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2015年03月01日19:10

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厳罰化という抑止の幻想

犯罪や事故など、その内容や重さが如実に表れると
必ずと言っていいほど沸き起こる、こうした厳罰化の動き・・。

与えるインパクトの大きさに伴う加害者の性質等などもあって、厳罰を持って処することで
一般社会における溜飲を下げること、被害者側に対する心的配慮、
次の犯罪への抑止の期待・・といったことが理由の主体として形成されていくように思う所。

だが、そのどれもが期待通りの水準を満たすか、実は不透明だ。

一般世論として観た場合、その大半は「懲らしめる」ことでの、
厳罰を持って処することでの溜飲だ。
その厳罰で犯罪の精算が完全完了するわけでもなく、またその認識もないものの、
厳罰が課せられたことで一定の満足を得たいという心理・・
いわゆる「成敗してくれるわ」という、時代劇に観られる勧善懲悪である。

この点だけでいえば、厳罰化が明確に示されることで世論内における
「心理的な完遂」にはより近づくだろう。

次に、被害者側に立った心的配慮。

これも上記の要素と関連性があるが、厳罰化により被害者側の溜飲が少しでも下がる、
「少しでも報われる」・・といった感情要素が背景の主体である。

が、これは一見必然とも思えるが、実はその限りではない。
というのも、過去の犯罪における加害者側の苦悩や時間的推移を観ていくと、
必ずしも加害者側への怨念、憎しみだけに覆われたまま
経過しているわけではないことが伺えるからだ。

それは「なぜそのような残虐行為に至ったのか」という心理背景への関心、
「心からの反省、それに伴う葛藤や苦闘、懺悔への道のり」を求めたい、
その経緯を確認したいという欲求が発生して来る所に、被害者側の変化が垣間見えるが、
その辺は獄中における加害者による手記であるとか、何らかの通信を介して
どのように加害者が更正の道を歩まんとしているか、とんでもないことをしでかしてしまった、
そのことへの自覚・意識を確かめたいという欲求・・
そんな被害者の行動を見ても、被害者側における「真の求め」が何であるかを、
このような経緯に見て取れる。

つまり、完全に事件や悲しみを消去出来ない現実の中で、その苦悩の中何れどこかで
次のステップに進まねばならない必要性に気づいていく。
また、そうでなければ被害者・犠牲者の思いは浮かばれないであろう・・
という、身内だけしか感じることの出来ない心の声を聞くからであろう。

それを考える時、厳罰だけで被害者側が納得出来る、その大半を満たすことが出来る・・
と考えることは早計であり、あくまでも第三者による「想像」の域でしかない。


次に、厳罰化による「犯罪抑止効果」。
これも一般の中で浮かぶ最も素朴で「イージーな発想」だ。

犯罪心理として、特に惨忍性が顕著である犯罪の場合、その行為を行う時点、
あるいは悪質な計画性を持って始める時点で、その犯罪者は既に倫理観や
道徳らが破壊されているゆえに、『思い立つ』ことが不可能な状態にある。
「こんなことをしてしまったら不利益を被ってしまう・・」という客観的思考が
既に出来ない状態に入っていることを意味する。

「あんな犯罪を犯してしまった暁には、社会からも抹殺状態に置かれてしまうんだなあ」
「人生台無しになってしまうんだな」「間違ってもあんなことはしてはいけないんだな」

という感覚は、あくまでも平時、いわば「精神的に優良な」時だからこそ、その判断が出来る。

つまり、犯罪を犯す瞬間、またはその前段階から既にその判断が不可能な状態へと
陥っているからして、一般社会が期待する『抑止効果』は殆どないと言える。

もっと簡単にいえば『犯す理由が明確にあれば、厳罰があろうとなかろうと犯してしまう』
ということだ。

それよりも本質的には、「抑止」を考えるならばその犯罪の引き金(理由)になる要素・・
例えば生活環境の問題や人間関係における要因、地域的背景、学校・家庭教育、
家庭環境等など、あらゆる背景要素が健全であるか否か、それらへの検証と
抜本的改良、これらが先ず不可欠な第一義的抑止機能だ。

次に、「仮に犯そうとしても、犯したくても不可能、または未遂で終わる」ための仕組みだ。
これには防犯としての警察や地域、児童機関等といった何らかの組織的な
セキュリティ対策、通報・監視システムといった『ハード面』の再構築が求められよう。

この二つが両輪で潤沢に回ってこそ、初めて『抑止』となるわけで、
厳罰化が抑止になるわけではなく、それは錯覚といってもよいのである。

正確に言えば、厳罰は日常啓発や啓蒙上における何らかの象徴の一つにはなり得るものの、
実質的抑止効果としては限りなく低いのである。

つまり、厳罰は単なる『結果措置』に過ぎないのだ。

これに注力する、比重を大きくしようとするのは、裏返せばもっと重要であるはずの
二つの要素に対して、時間的・労力的困難さを前にした中での怠慢であり、
厳罰という「比較的簡単な」方法へと急がせてしまう要因だろう。

とりわけ未成年を対象に考える時、『教育的見地』が背景になければ、
その年齢的・未熟的素因の中、闇雲な成人と全く同じ厳罰化であったならば、
不健全な再教育・更正へと進みかねず、漠然と『廃人』を増やすだけであろう。


■自公政調会長、少年法改正に言及 川崎の殺害事件受け
(朝日新聞デジタル - 02月27日 18:39)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3294970
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