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2015年08月06日18:41

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音楽や文化の根幹を理解していない層による、噴飯ものの批判。

普段から洋楽中心に追い掛けて来たのだけど、それでも邦楽アーティストの質、
とりわけ2000年以降のアーティスト等によるクオリティの向上に、
時折ハッとさせられることが増えて来たと感じている。

その中で数年前だったか、邦楽セレクトを作成しようと物色していた矢先、
偶然にも彼の作品に出会った。いわゆる「マイナーレーベル」畑のアーティストだが、
非常に濃密で、誰も踏み込んでいない領域へ、巧みに滑りこんでいる・・
そんな印象を強く持った次第で、それでいて個人的に好きなポップスセンスも、
時に重たいメッセージ色の中でも後回しされず、しっかりと滲ませている・・
そのバランス感覚は類まれなもの。

そんな彼による、記事中の経緯。
実にその立ち位置らしいというか、彼本来のアーティスト性というか、
ストレートでありながら、一味も二味も違う独特のインテリジェンスを感じさせるが、
例によってそのインテリジェンスとは真逆の層による稚拙な攻撃が・・。
ここら辺りは、先のサザン騒動から顕著になっていったであろうか。

そんな層の分析や傾向などもはや意味を成さないが、昨今ミュージシャンや文化人による、
こうした政治的部分への関与・発信に対して意を呈する、違和感を抱く層による
一見論理的な鎧を纏った批判が、透かしてみると実に音楽や文化の本質を踏み外した、
素っ頓狂な論考であることに思わず頭を抱えたくなる。

その代表例が、ジャーナリスト・評論家という肩書を持つ
佐々木俊尚氏による発言の数々だ。その中から掻い摘むと・・・

【左派でも右派でも構わないんだけど、政治主張をパブリックに行うのであれば
きっちり議論できるロジックを持って欲しいと思うのです。
ミュージシャン系がロジックもなしに気分で反権力言われてもなあ…という溜息。】

音楽や文化が持ち得る潜在的力、そのクリエイターの思考が作品外の所で、
ある種作品の背景要素を裏付けるべく、その延長線上にて発言を行うために、
専門評論家やジャーナリストのような論理性やロジックまで持たぬとも何ら問題はない。

もっといえば、一般人であろうとも、サラリーマン、主婦、学生、子供、自営業、
フリーター、無職・・・如何なる立場であろうとも、各々の人生観や感性を背景に
思ったこと、感じたことを実直に発する権利があるわけで、その多様性の中から
あらゆる気付きや発見があり、その多様な組み合わせで世論が構成されるという
大原則に鑑みれば、それが文化著名人であった所で特段の資格は有しない、
文化人なら文化人の、一般人には持ち合わせない特有の感性による論理性が、
多くの構成要素の一つに十分成り得る。

【ジョンレノンのイマジンのような曲は、1970年代という時代だったからこそ光り輝いたわけで。
しかし残念ながら、もはや前世紀のノスタルジーです。 】

彼は『スタンダード』の概念というのをまるで理解していない。
「イマジン」は、もはや時代を超えたポピュラースタンダードといってよい楽曲である・・
と言い切ってもおそらく異論の余地はないだろう。

旋律の独自性もさることながら、根幹を成す反戦・平和への素朴な感情・・
地球上に居る大多数の庶民の根源にある素朴な平和への願い・・
想像力(イマジネーション)を膨らまそう、それは複雑なロジックを紐解く一つの
重要素なはずだから・・という主張だ。これはまさに昨今の日本、
ロジック合戦にある落とし穴に嵌る中で、最も原点な部分だ。
寧ろ今の混沌としたご時世だからこそ、この曲の意味合いに価値がある。
それを1970年代という枠内に無理やり押しとどめ、尚且つ「ノスタルジー」とは・・

時代は常にランダムな形で動く、その中で主張は嵌ったり、微妙に嵌らなかったりを
繰り返しているだけであり、過去形として解するのは音楽文化の本質を見誤っている。

【ミュージシャンとかイラストレーターとかの業種で、わりに多くの人がわかりやすい
反権力に走りがちなのは、あれはどうしてなんでしょうねと最近思う。
アーティスト気質みたいなのがあるのかな。】

【「ミュージシャンは反権力がカッコいい」みたいな空気がまだ流れてるってのは
あるのかなあと。もはや古すぎるが……。】

これも同様、音楽や文化の背景要素、その環境がどのようなものであったなら
素晴らしい作品が生まれるかについての、その根本的論考がすっぽりと抜け落ちている。

そもそも、クリエイターに属する層は、誰しもが見える真正面とは違う角度にスポットを当て、
見逃しがちな空間や言葉、潜在力を引き上げる、色を付けていくという職種。
それを行うに既存の、とりわけ不健全で抑圧的権力下ではクリエイティヴな作品など
生まれないのであり、仮に生まれたとしてもそれははっきり言って『つまらない』ものとなる。

クラシックには精通していないが、歴史上の名作曲家達の中には、
抑圧や規制の基でどうにか隠れ、逃れながら自由な音楽と空間を求め、
その果てに名曲が生まれたというのは少なくないはずだ。

ロックも同じ。権力による過度な抑制を嫌い、反発心がその根源でもある。
それに共感した大衆が作品を受け入れ、やがてロックは市民権を得たのである。

「反権力の立ち位置だから支持され売れる」のではなく、
反権力的立ち位置による、自由空間の中から発せられる、それを求める要素が
あるからその作品は売れていくのである。
ゆえに、「反権力がカッコイイ」としてその作品を作っているのではなく、
「反権力的立ち位置」だからこそ光り輝く作品が生まれるのである。

そうした音楽が多くの支持を受けたり売れたりすることが、
大衆がそれを支持している何よりもの証左である。

もしも権力に阿るような、その体制下による狭いクリエイト思考から生まれるとしたら、
おそらくは多くの支持など得られるはずもなかろう。
考えてみればよい。北朝鮮から流れる音楽の質やその裁量の狭さを。
軍歌にある音楽性や文化性がどれだけつまらないかを。

このように、当たり前の真ん中な音楽文化の根幹を全く理解していない、
如何に彼が音楽好きではないかを自ら証明しているかのようだ。

というよりも、元々彼は右思考であり、あの「チャンネル桜」にも出演するような
資質であるために、このような的外れで、尚且つ右の思考で無理やり
音楽や文化を論じようということに、そもそもの間違いがあるということだ。


■今度は七尾旅人が安保法案に警鐘ならし炎上! 「アメリカのパシリになったら日本に愛情持てない」と言いきったアクティビストの真意とは
(リテラ - 08月06日 12:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=209&from=diary&id=3553257
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