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2015年08月31日18:28

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僅かな場所でも成される民意とその重要性。

昨日は、とある辺鄙な農業基盤の小さな町に出向いた。
そこでの目的はこの運動を前に、スポットの当たらない小さな町や村でも民意はある・・
ということを肌で感じるためと、そこで行われるごくごく小規模の座談会でひざを交えるためだ。

村落にある小さな集会所。そこに集ったのは22名ほど。
生産者を中心に、一部自営業者や学生も。
法案反対者が半数を超えるも、一部は賛成、または何れも判断がつかないなど。

先ず以て驚いたのは、反対する側はよく勉強というか、情報を仕入れているなあという印象。
国がやろうとしていることの向こう側、簡単にいえば『魂胆』についてよく凝視出来ているという感じ。つまり、国が公的に言う「メリット」に対し、「デメリット」の部分との対比がよく出来ていると。

逆に賛成する側は総体的に公式をなぞり、まんま受け入れることに終始、
自身の世界観や考察が不完全であるということ。
何よりも、「脅威」というものを漠然としか捉えられておらず、「正しい脅威」としての扱いが
成されていない・・つまりはこれ、政府答弁にあるぼんやりとしたものをなぞっているだけだと。

ただ、これはボーっと国の言うことを信用し受け入れるという、
元来からの「ヒエラルキー体質」にある日本人の特性としてはある意味「正常」なのだろうと
思った次第。その意味では寧ろ、反対側の面々こそその思考に染まっていて然るべしでは?・・
とも感じたぐらいなわけで・・。

ある側面では、賛成側の方が実にピュアで純朴、ナイーヴ性に満ち溢れており、
良い意味での『疑う』という視点がない。乱暴に言えば「国の偉い方々が言ってるのだから間違いない・・」というもの。そして『敵が攻めてきたらどうするんだ?』という、
大雑把でフォーカシングが甘いままの、いわゆる固定化された“テンプレート”にすがる、
硬直したままの状態にあることだ。そこにどのようなメカニズムやプロセスで攻めて来るとか、
どういう状態ならどう攻めて来るのかなどの、自分なりのシュミレーションは全くない。

国と国との戦争とは、ある懸念に対して双方の外交経緯が破綻した末最悪の結果となる・・
という一つの定義が全くないため、極論部分で終始していることに気が付いていない。
無論、こうしたことを世の中がきちんと教えて来なかったツケでもあるため、
その層を一概に攻め立てることは不健全でもある。

そのため、一からそのメカニズムについて解いていくと、それなりに理解も出来るようで、
他方では、元々が秘匿的要素に溢れた軍事要件が清純性を持っていない、
巧妙にリーディングしていかないと多数世論を同調出来ないことから来る不純性について、
よほどの注意を持って凝視・対峙せねば、如何様にも簡単に国民は利用されてしまうという特性を把握するだけで、この法案の全体像が見えて来る・・ということの理解も少しは出来たようだ。

それ以前に、一連の国による経緯はあまりにもプロセスが不健全であり、
これを「仕方ない」という感覚で簡単に許せば、必ずや以後二次利用・三次利用される、
気がついた時には自らの生活領域をはじめ、あらゆる領域まで簡単に国の思うように利用、
搾取されてしまうということである・・だからこその立憲主義の重要性をここで簡単にねじ曲げてはならない、それを黙認してはならないのだ・・という理屈に、最後黙りこんでしまったのは
それへの反論を持ち合わしていないという表層的部分への批判ではなく、その時点で
考えこむということの重要性を、寧ろ大いに讃えて差しあげた次第。

悩まないと大きな物事は先に進まず大成しない。
数多の矛盾や理不尽さを真正面から捉えつつ、悩み考えこんだ末にどう方向性を定めていくか・・

民主主義とは、悩むことでもある。
そもそもが民主主義自体が非常に悩ましい代物でもある。

悩み考えることをやめ、ヒエラルキーに染まった時点で民主主義は崩壊する。
このことは、僅か少人数の座談会、考えが異なっていようが最後一致した見解でもあり、
それはそれは非常に収穫のあった、名も無き会合だった。

会合の終わりに、通行人も誰もいない集会所の前で代表者の音頭と共に声を上げた。
法案賛成者も空気を読んでか加わろうとしたが、あえて拒んだ。

それは単純に賛成側だからではない。きちんとよく考えて自分の意志が固まらないうちに
無理をすることは良くないことだからだ。今後もしもその意志が出来上がったのなら、
その時点で声を上げればいい、と。その時が仮に全体として遅きに失したとしても、
個人観としてそれは遅いのではなく、適正なはずだから、と。

声を上げる人々を眺めるその方の目は、間違いなく最初より澄んだ目をしていた。

デモにしても何にしても、一度や二度の行動でガラリと変わるほど甘いモノじゃない。
そのことを大抵は理解している。あくまでもこれは、ようやく始まった一つのムーヴメントの一コマでしかなく、寧ろ今後如何ほど積み上げていくか、継続していくかだ。

それは都心部や地方都市だけで限られるものじゃない。
僅か小さな村落でも、学校や職場単位でも、ごく小さなコミュニティでも、家族間でも、
友人間でも、どこであっても出来る事であり、それを躊躇わないことだ。


■安保法案反対、全国で一斉抗議 国会前でも廃案訴え
(朝日新聞デジタル - 08月30日 20:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3591332
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