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2015年11月24日15:59

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老いと病と地域と・・

少し久々となりました。

父が倒れましてね。いわゆる「動脈血栓」。
部位は腸で、突然の激痛から地元の病院へ、そこでは治療不可のため
隣町の病院へ緊急搬送。状態により開腹手術の恐れも、
幸いにしてカテーテル処置にて初期で済みました。

心臓系同様、時間との勝負なので、命の危険も・・病院からも家族を呼んだ方が・・ってことで、
一週間ほど前の夜明け前、すっ飛んでったわけですけど・・。

思えば、ここまで約4年程度の間、入院は4度目。
1度目は直腸がんの手術、2度目が心筋梗塞、3度目がヘルニア、そして今回。

結局、心筋梗塞の際と同類の病状で、投薬治療を受けていても、
高齢と心臓機能の低下等が合わさってのことかなぁと・・
御年83にもなりましたし、さすがに今回は正直厳しいかも・・という思いもよぎりました。

それでいて、心筋梗塞時同様、初期治療だけで済みましたし、
今回は僅か一週間で退院したことを考えると、よほど運がいいのかもしれないと・・
一度目のがんも軽めで済みましたし、その意味では3度命拾いをした格好。

ただ、回を重ねる度に体力の低下、それに伴う気力の低下が少しずつ目につき、
毎回起こっていた「せん妄症状(一時的な記憶障害)」は今回もやはり発生、
今までで一番内容はよろしくありませんでね。

ただこれは、1〜2日程度で徐々に正常に戻りますし、病院を出て日常生活を送る中で
元に戻る症状ですから特段の心配はないと言われてはいるものの、
近年時々感じられる物忘れと相まって、痴呆のきっかけや始まりなんじゃないかと、
どうしても素人としては不安を抱くわけで・・・

その時の幻覚によるおかしな言動なんかを観てますと、毎度のように見ているとはいえ、
色んな事を考えさせられましたね。一時的とはいえ、あれだけ気丈・強気、
頑固で負けん気の強さの塊な人が、ここまでに至ってしまったのか・・と。

命に関わる病気は3度目だし、年齢のことなど含めてもそうなっておかしくはないし、
それについての慣れも出来ているはずなのに、やはり複雑で物悲しさみたいなものを、
今まで以上に感じたわけで・・。

以前にも書いたかもしれませんが、『老い』についての総体的な考察!?というか・・

退院して家に連れ帰り、横になって天井を見つめながら、
「今年一杯生きてられるかな・・・」と、ボソリとつぶやいた時・・

「オレはそう簡単にへこたれん」と毎度豪語してたのに。
歳を重ねても尚、呆れるほど鉄壁な頑固気質の人が、こんな弱音を吐くとは・・

退院直後で体力もまだ充分じゃない・・というのはあるけれど、
足腰も急激に弱り、歩くのも満足にいかない状態まで含めて、
本当に老いてしまったんだなあと・・。

ボク自身がいい大人になっても、なおも歯が立たないその大きな存在が、
ちょっと観ない間に随分と小さく萎んでしまった感があって、
老いそのものと合わせて、時の流れとか侘びしさとか、色んな感情に苛まれてしまい・・

いつか人は老いるもの・・変化するもの・・
そんなことは当たり前のことだし、十分わかっているつもりではあるけれど、
それでもこうして老いていく姿を観ると切なくなるわけで・・。

広く目を転ずれば、今の少子高齢化に伴う社会情勢があり、
介護問題、地域医療問題等、難題が山積しさっぱり光明が見えて来ず。

つい先日も、痴呆絡みによる介護疲れから来る悲惨な事件もありましたし、
その類の報道がしょっちゅうあるのを観ると、他人事ではないのはもちろん、
今の社会に対する様々な不安感や閉塞感、希望の持てぬ条件ばかりで、
「生きるとは、老いるとは・・」について、普遍的な観念すら持てない時代を彷徨っている・・
そんな心境に包まれてしまいます。

少ししばらくぶりに帰った故郷は、例外なく町は寂れる速度は緩まず、
古くからの店舗や建物がどんどんなくなり、近くにあった高校も過疎化による閉鎖で
校舎の取り壊しが始まっており・・・

ポツポツと時々歩く人の姿は誰も皆高齢者で、街全体が重く暗い・・

実家のある市営住宅は、老朽化と人口減によりみるみる取り壊され、
我が家を含んだ残る者達が少数住んでいるだけで、窓やベランダに板を打ち付けられ
今後新たな居住者は増えないことを如実に映し出していました。

聞けば、端に住んでいた高齢の独居男性はいつぞや、ひっそりと孤独死をしていたとか。
斜め向かいに住んでいた高齢者もつい先日亡くなった、そのまた向こうのあの人も・・
そんな話ばかりが家の近所を覆っていて・・・

移り住んだ当時は、老若男女様々な人が住んでいて、昼間は自分も含めた子供達の
はしゃぐ声、登下校時の賑わいや人影が常にあったのに、
朝から日暮れまでの間、人が歩く姿も殆どなく、子供の遊ぶ声も一切ない・・
「ここって、こんなに静かだったっけ!?」って思うほど。

本格的に近い雪が降りました。

故郷は豪雪地帯。例年より少し遅い雪で、昨年は珍しいほど少ない雪。
今季はどうなるかわかりませんが、自然による光景すら、時代の変化や
町の寂れと同調しているかのようで・・・

唯一変わらないなと思ったのは、近隣から向こうにずっと続く田園風景の平坦さと、
夜空に広がる星の鮮やかさ。それだけ町の空が汚れていない、
人工の明かりで遮られていない、逆を言えばそれだけ活性化していないことの証左・・

子供の頃、水が張られた田んぼに木舟の模型を浮かばせ、
カエルやオタマジャクシなど取って遊び、日が暮れて空を見上げては流れ星を探した・・

“ここで育ったんだなあ・・”

ここに人が居て、両親が居て、いつまでも遊んでることを叱られ、
日が昇れば町や人がまた動き出す・・・

そんな当たり前の日常が、もうここにはなくなりつつある・・

都会に長く住み慣れると、そんなことさえニュースの項目や社会問題としての
「題材」にしかならず、表面的な部分で考えこむことしかしなくなって来る・・

けれども、それは現実として目の前にあり、そこにいけば、そこで寝起きすれば
どれほどまでに深刻であるか、不安を抱かせるものであるか、
その不安感がどれほど健康的な人間生活を妨げるものであるかが、
頭ではなく肌身で実感するもの。

地域創生だ、一億総活躍社会だ等とぶち上げるが、どれもこれもフォーマットを作るのは
都会人であり、都会の生活上で考えられるもの。そこに何らのリアリティもなく、
ロジックの整合性とか立派な文書作りのための知恵を絞ることのみに邁進している・・

当時あれだけ大きく、入院患者も沢山居て手術も普通に行われていた市立病院が、
今や定年を延長した院長が主体に走り回り、オペは全て隣町等の病院へ転送され、
実質的には診療所同然となった総合病院。

どうにか基幹産業として町を下支えする基幹産業である農業も、
TPP問題で街の空気さえどんより重く、稲刈り後の田んぼの光景さえ荒れ果てて見え・・

そんなこんなでドタバタしている間に、国際的にはテロの事案が発生し、
地域の問題から日本の問題、国際問題まで広く暗雲が垂れ込めている感があり、
個人的にもこの間は重たいものばかりで、雪の降る一番寒く感じるこの時期と相まって、
心も体も冷えきったかのような感覚で覆われています。

父が退院した日、前日に他界した北の湖の訃報を初めて知り、

「北の湖も逝ってしまったのか・・」

とつぶやく父の言葉に、何故か色んなもの・・
昭和のあの時代と、共にあった近隣の光景、社会にあった様々なものさえも
一緒に遠ざかってしまったかのようで、哀愁以上のものをどんと感じた日々でありました・・。


札幌もいよいよどっかり降りました。
白い光景から開放されるのは、来年のいつ頃かしら・・・

1曲・・。

「Winter in Venice」 by Esbjorn Svensson Trio




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