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2021年01月15日01:01

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仙台どんと祭を終えて

 仙台では、時計が廻り昨晩はどんと祭という、市民に根付いたお祭りがありました。
 我が家では、14日のどんと祭、15日の成人の日、そして16日は私の誕生日と、おめでたい行事が目白押しで続きました。

 さて、我が家では家業のため、店先にまといを飾っていました。
まといとは、ご存知のとおり火災が起きた時に火消し役が、消防団員を鼓舞するために振るうものです。
 これは全国的な風習なのか?わが町のみの習わしなのかは不明ですが、こういったある意味:縁起物の物販には、神農やテキ屋と呼ばれる人々が関わっていました。
 一般人から見れば、やくざな家業です。
 しかし、それではフーテンの寅さんは、暴力団員でしょうか?
やくざな家業は営んでいても、妹思いの優しい男です。たまに喧嘩するのは、タコ社長くらいです。だから、やくざと暴力団員は別物です。
 
 この仕組みと似ていて、テキ屋家業の人々は、暴力団員とは【似て非なる存在】なのでした。今の言葉で言えば【グレーゾーンの必要悪】でしょうか?!

 前置きが長くなりました。我が家、我が店に飾ってあったまといは、大人の身長くらいの大きなものでした。
 そして値段も、ひとつ約10万円もしたそうです。
それを、近所の大崎八幡神社の精霊なるお焚き上げの炎の中に投下するのです。
 
 この姿が、いつしか凛々しい、と判断されたのか、毎年NHKをはじめ、民放各局から取材を受けることになりました。さらにこの行事は長く続きました。

 親方である父が先頭をきり、一番弟子、二番弟子、私、以下従業員や野次馬でついて来た私の友人たち。総勢20人くらいの大所帯で、ひとつのまといを炎に投下する様は圧巻でした。
 これらの映像は、毎年のように全国各地に中継されていたそうです。
よく埼玉の従兄弟や遠方の友人から、「またお前、今年も派手にテレビに映っていたぞ!」と電話をもらったものでした。笑

 父をはじめ私たちは「若貴寿司」と店名の入った袢纏を着て行っていたものですから、宣伝効果にもつながりました。

 私が少し大人になってから、「どうしてあんなに高価なまといを、躊躇なく焼いたのか?」と父に問うてみました。
 すると、「まといを店に置くことで、店の家内安全が保たれていたのだ。まといを扱っていた人たちは?どういう人だった?そう、まといを置くということは、不要なチンピラ連中を遠ざける【おまじない】だったのだよ。。。」と父は答えました。

 もっとわかりやすくとねだったところ、
 「まといを置いてあることで、うちの店が街の顔役の親分さんと、大なり小なりの付き合いがあることを、チンピラ連中に知らせるためさ」
 「街なかで飲食店を経営していると、暴力団:チンピラ:はねっ返り:ゆすり:たかりなどという、歓迎されざる連中に狙われる可能性があるのだ」
 「そういった無益な争いごとに巻き込まれないように、あのまといがひっそりと飾ってあり、強いては我が家の家内安全を守ってくれていたのだよ」
 と、教え諭してくれました。

 我が父が世の中で一番嫌った連中が、女子供を泣かせる男です。これは私も同意見。

 なるほどです。まとい=守り本尊だったのです。
 そして、そのまといに対して感謝する証が、あの大袈裟なくらいの八幡神社でのパフォーマンスだったのです。

 そして、あれから何年経っても、仙台どんと祭の夜には父から教えられた多くのことを思い浮かべるのです。
 そう言えば、父方も母方にも、両腕を後ろに縛れれるような人は誰もいません。
それは普通のことであり、私の誇りでもあります。
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