なんですかねぇ・・複雑というか、虚しいというか・・。
長い時間と共に風化してしまう・・ということは何につけあるわけで、
それ自体致し方ない面はあるのだけど・・
日付よりも事実や中身が重要なのであるも、それでもこの象徴的な日が刻まれなくなっている・・
という事実を前にすると、重要な中身にさえしっかり考えが及ばなくなって来ているのでは・・
という風にさえ思えてくる。
それにはやはり、このアンケート結果の内容に表れてしまってるのかもしれない。
全国は何より、肝心の広島と長崎で「やむを得なかった」が4割とは・・
この背景をもっと正確に分析する必要もあるかも知れない。
「とどめを刺されるほど日本の国家、軍事体制に問題があったのだから」という、
割りと客観的思考なのか。
あるいは、ごく単純なぼんやりとした受動的感覚ゆえの、漠然とした思考なのか。
まあいずれかなのかな・・。
ただし、対する答えの「今でも許せない」。
こちらの方が、もしかすると深く分析される必要もあるかも知れない。
許せないのは「非人道的兵器」を投下したこと、それを含めた米という国に対して、
あるいはその事実全般、戦争全て等ひっくるめた総体的な感情なのか・・。
どれも、どちらでも意味合いに大きな差はないとも言えるけども、
これから益々記憶や言い伝え、教育が先細りしていくとするならば、
個々の分析や理由について、もっと深く議論していかねばならない、
単に「戦争は、原爆は怖い」という総論や表層的な結論だけに終始するのではなく・・。
ただ・・・
「やむを得なかった」ってのが今後も増えるとすれば、
それはやはり当事国として問題だし、その感覚が蔓延するとすれば、
自国だけならまだしも、対外的に日本人の感覚について疑問視、
または奇異に捉えられかねない・・ヘタすれば被爆国ですらもはや痛感していないのだ→
核であってもやがては忘却の彼方に消え去るもの→使用への躊躇い、
ハードルが僅かにでも下がりかねないようにも思えたり。
それが杞憂なことであれば良いのだが、少なくともこのインパクトが世界に知れ渡った時、
日本が、日本人の評価がどう分析されるかについて、ちょっと心配になってしまう。。
■原爆投下の日、答えられたのはわずか3割弱 際だつ長崎での風化
(ウィズニュース - 08月08日 07:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=3556598
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