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2021年04月20日16:25

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有原航平という人

■有原航平、大谷ら封じ6回途中無失点で2勝目 中4日で2戦連続0封、防御率2.21
(ベースボールキング - 04月20日 14:14)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=212&from=diary&id=6490599

有原 航平(ありはら こうへい、1992年8月11日 - )は、広島県広島市佐伯区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのテキサス・レンジャーズ所属。

プロ入り前
彩が丘小学校2年生の時に「河内少年野球クラブ」に入団、当時から投手を務めた。三和中学校では軟式野球部に所属した。

広陵高校では2年生時の春にベンチ入りし、秋にエースになった。3年生の時、選抜高校野球では4試合に先発登板、計33回2/3を投げ被安打26、奪三振37、失点18(自責点9)、防御率2.41の成績で、チームはベスト4入り。日大三高との準決勝は8回までリードしていたが、雨が降る中、バントの打球を一塁へ悪送球し、その間に走者が生還して同点にされるとその後も6点を奪われ逆転された。右肘に違和感を覚えた影響で全国選手権・広島大会では登板を回避。全国大会2回戦(初戦)の聖光学院戦で先発登板、歳内宏明との投げあいで8回を投げ自身の暴投による1失点のみの好投もチームは敗れた。

早稲田大学では1年生の時の春季リーグの開幕2戦目で初登板。2年生時、チームが優勝した全日本大学野球選手権では抑え投手としてコールド勝ちした初戦を除く3試合の9回に登板し無失点だった。3年生時の秋季リーグで8試合50.1回を投げ防御率0.72で、東京六大学野球リーグの最優秀防御率のタイトルを獲得し、4年生時の春にはベストナイン(投手)に選ばれた。6月に第27回ハーレムベースボールウィークの大学日本代表の候補に選ばれ選考合宿に参加したが、最終メンバーには選ばれなかった。秋季リーグでは開幕前に右肘に違和感を覚え開幕戦での先発を回避したが、シーズン中に復帰登板を果たした。大学通算成績は62試合271回を投げ19勝12敗、210奪三振、防御率2.72。2014年10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズ、広島東洋カープ、阪神タイガース、北海道日本ハムファイターズから1位指名を受け、抽選の結果、日本ハムが有原の交渉権を獲得した。契約金1億円、年俸1,500万円プラス出来高払い5,000万円(金額は推定)で合意し入団、背番号も16に決まった。早稲田大学の同級生である中村奨吾も同じく1位指名され、千葉ロッテマリーンズに入団した。

日本ハム時代
2015年2月1日からの春季キャンプは右肘痛の影響もあり、二軍スタートとなった。キャンプ中ではトレーナーより調整は順調だとされ、3月22日にイースタン・リーグの埼玉西武ライオンズ戦でプロ初の実戦登板し、2番手で1回を投げ無安打無失点だった。5月15日に出場選手登録され、同日のオリックス・バファローズ戦で初登板初先発し、6回を投げ被安打4、奪三振4、与四死球2、2失点でパ・リーグの新人投手の中では一番乗りの初勝利を挙げた。9月5日の対オリックス戦では初完投・初完封勝利を挙げた。10月11日のクライマックスシリーズ・ファーストステージの千葉ロッテマリーンズ戦において、同点の7回に3番手でプロ入り後初のリリーフ登板し、2回を投げ無失点、8回裏にチームが勝ち越し試合に勝利したためポストシーズンでの初勝利を挙げた。しかし翌日の第3戦の6回に3番手で登板すると、2イニング目の7回にソロ本塁打を打たれて敗戦投手となり、チームはCS敗退となった。オフには背部膿瘍を切除する手術を受けた。この年、パ・リーグの最優秀新人に選出され、日本ハムでは2010年の榊原諒以来12人目の新人王となった。なお、パ・リーグ新人王を受賞した投手のなかで有原は過去最低の防御率4.79だった。

2016年6月14日の横浜DeNAベイスターズ戦に9番・投手で先発出場し9回を投げ被安打5、奪三振9、与四死球0、失点0で完封勝利を挙げたが、入団から2年連続での無四球での完封勝利を挙げたのは球団で初のことだった。 また、7月には3勝1敗、防御率1.47を記録し、初めての月間MVPを受賞するなどして、チーム最多の11勝(9敗)、防御率2.94の成績を残した。チームで唯一の規定投手でもあり、チームの優勝と日本一に貢献した。

2017年3月31日の開幕戦にプロ入り初の開幕投手として登板したが5回6失点で負け投手、その後も4月は4試合に投げ0勝3敗と苦しいスタートとなったが、5月に3勝1敗、6月も2勝0敗と巻き返す。しかし夏以降も波に乗り切れず、10月の最終登板までに辛うじて2年連続の二桁勝利は記録したがリーグワーストの13敗を喫するなど好不調の波が激しいシーズンとなった。

2018年2月のアリゾナキャンプにて右肩の炎症で別メニューになり出遅れ、一軍初登板は4月14日となったが8回1失点で初勝利。その後も5試合を4勝1敗と幸先の良いスタートを切ったが5月19日、6回5失点で二敗目を喫すると、次の試合でも5回を8失点で降板し、5月29日に二軍落ちとなつた。交流戦が始まるとリリーフの再編でプロ入り初の抑えに回り。、6月13日の阪神戦でプロ初セーブを挙げる。次の試合でも連続セーブを挙げたが、不安定な投球もあり6月29日に再び一軍登録抹消。7月9日に再び一軍登録、先発ローテーションに復帰すると4試合に登板し3勝0敗、防御率1.52の好成績で月間MVPを受賞。しかし8月以降は成績が安定せず、9月17日には3度目の二軍落ちとなった。以降はコンディション不良もあって一軍登板が無く、2年続いていた2桁勝利が途絶えた。

2019年3、4月の間に4勝、防御率0.51を記録し月間MVPを受賞するなど、安定したピッチングを続けた。最終的にはチーム唯一の規定投手となり、リーグ2位の防御率2.46に、自己最多の15勝を挙げて自身初の最多勝利のタイトルを獲得した。契約更改の際に、翌シーズンオフにポスティングシステムを利用したMLBへの移籍を希望している意向を明かした。

2020年2月21日に自身2度目となる開幕投手を務めることが発表され、「結果で恩返ししたい」とコメントした。3月18日に1歳上の一般女性と結婚したことが発表された。シーズンでは8勝9敗、防御率3.46の成績を記録した。オフにポスティングシステムを利用してのMLB挑戦を希望し、球団から承認された。

レンジャーズ時代
2020年12月25日にテキサス・レンジャーズと2年総額620万ドルの契約を結んだことが発表され、翌日に正式発表された。年俸の内訳は2021年が260万ドル、2022年が360万ドルとなる。背番号は35。

4月3日の対カンザスシティ・ロイヤルズ戦で初先発登板でメジャーデビューを果たし、1点リードのまま5回6安打3失点で降板。勝利投手の権利を手にしていたが、リリーフ陣が打ち込まれて、初勝利とはならなかったが、4月14日の対タンパベイ・レイズ戦では5回2/3を無失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた。
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