mixiユーザー(id:1360988)

2014年11月28日00:29

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廃280壕1

雄武町の街中に川が二つあり、旧雄武小学校(現在、跡地には児童館があります)のがけ下にオコツナイ川があります。現在国道278号線が陸橋となっています。その陸橋の東端に天理教の建物があります。現在はローソンになっている場所に個人商店がありました。
 昔は天理教との間に建設会社がありました。天理教と建設会社の間の道を通り国鉄興浜南線の渡った場所にあるのがひとつ山です。35年以上前はスキー場でした。その入口の駅寄り(オコツナイ川寄り)の鉄道の掘割の斜面に金属の蓋がありました。そこは「防空壕跡」と呼ばれ、空洞になっているとのことでした。位置はオコツナイ川河口を見ることができる場所です。
 この位置に防空壕を作るとは思えない場所です。これが市街地で上陸しやすい河口を狙う機関銃などを設置した壕である可能性もあります。
 しかし、記録がありません。雄武町には戦時中、防空見張り台があったこと、町内で最も奥の上幌内に軍隊が駐留したこと以外、今のところ記録を見つけていません。奥地に駐留したのは当時、北海道の道東を防衛する歩兵第七師団は一回の戦闘分の弾薬しかなく、奥地に引きゲリラ戦をする予定だったためとのことです。
 本土決戦の準備は終戦時一会戦分(1週間分程度大砲は1日に弾薬50発、1週間は350発)程度、備蓄0.5会戦分だったようです。第七師団も概ねその程度の準備はあったようです。
 雄武に駐留していた部隊ですが、郷土防衛の義勇軍以外は特設警備中隊が湧別、紋別、興部に配備されていたようです。そのうちの1個小隊程度が雄武に駐留していたのかもしれません。
 奥に部隊はいますが、上陸可能な場所に見張りと防衛に部隊がいてもおかしくはありません。実際、雄武町の「防空壕跡」はもう一ケ所ありました。雄武川近くの高台で、雄武川河口からなんとか直接見通せる位置のそばでした


国鉄興浜南線跡の掘割と後方の一つ山
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盛り上がりが築堤跡、奥の斜面付近に金属の蓋があったはずです
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一部陥没しています。壕の跡でしょうか?
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その先は線路跡の築堤が駅(現在は道の駅)に向かい続いています。平らな場所の横がオコツナイ川で、河口が見通せます。
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この仮定を確かめるために資料を探さないと・・・


この後、雄武川付近に移動

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