「ブラタモリ」で男鹿半島を取り上げていて、秋田には何故美人が多いのかという話題に、前にも書いた1953年に木村伊兵衛が撮った秋田の美人のポスターが使われていた。
このモデルは柴田洋子さんという人で、もう亡くなられている。
1952年に大曲で「第1回全県おばこコンクール」が開催され、当時18歳、大曲高校の3年生だった柴田さんも参加し入賞。
その入賞者たちの撮影会でアマチュア写真家の大野源次郎さんが撮った柴田さんの写真がコンクールで賞を取り、「アサヒカメラ」のグラビアになった。
その写真を見て木村伊兵衛がモデルを依頼して撮った写真(1953年当時19歳)が、66年後の今でも秋田おばこのポスターに使われている。
菅笠を被って伏し目がちの顔はウクライナのコサック騎兵だった父親と日本人の母親とのハーフの力士、大鵬の若い頃に似ているが、「第1回おばこコンクール」の写真を見ると日本人の顔に見える。
男鹿半島は奈良時代に大陸にあった渤海と船で行き来していたので、白人の血が混ざったのでは無いかと番組では言っていた。
日本って単一民族って言われるが、実はいろいろな人種の血が混じっているのだと思っている。
アフリカは現在進行形で大地が裂けている土地で、はるかな昔、割れ始めた東側は乾燥していって木が枯れてゆき、樹上生活を送っていた猿たちは二足歩行をせざるを得なくなり人類の祖先が誕生し、世界中に移動していった。
そこが生活しやすいのであれば留まっておれば良い訳で、そう出来なかったから人は新しい土地を求めていく。
最終的にそれ以上行きようの無い、どん詰まりの極東の島にたどり着いてしまった。
こういう「どん詰まり」には昔の血が残りやすい。
弥生人に追われた縄文人の名残が島根とか能登半島とか東北に残っているのも、そこが当時のどん詰まりだったからだという説がある。
日本のような酸性の土壌ではないためにヨーロッパで発掘された骨の中に保存の良い核DNAが残っており、2010年にネアンデルタール人の全ゲノム解析が完了した。
その結果、日本人にはネアンデルタール人のDNAが他の国より多く残っている事が分かった。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=344019
https://readyfor.jp/projects/izumo17990/announcements/86380
ネアンデルタール人は滅亡したのではなく、現生人類の祖先と混血していったらしい。
そして極東のどん詰まりの日本に、その血の痕跡が残された。
ログインしてコメントを確認・投稿する