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2017年04月02日14:36

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勅語にある部分的な教えを学ぶべき本当の対象とは・・!?

教育勅語に関する歴史的経緯、また憲法との関連性や国会でどのような推移を経て
否定されて来たかは、勅語にある本質的な部分と合わせて今更、

「勅語に書かれている内容がなぜ駄目なんだ?」

なんていう素っ頓狂な内容を恥ずかしげもなく口にする者はもういいだけ論外として。
もっとハードルを下げて、俗っぽい所で少し考えてみたい。
もちろん、本来一番肝になる「天皇」の部分を外すのは言うまでもなく・・

画像にある「十二徳」は現代語に直されたものだが、
言うまでもなくなんてことはない、ごく当たり前のことしか書かれていない。
(最後の“義勇”は除き)

じゃあこの内容、教育基本法が成立して以来今日まで蔑ろにされ、
学校教育の場を中心にして、あらゆる所で完全否定されたり別なものに置き換えられたりし、
その結果、現代までの子供全般に波及する何か著しい欠陥、ないしは惨状というのが
如何程表出しているのか・・?

そんなもの、冷静にみていけば特段「ない」。

学校や教師によって、それぞれ差や濃淡が発生するのは当然としても、
「親孝行」や「友愛」、「朋友」その他、戦後教育の中には一定して普通にあったわけで、
今更ことさら国が主導して強化するべきものなんぞ何一つない。

問題は、各々の項目に際し、現状での社会を背景にした子供の実態と、
背景にある学校や家庭教育との関連性がどれほどあるのか否か、だ。

例えば「孝行」に関連し、子供が親を殺めてしまうなんていう悲惨な事件を取り上げるなら。
その要因は、単に教育だけで片付けられない、収まらない複雑な構造下の中で
起こるものである。

ここには「親自身」による要因・・即ち、健全で安定した教育環境が取れていないという下地、
親類縁者や地域等にある“人間関係”が粗悪、社会にある間接的な阻害要素→
テレビや漫画等にある社会文化による何らかの影響、「サイコパス」のような
精神医学の概念に関連するもの・・

こうした複数要因を背景にした、一子供の不健全な成長実態は、
勅語にある教義なんぞで改善されるものではなく、社会構造や各種制度、文化面、
多様な人間関係に起因するものであり、これらはすべからく「大人社会自体の問題」であって、
ここが改善されないのに、幾ら崇高な教育を学校にて子供に施した所で何の意味もないわけで。

早い話、親がだらしがなければ子供には悪影響が及び、地域環境が劣悪なら子供に
悪影響を及ぼし、悪が勝るかのような描写のドラマや漫画に溢れていれば悪影響を及ぼす・・
これらの「複合体」が子供を蝕んでいく要因なんであり。

もっといえば、平気で嘘やごまかしをする大人や、司る政治や行政自体が劣悪なのを
放っておいて、学校教育だけで子供が健やかになるとでも思ってるんだとしたら、
よほど頭が悪いとしか言い様がなく。

子供の感性なんて、施政者や澱んだ大人の頭で考えるほど単純じゃない。
誰よりもピュアで敏感、ある面では誰よりも「素朴な感覚」を持っているわけでね。

片やスマホやPCで普通に広範な世界へアクセス出来る状態で、
親がそのきっかけを与え、コンビニ文化やファミレス文化が横行し、
土がなく食材の成長すら学べぬ状態で、学校が終わったら真っ直ぐ塾に走らせ
晩まで勉強漬けにせにゃならない環境下で、この勅語にある精神なんぞ、
どこに育まれる隙があるんだっての。

それに関連し、似非ウヨらが口にする「ゆとり教育の弊害」なんて、実はその指針自体が
問題なんじゃなく、親や大人社会の未熟、そこから派生する社会環境の不適切さが
絡んでのことだという、その推察力や想像力自体が欠如している所以であり。

今の子供、あるいは今後生まれて来る子供達が、今の社会環境の中で
勅語の教えなんぞまともに聞けるとでも思ってるとしたら大間違いでしょうよ。

これだけ多様な文化や情報に溢れてしまっているご時世、その中で見受けられる、
大人顔負けの屁理屈を容易に口にするのは、まさにその多様社会の弊害なのだ・・
とするんなら、閉塞的で前時代的な社会や文化に戻し、鎖国的な国のあり方にでもせん限り
大人のいいように子供が靡くことにはならんでしょうよ。

そこら辺についてまで洞察出来てない中で、勅語を普及すべしなんていう大人達は、
甚だ子供という存在を理解していないとしか言い様がなく、その最たる所に居るカルト組織
「日本会議」の連中やその意思を後押しするカルト政治家は、手前らが乱痴気騒ぎする
銀座での酒盛りをする暇があったら、自らの子供の家庭教育や、
学校や地域社会に足を踏み入れつつ、進学校やエリート校ではない、
ごく素朴な末端の環境にてよく観察し学ぶべきじゃないのかね!?

子供という存在は、「大人が思うように動くべきなロボットじゃない」という本質面と共に、
本来的に言えることは、教育勅語にある部分的な教えを学ぶべきなのは、
実のところ子供じゃなくて「大人自身」なんじゃないの!?という壮大なオチに、
はてさて一体誰が気づくのか・・。(遠い目)

■教材に教育勅語、否定せず 政府「憲法に反しない形で」
(朝日新聞デジタル - 04月01日 00:49)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4506476
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