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2020年02月17日07:30

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沖縄

母は沖縄には観光で行かないと言います。
沢山の犠牲者が海に眠っていて、
海に入ると足を引っ張られると言うのです。
私もなんだか行けずにいます。


【たったひとりのために】

「島唄」は、本当はたった一人の
おばあさんに聴いてもらいたくて
作った歌だ。

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいた
ぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」
を初めて訪れた。

そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りの
おばあさんに出会い、本土決戦を
引き延ばすための「捨て石」とされた
激しい沖縄地上戦で大勢の住民が
犠牲になったことを知った。

捕虜になることを恐れた
肉親同士が互いに殺し合う。

極限状況の話を聞くうちにぼくは、
そんな事実も知らずに生きてきた
無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ
(自然洞窟)の中にいるような
造りになっている。

このような場所で集団自決した
人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、
ウージ(さとうきび)が静かに
風に揺れている。

この対比を曲にしておばあさんに
聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人
を歌った部分がある。

「ウージの森で あなたと出会い 
ウージの下で 千代にさよなら」

という下りだ。

「島唄」はレとラがない
沖縄音階で作ったが、
この部分は本土で使われている
音階に戻した。

2人は本土の犠牲になったのだから。

2005年8月22日 朝日新聞

『島唄』

でいごの花が咲き
風を呼び 嵐が来た

(災厄を告げるという でいごの花が咲き、
(1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した)

でいごが咲き乱れ
風を呼び 嵐が来た
繰りかへす哀しみは 島わたる 波のよう

(でいごが咲き乱れる1945.4-6月に、
 寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返された)

ウージぬ森で あなたと出会い
ウージぬ下で 千代にさよなら

(サトウキビ畑であなたと出会い
 (ガマ)鍾乳穴の防空壕で
 君が代にいう永久の御代との別れ)

島唄よ 風にのり
鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 
届けておくれ わたしぬ涙

(島唄よ 風にのり
 しびとの魂(鳥)と共に 海を渡れ
 島唄よ 風にのり 
 本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀を)

でいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花

(でいごの花も散る1945.6.23に
 戦闘も終わり、宝より大切な命が散り、
 生き残っている者もあまりいない
 日常生活は、簡単に消え去った)

ウージぬ森で うたった友よ
ウージぬ下で 八千代ぬ別れ

(さとうきび畑で謡いあったあの人は
 防空壕の中で、戦闘によって死んだ)

島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を

(沖縄の思いよ、風に乗って
 魂と共に、海を越えて
 (あの人の居るニライ・カナイ=天国へ)
 島唄よ 風に乗り
 (ニライカナイへ)届けておくれ 私の愛を)

海よ
宇宙よ
神よ
いのちよ
このまま永遠に夕凪を

(海よ
 宇宙よ
 神よ(豊穣をもたらす)
 いのちよ(何物にも代え難い命という宝よ)
 このまま永遠に夕凪(平和)を(祈る))
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