mixiユーザー(id:13658569)

2016年07月08日15:20

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殺処分ゼロを目指すには・・

この手の記事に対するものはこれまでも書いて来たけれど・・
ホントにやりきれない気持ち、憤り、怒り・・色んなものが交じり合って気持ち悪くなる。

こうした事実を積極的に知らしめることは、既に以前からあったわけだけど、
残念ながら、それでも充分浸透するまでの域には達していないのだろうと思うところ。

これはやはり、関連界隈だけの知恵や努力だけでは及ばないことを指し示すもの。

あらゆる分野の産業発展や安全環境の整備など、時代の変化と共に
逐次構築されていくのに対し、この動物分野については異常に進化が遅い・・
と毎度感じざるを得ないわけで・・。

国はいい加減、動物愛護の分野について真剣かつ大胆な施策を取るべきじゃないのか。

地方自治体の保健所部門やボランティアらに丸投げせず、法整備や教育方針、啓蒙策等・・
諸外国における良い事例をも積極的に取り入れつつ、殺処分ゼロを目指すことは、
単に動物だけのことにとどまらず、人間の命に対するものを含めた「情操教育」に
大変プラスになることなはずだ。

更に引いて見ていけば、その教育は後の人生にも関わっていくものであるからして、
学校教育にももっと取り入れるべきだろう。その中に、捨てられた命を飼育する
「実践教育」を導入する。現にその手のことを行っている所もあるようだが、
全体的に見れば圧倒的に少な過ぎる。全国で義務的に行うようにすべき。

他に、こちらも今現に所々で散見されるが、全国の老人ホームで再飼育することも同様。
セラピー犬などのように、実に効果を発揮している事例が歴然とあるわけで、
人間の生活を潤すことと、動物の命を大切にすることは、寧ろ集団生活でこそ
より発揮されゆくものであることを示すものだ。

他方、自治体ごとにおける既存の対策ももっと強化すべく、
物的・資金的手当ても拡充すべきだ。

近年各方面における尽力の成果も徐々に実を結びつつあり、
殺処分ゼロが複数年続いている自治体が幾つか出始めている。
これについては率直に敬意を表したい。

しかし現実には、相当な労力と厳しい予算的なやりくりの中でようやく出来ていることでもある。
裏返せば、ここにあともう少し手厚い補助が成されるなら、
ゼロにどんどん近づくことが可能となる。

この予算は一体どれほどとなるのか・・
内容がある程度示されねば簡単には言えないだろうが、無駄な公共事業や
同類経費の数々の内の幾らかでもこちらに回すことは十分可能なはずだ。

何よりその経費の根本は、国自体が大きな施策を構築することで、
半自動的に「国家予算」として振り分けられることが可能となる。

仮に今数十億でも拠出されれば、一体どれぐらいの動物が助かるか・・

だからこそ大きな施策として国が理念を掲げ、広範な法整備を施しつつ、
細かな予算的・人的配分を構築することは、専門分野の創設や雇用にも繋がりゆく。

ペットショップの問題も含めて、「命の売買」自体が、
経済の枠組みに取り込んでいる事自体が、「捨てる(消費する)」ことをもたらしているのは
もはや否定のしようがないだろう。

命は元々「プライスレス」なのだ。値段などつけようのない代物だ。
そのことを、数々の手段構築と合わせてしっかり教育することが何より重要ではないのか。

「捨てられる動物を増やさない」為に成すべきは、「捨てる人間を増やさない」ことだ。

そのことを子供教育の段階からしっかりと教えこむこと。
命の尊厳を理想的に学び吸収されれば、自ずと人間社会の中でも健全な心が浸透しゆくもの。

“愛国心を持て、その為の教育を!”等と言う前に、目の前の無垢な命を救うことを
教えることの方が遥かに重要だろうが。

多様な命が共存共栄し、その集合体が国を形作っているのであって、それが本質だ。
国があってそこに命がある・・なんていうのは単なる「外観」の話だ。

一匹の犬や猫すら救えない、救おうとしない国が、
一人の人間ですら満足に救えるはずがなかろう。

いや、現にもはやそのことは悲しいかな、事実なんである。

もはや、末端庶民の資質、責任の範囲では済まないことなんである。


飼い主を最期の時まで信じながら、ガス室で死んでいく犬たちの現実
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=4082600
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