実に稚拙な比喩であるかについては、もはや多くの末端庶民ですら感じている所だろう。
理解度を深めよう、難しい案件の中身を簡素化しようとするがあまり粗が浮き彫りになる・・
ということは往々にしてあるが、簡素化の目的に重要な核の部分、実態部分から
目を離させるべく意図が内包されていたならば、それはもう悪質と言わざるを得ない。
しかもその悪質さによってもたらされる弊害が国内のみで帰結する問題ならいざしらず、
国の命運を大きく左右する、国際的に重大な方向へと導くものならば、
それは『悪政の極み』と評さねばならない。
ここまでの世間にある様々な論議を垣間見ていると、
この法案の核となる「集団的自衛権」の枠を飛び越えて、国防とは、安全保障とは、
平和とは・・の部分に拡大、相当に縦横無尽、際限のない領域にまで及び、
そのことで何が何だかひっちゃかめっちゃかな状態にまでなっている面が否めない。
当然の如く、そこまで視野を広げて考察する必要性が充分ある反面、
その考察経緯の中で時に法案の核と、その実態について検証することが
どこかなおざりになっている面が強い。
そこで、こんがらがってしまっている議論やロジックについて一旦紐解き、
尚且つ原点である集団的自衛権における、国内での扱われ方の経緯、
戦後以降近代の国際事情と並べ、日本がそれを行使することが妥当なことなのか否か、
客観的に考察する必要があろうし、このことはイデオロギーや立場を超えて、
真正面から見つめねば正しく理解が進まないゆえに、何度でもここに立ち返られねばなるまい。
そのことを、最も現実的に示す論考として、現場と国際政治の両面から示す、
一つのバイブルがこれであり、ここから今一度再考し直す必要があろう。
〜●「集団的自衛権の歴史」を一気に学ぶ
伊勢崎賢治『戦場からの集団的自衛権入門』から〜
http://synodos.jp/international/14738
少々長目ではあるが、PKO活動にて現場を指揮した彼による現実的側面から、
重要点を抜き出し整理した文献である。
これを観れば、安倍による稚拙な比喩が、如何に核の部分を誤魔化し、
まやかしと狡猾な誘導手法であるかが一瞬にしてわかるというものだ。
■安倍首相、安保法案を火事にたとえて説明し、「消防士は誰かを殺さない」と一蹴される
(Business Journal - 08月09日 17:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=175&from=diary&id=3558333
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