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2015年08月06日00:30

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責任応分の大半は演者/管理側。

この手の訴訟事案、最近ではプロ野球のファールボール訴訟が記憶に新しく、
その時にも触れたことだけども・・。

催事の前提として、『何が起こるかわからない』という鉄則がある。
主催・運営する側は、あらゆる事態を想定して準備と態勢を組むものの、
それでも時として想定の範疇を超えてしまうことが起きる。

その場合、可能な限り被害や事態が大きくならないよう最善の方策を取ることが求められる。
それが運営側の責務である。

で、この件。
泉谷氏の場合、こうした破天荒なアクションが一つの売りであり、定番でもあるし、
ロック系にはこうした類似のケースが少なくない。
これに対し舞台演出の管理・・この場合は舞台監督が責任者で、
客席側のセキュリティは主催者・・プロモーターであるが、
両者の間でどの程度、こうした行為に対しての対処や危機意識を共有していたか・・
が問題となって来る。

演者側(プロダクションサイド含む)も舞台スタッフも、そして主催者側も
目指す方向性や目的は基本的に一緒であるも、現実を観ると必ずしもそうなっていない、
ズレが生じていることが度々ある。

ライヴの進行はステージ上だけではなく、客席を含めた全体空間が無事に終えて
完遂するものであるも、演者側はどうしても盛り上がりや熱狂の度合いを上げることに終始、
そのための手段を時折選ばない、ルールギリギリの所を立ち位置としてしまうがゆえ、
その一線を越えてしまうことがある。

本来それを超えないよう操るのはプロダクションサイド、マネージメントであり、
細かい部分は舞台監督による管理指示能力に委ねることになるのが基本。

一方のプロモーターサイドとしても、事故やトラブルにおける全体管理責任が
問われる基でもあるため、また今後の経営や会場借用、信用問題にもなるため、
基本的に危険を招くような演出・煽りは制御してもらうべく求めるも、
他方ではその演出によって客の満足度が上がり、そのことで次回の公演に
繋がる利益要素でもあるために、一元的に拒否することは出来ず、
その狭間で微妙な舵取りやバランスを維持しなければならない。

だが、アーティストの威厳やキャリア、力関係が影響し、
三者の相関関係上におけるバランスが不均衡となり、そのことで危機意識や
管理が不健全となってしまう。

つまり、アーティストの意向や権威が強過ぎて、プロダクション側や舞台監督らが
演者を抑えられない、あるいは必然的にそれを黙認や許容をしてしまう・・ということだ。

そうなると、プロモーターサイドとしても二者を相手に更なる制御を求めることは難しくなり、
あとはその分主催者側の責任応分を超えた、厳しい管理を背負うこととなる。
他方では、プロダクションサイドもステージサイドも、雑踏管理はプロモーターの仕事だ・・
としてその責任をプロモーターに押し付けんとするかのような、
不見識な状態も時折散見される。

泉谷氏の場合、正確な所は掴みかねるものの、おそらくはそのバランス取りが
非常に難しい『厄介な』アーティストであろうというのは、容易に想像がつく。

そこら辺をプロダクション側がどの程度客観認識しているか・・。
自分らのライヴパフォーマンスが、その権威が周囲にどの程度しわ寄せを及ぼしているか・・。
その認識が僅かにでもあったならば、こうした演出は自ずと自重、
ないしは改変していく柔軟性を持っていてよい、それだけの実績を積んでいるはずだ。

客が理解してくれるファンであるから、ライヴとはハプニング込みなものだから・・
自分のパフォーマンスはそういうもので、それを売りにして来たのだから・・
という暗黙の常識や客の認識・慣習に胡座をかいてやいないか!?ということである。

冒頭で触れた『いつ何が起こるかわからない』は、天変地異を除き、
その発生源の大半は演者側にあるわけで、僅かな行為が一瞬にして想像外のことを
引き起こしてしまう・・自らの活動の場で簡単に死者すら出してしまう・・
それだけの潜在力が演者には付随するもので、それはアーティスト自身に相応の能力が
欠けていたとしても、生の催事、ライヴとはそうした潜在的特性や危険性を内包するもの・・
という意識を持っていたかどうか、だ。

客は、どこまでいっても客なのである。
客自身の管理責任は、一旦催事会場に入ると、ごく身の回りの範疇以外、
大半は管理者責任となるのが常識なのである。

このケースの実際はどうであったか不明も、ギターを放り投げる場面はおそらく、
それ相応のボルテージが上がった場面であろうし、そのシーンによって
客席側への“目眩まし照明”(ハロゲンランプ等の強力ライト)をオープンに
炊いている場合があり、飛んでくるものの認識が満足に及ばないことも考えられる。

また、避けようにも左右前後余裕が無いであろう客席状態ならば、
人によって簡単に事故やケガのもとになるのは容易に想像がつく。

これまた冒頭での、先のファールボール訴訟同様、多くが勘違いしているが、
集会的催事の行政管理責任は主催/運営側が基本線なんである。

それでも厳密には、どの催事でも完璧を求めることが難しい場合がある。
その時どうしても及ばない部分は、客側に対して『ご協力』でもって補填し構築する・・
というのが概ねあるべき姿で、その協力要請に対し相応の理由なく拒絶、明確な怠慢、
ないしは悪質な背景を含んだ非協力姿勢があった場合初めて、管理者責任の応分が軽減、
または責任が客側に移る・・ということだ。

慰謝料交渉の中身・経緯はこの記事では全くわからないが、
泉谷氏は相応の歳とはいえ、この先まだ芸能活動を続け、意欲を持っているのならば、
誠意を尽くすことをしなければ先は難しい、そういう時代だということを認識した方がよいし、
彼ほどのキャリアならばその実績に傷がつくような、
後味の悪い締め方は得策でないと思うところ。。


■「泉谷しげるさんが投げたギターで負傷」ライブ客が提訴
(朝日新聞デジタル - 08月05日 19:29)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3552272
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