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2020年06月01日22:05

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C95冬コミ旅行 その1

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一昨年の年末から昨年の年始にかけてお出かけしたときの画像をやっとこさアップロード。
例年通りの冬コミ参加から、平成最後の新年皇居一般参賀に参加するため東京で年越ししたのでした。
思い返せば行き当たりばったりながら、なかなかに金と時間を贅沢に使った旅でありました。




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平成30年12月28日
年の瀬迫った12月末
この年最後の、そして翌年最初となる旅行に出掛けました。
普段出勤で使うのよりも1時間ほど遅い列車で大阪へ、これから冬コミ参加のために東京へ向かうわけですが、折角青春18切符を使用するので少し関西で寄り道など。
大阪駅のロッカーに大荷物を預け、下りの新快速に乗車し東京とは真逆の西へ、通勤ラッシュも終わった時間なので大阪駅からでも余裕の着席。

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新快速は播州赤穂行きですが、今回は途中の姫路で下車して播但線に乗り換え。
阪和線、大阪環状線、大和路線で103系が引退しても何も変わらない播但線、響き渡るモーター音と内臓から揺さぶられるようなジャンピングな乗り心地を楽しみつつ市川沿いに冬の神崎郡を北上する。

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列車の終点、寺前で和田山行きの列車に乗り換え。
今や国鉄を代表する通勤電車と気動車と言っても差し支えない両形式が顔を合わせるのはここと唐津くらいなものか。同じ路線なのに一気に田舎に来たような雰囲気になるのが面白い。

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固いボックスシートから眺める車窓は流れが細くなった市川と生野峠、列車はいつしか但馬に入り車窓に占める白色の割合は増してゆく。
かつて多くの銀を産出し時の但馬領主や幕府を潤した生野の山はまさしく銀世界、銀の馬車道は銀で彩られていた。


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寺前から50分弱で終点の和田山に到着。寺前を出たときには全く降っていなかった雪も和田山に到着した頃には軽く吹雪く程度に降っていた。
多くの18キッパーはここで下りの山陰線に乗り継ぐところ、今回は駅前でタクシーを拾い和田山から西へ向かいます。

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タクシーで和田山駅から約20分。朝来市の東端にある粟鹿(あわが)神社に到着、かわちさんの全国一宮紀行in但馬(その2)。
一応和田山駅前から全但バスのバス路線があるものの、あまりに本数が少ないため今回はタクシーでの参拝となりました。しかし雪が舞うこの天気では門前まで乗り入れられるタクシーを利用したのは正解だったかも知れない。
お参りする間タクシーには待っていて貰うのであまり参拝に時間をかけていられないのは残念だ。

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私が訪れたのは年末も差し迫った時期、境内はすっかり正月の装いで新年を待ちわびている。
今でこそ朝来市の東端で福知山市との境に近い粟鹿ですが、但馬が丹波と接する粟鹿の地はかつての国境地帯。室町時代の応仁の乱に当たっては西軍大将の山名氏の領国であった但馬へ東軍大将の細川氏の軍勢が領国の丹波から攻め寄せ粟鹿神社も焼き討ちに遭い多くの建物を焼失している。

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同じく但馬國一宮(その1)の出石神社には過去に大雪の中参拝したことがあるのですが、粟鹿神社へはお参りしようとする度に大雪や台風で列車が止まったり、体調を崩したりでできず仕舞い。今回やっと参拝が叶いました、わたし粟鹿の神様に嫌われてんのかな。
今回も雪が舞う中でしたが参拝後にご朱印をいただき但馬國も制覇、やっと念願が果たせました。



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復路はタクシーで和田山ではなく一駅東側の山陰線梁瀬駅へ。
梁瀬からは福知山行きの列車に乗車、てっきり223系が来るものかと思っていたら抹茶色の113系でした。

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これまた固いボックス席に揺られながら車窓に広がる銀世界を眺めつつ山陰線を東へ。
丹波に入り、牧川沿いに福知山へ向かう夜久野の谷に積もる雪は但馬よりも深いか、日ごろから雪に慣れていないかわちさんは積雪風景を見ただけで遠くに来たと言う実感が湧くのです。

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終点の福知山からは福知山線の篠山口行き列車に乗り換え。
なんか久しぶりに見るステンレスの電車に「帰ってきた」という安堵感と「帰ってきてしまった」という複雑な気持ちに陥る。

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篠山口からは大阪行きの丹波路快速に接続。
福知山市内でも降り続いていた雪はいつの間にか緩やかになり、篠山盆地は軽く雪が舞い遠くがうっすらと白く見える程度の薄い薄い積雪に。
丹波路快速に乗ってしまえば大阪まで直通なので篠山口を発車してから大阪駅の手前まで安心して熟睡していました。



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再びの大阪駅でロッカーに預けていた荷物を回収し、今回冬コミにご一緒する同じ会社の友人と合流。
普段は一人旅が多いかわちさんですが、お遍路か奥の細道よろしく「同行二人」となった一行、いや東海道だから東海道中膝栗毛か。手始めに大阪駅近くのサイゼリヤで軽く夕食を済ませ上りの新快速に乗って東へ向かいます。
いくぞ逆向き弥次喜多珍道中、ここからが冬コミ旅行本番さ!

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途中米原で列車を乗り継ぎやって来たのは大垣駅。
同行する友人は乗り物酔いしやすいと言うので、途中下車して休憩しても大丈夫なように時間に余裕を持って来たけど大丈夫だったみたい。
そんなわけで時間にはだいぶ余裕ができたので大垣駅前の居酒屋で軽くつまみつつ列車を待ちます。


ほど良く酔いもまわったところで駅へ戻り目的の列車入線。

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大垣からは今回もムーンライトながらに乗車して東京を目指します。当然だよな。
列車の入線は22時40分頃、友人は酔いが廻ったのもあってか列車が入線する頃にはひたすら眠そうだった。

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列車は定時で大垣駅を発車、岐阜、名古屋と順調に中京圏の夜を飛び東へ向かう。
普段コミケ参加時は往復新幹線利用の友人をムーンライトながらに誘ったのは他ならぬ私なのですが、べつに鉄道好きでも無い人間を座席夜行に誘ったのは宜しくなかったか乗り心地は芳しくなかったみたい。
他人を誘っておいてこんなこと言うのも何ですが、やっぱりかわちさんは一人旅が気楽で純粋に楽しいわ。

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友人は名古屋を発車した辺りで早々に眠ってしまったのでかわちさんは一人で隣の友人を起こさないように少し窮屈な一人晩酌。浜松での長時間停車で酔い覚ましに外の空気を吸いに出たのがいつも以上に心地良かった思い出。
そんなわけでこの日は浜松発車後に就寝しました。


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平成30年12月29日、おはようございました。
この日は横浜到着前のおはよう放送で起床、品川到着場面で隣の友人を起こし東京駅には無事定時で到着。お疲れ様でした。
乗り物酔いを心配していた友人は熟睡していて酔わなかったものの、目覚めたときの腰痛が辛かったと。誘っておいて何だが座席夜行だ、ある程度は受け入れて貰う外無い。


5時15分、ムーンライトながら回送。
ムーンライトながらの回送を見送った後、このまま冬コミ一日目に参加する友人と改札口で別れ私は次の目的地へ向かいました。



続きます・・・。
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