。

単に動物を可愛がり命を大切にするというだけじゃなく、子供達自身が小さな命を救った・・
という自覚が持たれたなら、少なくとも今のようなギスギスした世の中や、
子供教育の環境にある諸々の不健全性は、現場から徐々に改善されゆく・・
という気がしてならないのであり。

これにあたっての費用なんぞ、なんぼのものか。
つまらない経費の数々や、教育委員会などの連中が飲み食いや
懇親する経費があるんなら、実践教育に投じよ、と。

今や教育勅語云々かんぬんまで、一部の層の大人達に拠る思惑で
現場を侵食すべく状態にあるが、そんな麗句教育なんぞより遥かに有効的な
実践策が幾らでもあるじゃないか。一体全体どこを観ているんだって話だ。。

■殺処分まぬがれ災害救助犬に 玄とモナカ、試験を突破
(朝日新聞デジタル - 04月18日 12:48)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4533070
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