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2021年03月02日16:37

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フランス元大統領のニコラ・サルコジ

■サルコジ元仏大統領に実刑判決 捜査情報めぐる汚職の罪
(朝日新聞デジタル - 03月01日 23:28)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6430307

ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ(フランス語:Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa、1955年1月28日 - )は、2007年5月16日から2012年5月15日まで、第23代フランス大統領とアンドラ共同大公(Co-Prince of Andorra)を務めたフランスの元政治家である。パリで生まれ、ハンガリー系プロテスタントのハーフ、ギリシャ系ユダヤ人のクォーター、フランス系カトリックのクォーターである。1983年から2002年までヌイイ=シュル=セーヌ市長を務め、フランソワ・ミッテランの2期目には、エドゥアール・バラデュール首相(1993年〜1995年)の下で予算大臣を務めた。ジャック・シラクの2期目の大統領時代には、内務大臣と財務大臣を務めた。2004年から2007年まで国民運動連合党の党首を務めた。

2007年フランス大統領選挙では、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルに53.1%対46.9%で勝利した。在任中、2007年から2008年にかけての金融危機(景気後退、欧州債務危機)、南オセチア紛争(サルコジが停戦交渉した)、アラブの春(特にチュニジア、リビア、シリア)に直面した。フランスの大学改革、年金改革を主導した。2008年、イタリア系フランス人シンガーソングライターのカーラ・ブルーニとパリのエリゼ宮殿で結婚した。

2012年の選挙では、社会党のフランソワ・オランドが3.2%の差でサルコジを破った。大統領職を退いたサルコジは、2014年に公職を引退して復帰することを誓い、その後UMP(2015年に共和党に改称)の党首として再選された。2016年の共和党大統領選で敗れ、公職を引退。サルコジは、特に2007年のフランス選挙におけるリビアの干渉疑惑に関する2つの事件で、フランスの検察官によって汚職で起訴された。2021年、サルコジ氏と2人の共同被告人が裁判にかけられ、有罪判決を受け、実刑判決を受けた。

生い立ち
1955年1月28日にパリに誕生する。子供時代をパリ17区、次いでヌイイ=シュル=セーヌで過ごす。父方はハンガリー・アラッチャーンのプロテスタントの下級貴族の家系。父のナジボーチャイ・シャールケジ・パール、1928年5月5日 は、ソビエト連邦軍に占領された祖国を逃れ、フランス軍占領下のドイツに渡り、そこでフランス外人部隊の兵士となる。新兵教育を受けるも不適格とされ、1948年にマルセイユで除隊。名前をフランス風にポール・サルコジ・ド・ナジ=ボクサと改名した。広告業者となった父ポールは1949年、パリ17区の医師の娘で、法学部の学生だったアンドレ・マラー(1925年10月12日 - 2017年)と出会い結婚した。母方は、テッサロニキ出身のギリシア系ユダヤ人で、祖父の代にカトリックへ改宗している。

ニコラ・サルコジが5歳の時、父のポールが妻とニコラら3人の息子を見捨てて離婚した。後に他の女性と2回再婚している。ニコラは母と母方の祖父に育てられ、貧しい少年時代を送る。母のアンドレは苦しい家計を支えるため、勉学を再開して弁護士となった。ニコラは「この頃の屈辱が自分の人格形成に最も大きく影響した」と述べている。ニコラの兄ギヨーム・サルコジ(1951年6月18日 - )は繊維会社の社長で、フランス経団連の副会長も務めた。弟のフランソワ・サルコジ(1958年6月3日 - )は、小児科医を経て生物学者となっている。いずれも優等生だった兄弟とは対照的に、ニコラの中学・高校の成績は芳しくなく、日本の中学1年生に当たる6年生のときに英語の成績が悪く留年している。また腹違いの弟でアメリカ人銀行家のオリヴィエも優秀で、カーライル・グループのディレクターとして活躍している(彼が2015年に再婚した妻は、元人気子役で現在はデザイナーに転身した富豪のオルセン姉妹のメアリー=ケイトである)。

大統領
2007年、フランス大統領選挙に立候補。保守層や勤労世帯を中心に支持を集め、同年5月6日の決選投票で社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルを下し、大統領に当選する。同月16日、第23代大統領に就任。大統領に当選直後、地中海に自家用ジェット機とマルタの豪華ヨット(全長60メートル、推定賃料週20万ユーロ=約3,240万円)でクルージングし、野党からはあまりに豪華すぎると批判された。これに対し彼は「何が問題か。私は逃げも隠れも謝りもしない」と反論した。

上記の豪遊では批判されるも、旧植民地マグレブ出身の法務職員であったラシダ・ダティの法相への抜擢や、セネガル出身の黒人女性の副官房長への抜擢、野党である社会党出身の政治家の大臣への登用(エリック・ベッソン、ベルナール・クシュネル)など、これまでのフランスでは考えられなかった画期的な人事を行った。法務省では次官級の幹部が総辞職してこれの妨害に動くという事態となったが、閉鎖的なフランス国内に風穴を開ける革命的なことであると北米のメディアに評されている。国民からの支持率も高く、70%台を記録した。2007年6月に行われたフランスの国民議会選挙では彼の率いる与党・国民運動連合が地滑り的勝利を収め、日本の週刊誌エコノミストはフランス版小泉純一郎と彼を評した。

同年10月、フランス大統領府はサルコジの給与を現状の2倍以上に引き上げる意向を示した。与党・国民運動連合は「大統領であるのにほかの閣僚よりも給与の額が低いから」と説明したが、折りしもサルコジの改革に対して野党・国民から批判が高まりつつある時期の給与増額は波紋を呼んだ。野党社会党のビアンコ議員は「多くの国民が月末に出費をやりくりしているご時世にいかがなものか」と批判した。

2012年フランス大統領選挙に立候補したが、決選投票で社会党のフランソワ・オランドの前に敗北を喫し、2012年5月15日をもって第23代大統領を退任した。

大統領退任後
大統領退任後は政界から離れ、国際会議へ出席し、家族との時間を増やすなど悠々自適の生活を送る一方で、2017年に行われる大統領選挙への出馬を示唆するなど復帰への意欲は隠さなかった。

2013年3月21日、2007年の大統領選挙の時に女性富豪から違法に献金を受け取っていたとされる疑惑で、ボルドーの捜査当局はサルコジを刑事訴追した。また2014年7月1日、不正事件の捜査に絡み、フランスの司法当局が事情聴取のために身柄を拘束されている。

2014年9月19日には政界復帰を宣言し、11月29日には国民運動連合総裁に選出。翌2015年3月29日に執行された県議会選挙の決選投票では、サルコジ率いるUMPを含む右派連合が大勝した。しかし、2016年2月16日には検察当局が2012年大統領選挙における不正会計疑惑のサルコジに対する捜査を開始すると発表し、大統領再選の戦略に暗雲が立ち込めると予測された[7]。それでも7月2日にはUMPから改名した共和党の総裁を辞任すると表明したことは、大統領選挙への準備のためとも言われた。

2016年8月22日には正式に2017年大統領選挙立候補を表明。右派陣営の候補者を目指したが、11月20日に行われた予備選挙の第1回投票では3位となり、決選投票に残ることはできなかった。サルコジは1位となったフランソワ・フィヨン元首相の支持を表明したうえで、政界からの引退を表明した。2019年10月21日に迎賓館赤坂離宮で安倍晋三内閣総理大臣と会談を行い、翌22日の即位礼正殿の儀に参列した。

疑惑と裁判
2007年フランス大統領選挙で、リビアのカダフィ大佐から5,000万ユーロに及ぶ違法な政治献金を受けた疑いが浮上。2018年3月20日、身柄を拘束されパリ郊外の警察施設で事情聴取を受けた。聴取後に釈放されたが、3月21日に汚職、違法な選挙資金調達、リビアからの公金の隠匿の容疑で訴追された。2012年フランス大統領選挙において、サルコジ陣営が広告代理店を通じて不正会計処理を行い、選挙活動費の法定上限を回避した疑惑が持ち上がった。複数の代理店社員やサルコジ陣営の幹部は、詐欺行為があったことを認めており、サルコジ自身も裁判にかけられる可能性が出ている。2021年3月1日、フランスの裁判所は、サルコジが選挙費用の捜査を担当した判事に対し、モナコでの上級職へのあっせんを働きかけたとして禁錮3年の有罪判決(2年の執行猶予と1年の自宅待機で収監されないもの)を言い渡した。サルコジは上訴の意向を示した
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