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2019年12月04日03:04

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【そもそも人間学とは何か】 個々人が主体性を失えば組織は崩壊する

知古嶋芳琉です。

 引き続き、

私が師事した安岡正篤師が

某企業の入社式に招かれてお話をされた

筆録をご紹介しております。

−−−ここからはその引用です−−−

■ 運命を創る

○ 次代をつくる人々のために

<個々人が主体性を失えば組織も崩壊する>

さて、

人間というものは、

本を読まなくなりますと頭がきかなくなってくる。

そこで

絶えず有益な書物を読まねばならない。

皆さんに、

その意味でお奨めできる書物の一つに、

ヒルティのものがいろいろ出ております。

もうすでにご存知の方もありましょうが、

近代スイスの最も尊敬すべき学者であり、

実際家であり、経済家であります。

このヒルティが、

「男子はその仕事場で、

女子はその家庭で働く様を見て

本当にその人となりが分かる。

男女とも

つらいこと、苦しいことに際して

最もよく彼らを知ることができる。

最も分からないのは社交の場である」

と言っています。

ところが、

近代はその大切な自己完成ということを

失ってきているのです。

「蟻丘の時代、群集的生活の時代が始まっている。

もし

抽象的平等が勝つならば、

個人主義の世紀が、

もはや

真の個人を見ることができないという大危機が進行する。

絶えざる平均化と労働の分業とによって、

社会は一切となるが、

人は皆無となろう」と、

同じスイスの哲人アミエルが申しております。

甚だ困ったことに、

これは

近代共通の現象でありますが、

特に

わが国において、

この

有史以来

未曾有の敗戦、

無条件降伏、

米軍の進駐管理などから、

意気地なくも

いよいよ

世の中が荒(すさ)んでしまいまして、

虚無的といいますか、

頽廃的といいますか、

そこには

いろいろの

悪い思想や傾向が生じました。

その一番悪い根本的問題は、

自己の喪失であります。

真の自分を見失ってしまうこと、

いわゆる

主体性を喪失することです。

そのために

自ら

積極的に働く志気・気概・努力、

これがまったく失われておるのであります。

それに、

時代の環境というものが

ますます

そういう傾向を強くしているのであります。

というのは、

今日

社会生活の単位が

だんだんと

個人から集団に移って、

組織化する傾向が非常に強くなってきたのであります。

そのために

個人というものは、

その集団に

没却(ぼっきゃく:無視すること。念頭におかないこと)されて

いっております。

 早い話が、

どこの職場に行きましても

組合があって、

個人個人がその組合のメンバーとなって

機械的に動いております。

政治には政党があって、その政党本位に動きます。

選挙の投票でも、

個人に投票するのではなくて、

政党に投票せよというふうになって、

あらゆる方面において

そのように

集団がものをいう。

そして

個人の自由な思想・行動を許さない。

これは恐ろしいことであります。

いかに組織が発達し、集団化しましても、

これを構成する個人個人が自己を喪失していきますと、

組織そのものが、

集団そのものが、

崩壊することになります。

これは

ギリシャ、ローマを始め、

幾多の歴史を観察いたしましても、

実に戦慄すべきことであります。

ニュルンベルクの裁判において、

ナチ当時の軍需相であったシュペアが述懐して、

こう言っております。

「科学技術が発達して、機械的組織が完備するに従い、

人間は次第に単なる命令受領者にすぎなくなって、

その結果、独裁者を生ずるようになる。

今後、社会が機械化するほど、

同時に自由な個人の完成に努力しなければならない」

これは、

近代文明人に対する悲痛な見識であり、述懐であります。

機械化・組織化するにつれて、

その社会は危険になりやすい。

現実は

理想主義者が何と考えましても、

多分に

幻滅の危険が多い。

実存するもの、

我々が経験するものは、

概して不満を抱かしめられやすい。

それが新たな実存主義といったような主張になって、

欧米と同時に

日本の社会をも風靡したのであります。

今までの日本人が

金甌無欠(きんおうむけつ:傷のない黄金のかめのように、

完全で欠点のないこと。

国家が強固で、外国の侵略を受けたことがないことをいう)

だの、

あるいは

神聖不可侵のといった天皇制はどうであるか。

あれほど威張っていた軍閥はどうなったか。

教育勅語は廃止された。

そして

忠君愛国は呪うべきもののように言われる。

今までの我々の人生、

我々の社会を支配しておった

一切の権威が、

みな破滅したように見えたのであります。

我々は

いったい

何によるべきであるか。

あるものは、

ただ罪悪や腐敗ばかりである。

要するに、

人間というものは、

世の中というものは、

何にしても

真の価値はない。

ただ、

その日その日、

なんとかしていくほかない。

こういった気分、

その中に

自分もでたらめな生活をする。

これは、

まさに世紀末的現象でありますが、

ところが、

少し実存主義というものを突っ込んで研究してみますと、

本当の実存主義は決してそういうものではない。

実存主義研究上

まず

誰も知る

キルケゴールの真面目はどこにあるか。

彼は、

世の中の実相が

あらゆる腐敗・堕落に満ち満ちているだけ、

それだけ

それを潔しとせぬ

独立独歩に徹せんとしたのです。

真に心ある者は、

そういう環境、

そういう大衆の中に、

虚無的・頽廃的な生活をしておってはならない。

そこに

自ら、

いかに寂寞(せきばく)であろうが、

いかなる迫害を受けようが、

毅然として

孤独に生きる志節を持たねばならぬ。

それだけの

信念と識見を持たねばならない。

それを誇りとしなくてはならないとしたのであります。

ですから、

キルケゴールも

頽廃的な大衆生活に飽き足らずして、

孤独であり、

自己の主体性を把握して、

それこそ

真の自由に生きようとするものであります。

キルケゴールは、

かくして

ソクラテスを

祖述(そじゅつ:先人の説を受け継いで述べること)

しておるのであります。

ところが

今日、

実存主義を以って任じている人々の多くは、

キルケゴールやソクラテスとは

似ても似つかぬデカダンであります。

そこには

腐敗と堕落と虚飾しかありません。

人類の恩人であるパスツールは、

かつて

パリのソルボンヌ大学で学生たちに語りました。

「何ものをも生み出すことのできない

懐疑主義に染まってはならない。

諸国民を覆うある時期の悲哀によって

落胆せしめられてはならない。

まず

自ら問うてみることである。

自己の修養のために

何をなしたかと。

そして

諸君が次第に進歩したならば、

自分は祖国のために何をなしたかと自問してみなさい。

そして諸君は、

ついに

人類のために、

また、

その進歩のために、

何らかの形で

寄与したという自覚で、

広大な幸福感に浸りうる時が必ず来るであろう」

この精神、

こういう人物を失ってしまえば、

文明そのものが

恐るべき破滅に向かって驀進します。

組織化・機械化という傾向が

実は

破滅を促進するのです。 

これを救うものは、

シュペアーが言いましたように、

確かに

自己の完成に努力することであります。

これによってのみ、

その組織化・機械化の陥らんとする

破滅から救われるのです。

組織、機械というものは、要するに人がつくるものです。

個々人が個々人の主体性を失っては、

いかなる集団も組織も、やがて崩壊するのは当然です。

「結局、

社会の将来を決定するものは、

その組織をどれほどか

完成に近づけるにあるのではなく、

その組織に参ずる

多数の者の個人的価値、

また

彼らが

それを以って

いかに集団に参加し、

その影響を受け、

さらに

影響を与えるかという働きにかかっている」と、

かつて

マルクス主義哲学の権威者で、

今は解脱して敬虔な宗教哲学者である

ベルジャイエフが説いています。

動かすことの出来ない定論であります。

皆さんにしてみれば、

この会社の組織を

どれほどか完成に近づけるというよりも、

この会社、

この組織に参与する皆さん自身の

個人的価値と、

それで以って

どういう影響を

この会社に与えうるかということの方が根本問題です。

皆さんが、

その

任された仕事を以って、

いかに会社に参加し、

この会社の影響を受け、

すなわち社風のもとに生活し、

さらに

この会社の社風を

どうつくっていくかという働きが大切なのであります。

この精神と努力によって初めて

今後の社会は発展していくのであります。

いかなる官庁も、会社も、事業体も、みなそうであります。

これは

現代国家、

現代世界の

将来を決定する問題の

根本的なものであると

繰り返し

申さねばなりません。

前大戦に敗れたドイツのインフレ禍を救った

有名なシャハトも、

「深い精神的・感情的生活が

すべての物質的生活の

有効迅速な解決を助ける」

と申しておりますが、

人々は案外なほどこれを忘れています。

−−−引用はここまでです−−−

ここからは知古嶋芳琉が書いています。

この件(くだり)も、

要約すれば、

代々語り継ぐ家訓とすべき内容を含蓄していることは、

あえて

私が申し上げるまでもございません。

ですから、

私から言われるまでもなく、

直筆で紙に大書して床の間に掲げて

毎日10回以上は必ず読み直すくらいの訓練は

やるべきです。

更に言えば、

安岡先生の、

ここまで辛辣なご批判を

真っ向から

受け止めることができる人物を育成するために開いたのが、

私の塾でございます。

もし

「人間学実践講座」を受講するのであれば、

月謝は平均月収の1割ですから、

そう負担にはならないでしょう。

それすらも払えないという、

「貧乏父さん」みたいな人ではお話になりません。

なぜならば、

あの

アンソニー・ロビンスが書いているように、

収入の1割を寄付に使い、

1割を貯金し、

1割を投資に回し、

残る7割で生活をするのが

大前提だからです。

こんな基本的なこともできないようなら、

お断りいたします。

堕落・頽廃した人間は、

自分の収入を超える金額まで使ってしまいます。

つまり、

ローンを使って借金をするわけですが、

これをやるのが、

ロバート・キヨサキが書いた

『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』に出てきた、

「最低のレベルの投資家」でありまして、

別名を浪費家と申します。

彼らは

自分への教育投資のお金なんて、

1円もないと言うのが口ぐせです。

それに引き換え、

私の身近には

感心な若者がおりまして、

彼のお兄さんは

既に

オーストラリアで起業して

成功しておりまして、

金髪で青い目をした美人と結婚して、

子供もいたりするので、

その弟である彼は

税金が高い日本で起業しようなんて、

始めから考えてないといっておりました。

その視野は、

既にグローバルに拡がっているのであります。

ある年の春の連休に、

彼が

わが家に

遊びに来て、

しばらくは

リビングに置いてあるピアノを弾いたりしておりましたが、

私が書斎にこもっている間に、

書架から

5冊もの本を持ち帰りました。

勉強熱心な人であります。

数週間後に、借りた本を返してくれましたが、

お礼に置いていったのが、

あのアンソニー・ロビンスの弟子が書いた本でした。

彼は、

ロバート・キヨサキの本は

全部読んだといっておりましたが、

友人にも読ませるほどの信奉者であります。

ですから、もう、私たちの間では、

言葉は不要で、

お互いに、

一人の人間として

尊敬するのみであります。

こういう若者がいてくれるだけで、

私は嬉しくなってしまいます。


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