紋別市弘道小学校です。昭和62年までこの校舎が現役だったことが驚きです。紋別市弘道小学校の校舎、廃校から31年経つ記念碑と住宅校門とグラウンド跡と校舎、左は住宅平成20年5月31日の弘道小学校10年前の校門とグラウンド跡と校舎、左は住宅住宅、も
紋別市三吉小学校です。昭和33年2月10日から37年10月30日までのわずか4年8カ月しか存在しなかった学校です。戦後開拓地で入植10年後に学校を設置しましたが、土地が重粘地で農業二向かないと分かり移転し集落も無くなりました。学校のグラウンド跡
沼の上小学校と旧沼の上小中学校です。旧沼の上小中学校から少し集落寄りに新校舎の沼の上小学校は平成14年(だったはず)に建て替えられましたが10年も経たない平成23年に廃校となりました。農家の廃業が予想より多かったようです。毎週にように校舎
紋別市志文小学校です。昭和57年に廃校となりました。初訪問は平成20年で、当時は廃校から26年ほどで校舎は原型をとどめていましたが、数年後に屋根が抜け、その後、一部が倒壊しました。廃校記念碑校舎グラウンド跡と住宅倒壊した校舎黒板、卒業生の書き込
群衆が軽トラ横転させる 渋谷http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5351282 ハロウィンは西洋の祭りで日本では仮装大会だよな、なぜゴミ捨てまくりトラック横転させる。ニュースで仮装した親子が怖くて夜は来れないので家族で昼来てい
上立牛神社です。昭和39年に学校が廃校となり、その後無人となった地区です。伐採痕には草木が茂り始め、神社跡は見えにくくなった。看板のみがやっと道から見える草木をかき分け御神木、石碑、案内板を撮影道からはこの木が目立つ平成27年5月17日、伐
合同探索、神社2か所目は紋別市上古丹。ここは中立牛から遠軽方向に続く道道の途中にある。道道の完成は十数年前で、それまでは奥地だった。学校の向かいに神社はある。近くで昔は幹線道路だった砂利の林道があり、その奥に墓地があるようだ。現在は周囲が
廃校19校を訪問したが、対比する画像の集積に時間がかかりそうなので、まず神社の様子から。学校とならび神社も集落の重要な場所、学校がなくとも神社はある。八十士小学校グラウンドのタイヤの遊具その奥には八十士神社の鳥居がある参道跡を登っていく
廃校合同探索、行った場所の割りに撮影した写真は19か所で100枚ほどと少ないが、ここ10年の変化と比べると驚きだ。 以前の画像と対比させたいがなかなか見つからない。今となっては倒壊前のお宝画像がたくさんある。
白鳥の姿を明確に撮影成功!今日は午後4時から8時までに4組鳴き声を聞いたが撮影成功はこれだけ。ただ、この群れ、なぜか北に向かっていた。
今日は午前7時半から午後3時まで合同で廃校探索。紋別市、滝上町の廃校。志文小中→沼の上小→沼の上小中→三吉小→弘道小→旧小向小中→八十士小中→元紋別小→紋別南高→紋別北高→中渚滑小→上渚滑中→立牛小中→上古丹小→中立牛小中→上立牛小→雄柏小
北見市仁頃高校の取り壊し、最終段階です。校舎、体育館が消えた。校舎正面から体育館の鉄骨がある瓦礫これは横の会館瓦礫を粉砕中これが高校最後の痕跡瓦礫を除くと跡地は更地になる
昨日声を聴いたが姿は見えなかった。しかし、今日は姿を見ることができ撮影した。夜空では撮影が難しい。撮影、写ったはずだが・・・画像表示を変えた。横線は電線ライトが入ってしまったが、中央付近に写っているトリミング夜空を飛んでいる白鳥の群れだ。
日曜日、機関砲の整備か取り扱いの説明をしていた。遠隔操作の機関砲20ミリ六連装機関砲。回転式多連装機関砲をガトリング砲という。20ミリガトリング砲は通称バルカン砲錆びているミサイルや航空機を打ち落とすタイプは発射速度1分間に3000〜600
職場のBBQ、9月初めの予定だったが全停電で延期、寒空寸前に開催。ウォーキングでBBQ開場のホワイトビーチに向かう。発電所付近は街灯がなく暗いホワイトビーチはガリンコ号の港近くシーズンオフで閑散としているキャンプ場の駐車場に車がたくさん止
ウォーキング、連続休みなしウォーキング14,000歩(10キロ)、1日のウォーキング最高記録22,537歩達成。高台の道を行く、巨大なクレーン船が二隻いる夕焼けカニの爪、ここまでに4,700歩流氷記念館、蛍光色なのかやたら柵が目立つオブジェ発
■仙谷由人元官房長官死去、72歳=民主政権の屋台骨(時事通信社 - 10月16日 15:00)http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5333578尖閣問題を早期に解決したと褒めていた・・・・漁船衝突(どう見ても体当たりだが)を隠ぺいしていたの
紋別港の様子。巨大なクレーン船が作業をしていました。雨が少し降り虹が出ました。クレーン船(210トン級)出航釣り人や巡視船のすぐ横を航行釣り人の脇に接岸巨大な護岸ブロックを積み込み始めたスピードが凄いずんずん積み込んでいく。一個1〜2分程
紋別に配備された巡視船「そらち」旧型よりかなり船体は大きい。全長で約4メートル、幅約2メートル大きな船体船尾、最高速力は18ノットから25ノットになった船首前方が旧そらちの手動20ミリガトリング砲から遠隔式に変更、後方は放水銃ブリッジとマスト搭
北見市端野町の郷土資料館、開館時間になかなか行けず、やっと開館している時間帯、開館日に行けた。ちょうど郷土資料の展示会だった。学校関係の展示展示場1980年代前半の漫画、雑誌類、すでに郷土資料端野町にいた屯田兵全員の肖像画、中に入るとけっこう
取り壊し中の仁頃高校です校舎は消えました体育館の屋台骨奇麗に土台もなくなりました校舎正面を横からこの辺りに三列の校舎があった瓦礫もなくなった道路側の壁はあるがこちらはない校舎正面から体育館もまもなく消え、完全に更地となりそうです。
ふるさと銀河線跡北見市内の南大通りの高架橋、半月ぶりに行ってみた。高架橋の橋台、こちら側が無いここにあったはずだ窪みだった高架下の道も平らになった道の半分は平らにならされた、今度は向こう側ちょうどロードローラーが通った。道路の様子が分かる
久しぶりにネットに繋がりました。月曜日、帰宅するとネットに繋がらなくなった。モデムを再起動したがだめ。そこで初期化しパスワードから設定したがつながらなかった。 今日、初期かと再設定を同時に押すと繋がった。しかし、それでつながったかは不明
前回訪問から3週間ほど、取り壊しの始まっていた北見市仁頃高校に行ってみた。体育館、壁がなくなり柱と屋根だけになったようだ反対側から、重機で取り壊し作業中校舎はほとんど取り壊された正面、けっこう作りが簡単だったようだ校舎正面、残り僅か玄関、