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2019年12月12日01:11

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「中華の成立 唐代まで」 渡辺信一郎:著 シリーズ中国の歴史1(岩波新書)

「中国の歴史」…というワードに弱い。
新しいシリーズが岩波新書から刊行が始まるということで買ってしまいました。
その1冊目が「中華の成立 唐代まで」

英雄譚の記述ではなく、中国社会の変遷を述べていくという。さらに、今まで当たり前のように使われてきた用語も再検討する、ということで今までにない内容が期待できそうです。

最近は王墓ばかりではなく集落の発掘も進んでいるそうです。そこで農耕社会の始まりのころの集落の様子もかなりわかってきました。仰韶文化から龍山文化のころに集落が形成され、階層が生まれ、首長制になっていきました。
河南省の二里頭遺跡は二里頭文化と言われ、宮殿跡などもあります。現在ではここが「中原」の原型となった地域で「夏」だとみなす説が有力になっているそうです。

商(殷)時代になると集落も規模が大きくなり階層もよりはっきりしていきます。また周辺地域も広がっていきます。
やがて周が興り商は滅ぼされます。周では貢献制から封建制へと移っていきます。この「封建制」という言葉も西洋の封建制と混同されて使われているので再定義が必要です。貢献制は貢納物を納めそれを再分配する制度です。封建制はこの制度を発展させたものです。「春秋佐氏伝」に封建という言葉がみられるようになります。
戦国末期に著された「呂氏春秋」には天下の構造が記されています。「礼制にかなった服装」「水陸の交通」「通訳を必要としない地域」が「天下」です。同時期の「尚書」には禹が治水によって国土を治めた地域が「天下」とされ、その考えが広まっていきます。

周の末期には封建制の解体が進み、県制に移行していきます。県は世族によって支配される階層性集落です。
秦では商鞅の変法によって戸籍制度が整えられます。その目的は徴税、徭役のためですが、戸籍制度は清朝まで続いていくのです。秦が天下統一を果たすと郡県制が完成を見ます。
この時期に形成された「県」の数は1200〜1500ですが、この県の数は清代までほとんど変わらないそうです。また秦では文字、度量衡が統一され、車の軌道幅を統一した上幹線道路が整備されました。さらに法令・刑律による官僚統治機構が整えられました。文字や幹線道路の整備は法令を速やかに伝達するためです。
つまりこれが中華の統一をもたらし、王朝が交代しても基本的に清代まで続いて行く制度になったのです。

…という展開に「なるほど〜」と思いました。
中国は王朝が交代する時、あんな広い地域をどうやって征服していくのかと思っていましたが、統治機構はそのまま継承されていたのですね。天命を受けた天子が統治する、という思想もあって、必ずしも血縁にこだわらないで新しい天子が生まれるのが容認される社会でもあります。

あとは「均田制」という言葉とその内容に対する批判とか。みんなに平等に田を分け与えるのではなく、身分、貴賤、長幼の序列による給田制だったということです。

こうして唐代まで社会構造や統治機構を中心とした記述が続きます。

2巻以降は2か月おきに刊行されます。
タイトルは
第2巻 江南の発展 南宋まで
第3巻 草原の制覇 大モンゴルまで
第4巻 陸海の交錯 明朝の興亡
第5巻 「中国」の形成 現代への展望
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