勉強なんてするかっボケ!・・でもなあ。
自分は英語がうまいほうではないが、海外で日常生活ができるほどには読み書きと話すことはできる。
ラッキーなことに信頼できる海外の仲間にもめぐまれて、それで仕事の縁がつながることも多く、英語が理解できていなかったらと思うとゾッとする。
一方で自分の若いころは英語の専門教育は一切受けておらず義務教育の評価では五段階評価中、1しかとったことがない。
それぐらいダメダメな人だった。
最近の考えでは語学上達の早道は留学という意見が主流だが、自分の時代では留学できる人間は金持ちのごく一部だった。
その日その日のバイト代で生活する定時制高校の自分の身の上では留学など夢のまた夢の話だった。
「英語話したいけれど、能力も金もない俺じゃなあ・・」
とガソリンスタンドのバイトでオイルまみれになった自分の姿を見て何度かそう思ったことがある。
食うや食わずで一日の飯のおかずがほていの焼き鳥缶ひとつだったころは、寝ても覚めても思い浮かぶのは食い物のときだった。
夜中の12時頃には腹がグーグー鳴って
「・・こんな飯もくえんような状況で、勉強できるかい・・!」
と文机の参考書やノートをひっくりかえしたことも。
しかしそこに救いをもたらすような人たちを知った。
最初はふと読んだ本の空海であった。
空海の時代、唐に渡るのは難破の危険を冒す一大行であったが、空海の力はすごかったらしい。
命からがら唐の一地方に渡り、漂着した地でそこの役人から審問されると、空海は当時の中国語でいままでのいきさつを説明できたらしい。
今まで漢書しか読んだことのなかった一介の僧が、それだけの知識で意思伝達できたと言うことは、驚異というほかない。
また時代は下がって江戸時代、当時の日本は知られているとおり鎖国状態ではあったが、厳密にはそうではなく、長崎の出島を通して世界各国の状況を知っていた。
そこで当時の日本人達はオランダ語を初歩から習い、ポンペなどは当時最新の物理学、化学、解剖学、生理学、病理学といった医学関連科目をすべて教えた。
ここで簡単に「教えた」と書いているが、想像してみて欲しい。
江戸訛りの標準語さえ理解しにくかった日本の医学師弟がオランダ語を出島でたった一人の教師から教えてもらい、そしてネイティブでさえ学習しがたい医学全般を習得できたのである。
これらの人たちの功績のおかげで、今日の我々は不治と言われた結核からすくわれ、事実上天然痘を絶滅できている。
思えば出島など、プラネタリムなどで見る五等星の星のような一点の穴であり、その一点の穴から差し込む光で宇宙をしるような、そんな場所であったろうと思う。
もちろん、それからの日本人は政府の後押しもあって留学し、海外からの最新技術を持ち帰るのであるが、それにしても語学習得は留学が先ではなく、第一、第二に辞典による自学自習であり、せいぜいが洋行帰りの先輩だった。
自分は高校時代運良くそんな人たちの存在をしって、
「・・よし、もう一度やろう。」
という気持ちになれた。
半ばやけくそになっていた気持ちから、参考書や辞典を拾いなおす気力に持ち直すことができた。
あの頃の自分はほんとうに運がよかったと今でも思っている。
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