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2020年02月19日00:37

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ガキ

ふと思った
世の中には「強靭なガキ」と「脆弱なガキ」の二種類の人間しかいないのでは
ないだろうか
法律と社会規範を合わせて考えるに、
男は誠実に付き合う女以外とは性交をしてはいけないということになっている
未成年は一人前になるまでの性交は社会通念や条例が許さない
青年期以降も結婚を前提とした誠実な恋愛以外は社会通念が許さない
結婚してからの不倫は社会通念と法律が許さない
もちろん多重婚は法律が許さない

話は変わるがリバイアサンには、万人は万人と闘争関係にあると書かれている
俺も原初的には同意している
万人が万人と実際には喧嘩していない「現実」を見ると、
「強靭なガキ」と「脆弱なガキ」は各々の内部にわきおこるさまざまな思いを
軽はずみに他人にぶつけるという選択をしていないことが観測される
法律や社会規範が万人に対する闘争を抑止しているからなのだろうか?

自分に置き換えて考えると、過去から現在にかけてずっと「脆弱なガキ」であ
る自分が、自分より強い他人に宣戦布告してもコテンパンにやられて大怪我を
することが容易に想像つくからなのか?

だがそれは少し違うと思う
暴力をふるおうと思えば暴力をふるえる他人だって本気で探せば見つかる
でも多くの人はそれをしない
「脆弱なガキ」の中には、自分よりさらに「脆弱なガキ」を見つけて
暴力を行使するガキがいることが観測される。
あえて暴力を行使しないガキももちろん存在し、俺の経験では後者の方が
多数派と思われる

人はたぶん例外なく他人に必要とされることに成功しないと生きていけない
「脆弱なガキ」が他人に必要とされることは多くの場合不可能
ラグビー日本代表選手のような神がかったレベルで強靭になる必要はないと
思うが、他人から必要とされるハードルはよく言われているように低くない
子供や若者は男女問わず「勝手に」魅力的だ
ヒトという生き物がそういう作りになっているからだと思う
しかし歳をとると魅力は「勝手に」揮発する
他人に必要とされるために若さばかりに頼っていたら強靭さは培われない
「大人」たちが子供や若者をこのようなことを指導教育するのが筋だとおもう
必要なことは勉強することではなく強靭になることだと思う
なるべきものは「オトナ」ではなく強靭な人間でそもそも「オトナ」なんて言葉
はだれも定義できないと思う
女にも男同様の性欲がある。若者同士が相互承認のもとにお互いの肉体を
犯させることを「オトナ」に禁止する権利はないと思う
ただし、妊娠を伴ってしまったら異次元の責任が発生する
この異次元の責任に対しする正確な認識を「大人」は未成年に対して指導する
責任があると思う
ただの嫉妬や利己的な欲望で「オトナ」が若者の性に干渉することは悪であり、
責任に対する正確な指導をすることは善なのだと思う

ここまで「オトナ」という言葉をあいまいに使っておきながら
世の中には「オトナ」が不在であると乱暴な定義をする
言い方を変えると、世の中の人間はみな「強靭なガキ」か「脆弱なガキ」のいず
れか一方と「定義」する
「強靭なガキ」とは社会契約を超越して君臨するガキか、
社会契約に則りつつ君臨するガキのいずれかであると定義する
社会契約に則るとはつまり、社会と人間との間で取り交わされているすべての
明示的あるいは暗示的な規範を遵守しときに規範づくりに加担しながら社会との
折り合いを保ちながら我欲を最大限充足することに成功しているガキである
社会契約を超越して君臨するガキとは独裁者のことである
ただし、中世の王であれ貴族であれ、大衆からの信任があってはじめて独裁者
として君臨できる場合がほとんどであるが
「脆弱なガキ」とは「強靭なガキ」以外すべての人である
強靭と脆弱の線引きはあいまいでありかつ主観的かつ相対的さらには流動的である
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