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2020年02月23日01:20

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「江南の発展 南宋まで」 シリーズ中国の歴史2

「江南の発展 南宋まで」シリーズ中国の歴史◆ヾ飮浬実鹵 岩波新書

シリーズの2巻が出ました。
タイトルに見るように、江南をテーマにしています。
例えば中国では「南船北馬」という言葉があります。中国は馬を中心とした北方世界と船を中心とした南方世界がある…というのは以前からイメージされてきました。ではその南方の世界とはどのようなものかといいますと、単に中国を南北に分けただけのものではないということを解き明かしていきます。

近年長江流域で古代文明が発掘されて、中国の古代文明は「黄河文明」と言われたことが覆されてきています。黄河文明つまり中原を中心とした殷、周…といった王朝が中国文明のように思われてきたことが、その周辺に多彩な文明があったことがわかってきました。
例えば戦国時代に乱立した国の一つ、楚は単なる周辺国ではなく独自の文化を持っていました。特に南方では楚が大国となっていきました。
秦の始皇帝が中国の統一を成し遂げましたが、「郡県制による一元支配」を南方に適用するのは難しかったようです。始皇帝没後に項羽と劉邦が覇を競う時代になりますが、項羽は当初自分が王になるのではなく楚の王の末裔を探して楚王を立てます。それは楚の国がそれだけ権威があったということです。

結局劉邦が帝位について再び中国を統一しますが、秦のように全国一律に郡県制を適用するのではなく、郡県制と封建制を土地によって使い分けました。しかしそれも建国間もない時期の過渡期の措置であり、やがて中央集権的な体制づくりを進めていきます。その時に障害になったのが、各地に封じた「建国の功臣」たちです。劉邦は帝位についた後「建国の功臣」たちを粛清したことが知られていますが、それは皇帝に権力を集中し漢を存続させるのに必要だったということです。

さて、漢が滅び、三国時代を経て晋が統一を果たすものの、北方の遊牧民の侵入によって滅ぼされ、江南に亡命王朝・東晋が誕生します。その後六つの王朝が後退して「六朝」と呼ばれる政権が南方に生まれていきます。北方からたくさんの亡命者がやってきて、南方の先住民を統治することになります。

この時期の南朝では名門の豪族・貴族が官僚となり広大な私有地を持つようになっていきました。…が、こういった領主が西洋や日本のような「領主」になることはなかったということです。日本と西洋の「領主」は領地を治める君主でもありましたが、中国では上からポストを与えられた官僚だったからです。「領主」が生まれなかったことで、中国で「一君万民」体制が清朝まで続きました。なるほど、中国では「地主」という言葉はありますが、「領主」という言葉はあまり聞かないわけです。
北方では遊牧民が国を作りましたが、あくまでも南朝が正当な中華文明の担い手である、という認識が存続し、貴族文化が栄えました。また開発も進み技術も発達していきます。

北朝では初期のころは独自の文化を保っていますが、北魏の時代に漢化政策が勧められます。遊牧の生活を捨て、中国文明に染まっていくのです。
南北朝を終わらせたのは隋ですが、悪名高い煬帝は運河を作って江南の物資を北方に運ぶルートを作ります。
その後、唐が生まれて北方中心の統一王朝が続く…のですが、江南の影響はその後の王朝にも受け継がれていきました。唐代と言えば中央アジアを経由する陸路で西方の文化が続々と入ってきた時代ですが、海上交通もまた発展しており東南アジアとの通商ルートも生まれました。

宋代になりますと、まず科挙の改革が行われます。唐代では国の重要なポストは家柄で決められ、科挙の合格者は必ずしも高い地位には就けませんでした。しかし宋代になると科挙の制度が発展して段階を踏んだ受験手順が整えられ、家柄ではなく科挙の合格者が登用されるようになります。世襲貴族はしだいに衰退し、皇帝の権力集中が進みます。
そして江南の裕福な地主がその子弟に教育を受けさせ科挙の合格者を送り込むようになります。
さらに江南の発展は続き、宋代になって北方と南方の人口が逆転します。

ここで面白い現象が見られます。地主に複数の子供がいると、勉強に向いたものには勉強をさせ、商売に向いたものには商売をさせる、あるいは農地を継がせる者もいる、ということが普通に行われていたのです。西洋でも日本でも身分・職業は固定され、その家代々の職業を受け継いでいくものです。しかし中国では一家の中に異なる職業の者が存在するのが当たり前で、身分も職業もクロスオーバーしていたのです。
そういう社会ですと、窮乏したり郷里にいられなくなったものは容易に郷里を飛び出していきます。大都市には日雇いの口があり、募兵もあり、地域の有力者から秘密結社、盗賊団もあります。そんな時に頼りになるのが個人間の信頼関係です。「友達の友達」はみんな友達みたいな互いを助ける信頼関係が重要。中国では固定的な身分・社会階層がないので個人間の信頼とそのツテが大きくものをいうわけです。

またこの時期には印刷技術が発達し、識字率も上昇して刊行される書物が飛躍的に増えて内容もバラエティー豊かになっていきました。

宋は女真族の金に攻め込まれ、北方を奪われて南に逃げて亡命政権を立てます。あくまでも一時的なものだという建前は保ちます。とはいえ、金に歳貢を献上し続けることにはなるのですが。
しかしこの時期都市が発達し商品経済が盛んになります。南方の港が発達して海上貿易が盛んになります。南宋は海上帝国とも称されます。

しかしその南宋もついには元に滅ぼされる日が来るのですが、そこからは次の巻「草原の制覇」で述べられることになるでしょう。

なんか長くなってしまいましたが、今まで了解していた大まかな歴史に加えて「なるほど」と思うことがいろいろあったので片っ端から書いてしまいました。
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