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2020年01月17日22:05

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夏の東日本周遊紀行 その2

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続きました



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平成30年8月9日
この日は大垣からのムーンライトながらで東京へ。
東京には無事定時で到着、ながらの回送を見送って次の目的地へ向かいます。

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人気の少ない東京駅の地下道を歩き、メトロ東西線で大手町駅から九段下へ移動、6時の開門と同時に靖国神社へ参拝します。
東京に来たらまずは参拝、今回も来ることができました。

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靖国神社に参拝後は市ヶ谷駅から総武中央線で新宿へ向かい、新宿からは湘南新宿ラインの高崎行き列車に乗車。
新宿から高崎方の車両に乗ってて車内で眠ってしまっていたので、籠原の前より車両切り離しのときに駅員さんに起こされる。危うく虚無の空間(高崎車両センター籠原派出)に連れて行かれるところやったわ。

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終点の高崎では両毛線の伊勢崎行き列車に乗り換え。
両毛線って115系か107系のイメージだったのが211系が入って何か印象変わった感じ。 少し前まで高崎線にも211系が走っていたのにねー。


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上毛の豊かな耕地の中を走りぬけ、高崎から30分弱で列車の終点の伊勢崎に到着。
「いせざき」ではない、『いせさき』である。絶対に間違えるな。

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伊勢崎からは群馬栃木の東武各線の乗りつぶしのために東武伊勢崎線に乗り換え、一見JRと東武で同じ高架橋かと思えば、よく見ると繋がっていないのね。
伊勢崎線は過去に浅草からの特急りょうもうで太田まで乗車していたのですが、何と言うか伊勢崎線って浅草から伊勢崎に行くにつれて先細りと言うか尻すぼみ感がありますね。
浅草から続く東武伊勢崎線の終点にも関わらず、浅草直通の特急りょうもう号もほとんどが赤城か太田からの設定で伊勢崎発着は朝夜に一本あるのみ、普通列車も太田〜伊勢崎間は一時間に一本のみ。都内のいわゆる「東武スカイツリーライン」区間の賑わいが嘘のような閑散っぷり。

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列車は館林行きですが今回は途中の太田で下車。
この後ここから東武小泉線の列車に乗るのですが、伊勢崎からの列車が太田に到着する直前に出発してしまうので50分待ち。乗り継ぎが悪すぎる。
仕方が無いので駅前のビルに入っていたドンキホーテでウィンドウショッピングなどをして時間を潰していましたが、見てるだけでも案外面白いものですね、ドンキ。

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50分後、やっと来た小泉線の列車に乗車。

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太田から二駅隣の東小泉で下車。
到着した直後に向かいのホームにやってくる西小泉行き列車に乗車です。
太田館林付近の東武線は複雑怪奇。

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そんなわけで小泉線の終点、西小泉駅に到着。
駅が立地するここ大泉町は住民の1割が外国人労働者、それも半分以上がブラジル人という事情のため、私が訪れた約1年前に建て替えられたばかりの新駅舎にはブラジルの国鳥のオニオオハシのレリーフが飾られ、案内板には日本語、英語、中国語、朝鮮語に加えポルトガル語、スペイン語が加えられた六ヶ国語態勢。
よそ者の私が言うのも何ですが、そこまでする必要はあるのかしら。

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そんな西小泉ですが、現在の列車には過分な長いホームに広めの構内、西小泉駅の延長線上に続く細長い用地。
これは終戦まで軍用機を製作していた中島飛行機小泉製作所(現:パナソニック東京製作所)への専用線や、昭和51年まで利根川の砂利採取を行うため、ここから先の利根川手前まで延びていた仙石河岸線という貨物線の名残だそうな。
ちなみに仙石河岸線からは利根川を渡り、最後まで非電化路線だったことで有名な東武熊谷線に接続する計画があったとか。もし実現していたら東武線乗り潰しの難易度はさらに上がっていた。


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西小泉から折り返し、小泉線の残った区間をそのまま乗車して終点の館林に到着。
徳川家康が関東に移封となると徳川四天王の一人、榊原康政が治め、江戸時代には将軍に就任する前の徳川綱吉も封じられた館林。最近では夏に「日本一暑い街」を売りにしていたこともありました、そんなキャッチフレーズよりも他になんかあるだろ。
館林からは東武佐野線に乗り換え、今では朝夕に浅草直通の特急も走りますが、元を辿れば馬車軌道に端を発する路線。
館林を出て少し行くと渡良瀬川を渡り栃木県へ。

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館林から35分で終点の葛生(くずう)駅に到着、これで東武佐野線も完乗です。

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葛生駅のホーム自体は一面しか無いものの、今に残る広い構内敷地。
一部は太陽光パネルが敷き詰められソーラー発電所にもなっています

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駅のすぐ東側には路線から続く雑草が盛大に繁茂する細長い敷地。かつてはここから会沢線、大叶線、日鉄鉱業羽鶴専用鉄道という石灰石輸送のための路線が三本も延びていて多くの貨物列車が行き交ったそうな。葛生駅構内の広い敷地もこの貨物列車のためだったのですね。
ちなみに石灰石を運ぶために開業した馬車軌道が佐野線のルーツですが、日光への路線進出を目指していた東武鉄道は当初葛生から会沢の山をぶち抜いて鹿沼を経て日光に向かう路線を計画していたとか。

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葛生から再び東武佐野線を折り返し、今度は佐野駅で下車。
駅の裏手には佐野城と言う城跡があり、平成15年に橋上駅舎になった現在の駅舎から直接城跡に立ち入れるという他ではあまり見ない駅。
城跡と言ってもここを治めた佐野氏は築城からわずか14年で改易、城も廃城とされたので実際にここが城だった期間はとても短い。

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佐野からは小山行きの両毛線列車に乗車。

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両毛線を栃木駅で下車して今度は東武宇都宮線の乗り潰しのため乗り換え。
なんか東武線の乗り潰ししてても乗る車両がことごとく800系ばっかりで何とも変化を感じないのですね。

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そんなわけで終点の東武宇都宮駅に到着。
東武宇都宮到着時には向かいのホームに当時20000系から改造されて試運転を行っていた20400型が停車中でした。
これを書いている今では宇都宮線の普通列車は20400型のみになってしまったのですね。



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東武宇都宮からはJR宇都宮駅まで東野交通のバスに乗って移動。
JR宇都宮駅まではほぼ一本道で十分歩いていける距離ですが、今回は時間が惜しいのでバスを利用。早いこと宇都宮LRTを造ってほしいわ。

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JR宇都宮駅からはJR日光線の列車に乗車、あらメルヘン。

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宇都宮の市街地を抜け車窓には鹿沼や今市の田園風景。
台風接近とかで朝から重たい曇天模様だった空もやっと雲が晴れ青い空が見えてきました。

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実り多い田園風景を楽しみつつ列車の終点、日光駅に到着。
大正元年に建設された趣ある洋風駅舎ですが、私が訪れる1年前に四季島の停車駅になるのに合わせて駅舎がリニューアルされました。

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さて、今回日光を訪れたのは日光東照宮も二荒山神社も猿軍団も中禅寺湖もすべてを無視して、未だに乗車できていなかった東武日光線の東武日光〜下今市間を乗車するためでした。
「日光を見ずして結構と言う無かれ」なんて言葉があるけど、ほんとこの男は天下の日光に一体何しに行ったんだろうな。 許せ徳川家康。
そんなわけでJR日光駅からすぐ近くにある東武日光駅にやって来ました。

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東武日光からは南栗橋行きの区間快速に乗車。
車両は東武の名車6050系、東武500系がデビューしていまは定期運用で南栗橋以南に来ることが無いのですね。過去に浅草から会津田島まで乗り通したのはいかにも鉄道旅行をしていると言った感じで本当に楽しかったなぁ。
隣に停車しているのは会津鉄道のAIZUマウントエクスプレス、東武日光まで乗り入れるとは知らなかった。

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東武日光から二駅、下今市駅で下車。これで東武鉄道の路線も全線完乗です。
列車を降りた向こうにはSL大樹で使用される14系客車が休憩中、急行はまなすで彼の客車に乗車した日は既に遠く、あの頃はまさか東武で蒸気機関車が走ることになるとは思いもしなかったものです。


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東武の下今市駅からは歩いてJR今市駅へ移動し再び日光線で宇都宮へ戻ります。
下今市から今市までは徒歩15分程度の距離、普通に歩けば十分に間に合う時間があったのですが、迷って下今市駅から逆方向に歩いてしまって慌てて駆け戻り時間ギリギリ、息も絶え絶え汗だくになってしまったわ。

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宇都宮からはやまびこ147号に乗って一気に東北を目指します。18切符旅行なのに新幹線なんて。
乗り残した東武の路線を巡っていたら日中丸々使ってしまい、明日以降東北を巡るにはここで新幹線を使うしかないのですね。

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そんなわけで列車の終点の仙台に到着、やっと来たぞ東北。
この日は仙台のホテルで宿泊、好きで乗ってるムーンライトながらとは言えやっぱり足を伸ばして横になれるのは快適やわ。

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せっかく仙台に来たので名物の牛タンに舌鼓。
次の日はさらに東北を北上します。



続きます・・・
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