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2019年04月21日10:27

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凡才にとってのアートの位置づけ

最近のアメリカのラップ系PVの中で見られるおチャラけたノリに、
日本のバカッターやおバカ日本地図のような「幼稚さ」を感じることがある。
それがもしかしたら最先端で普遍的なアートの1ジャンルなのかもしれないが(ダダイズムのような)、オイラには最先端でイケてるモダンアートなのか、ただの「幼稚な悪乗り」なだけなのか判別はつかない。
オイラがガキの頃はオイラが「幼稚な」ガキだったからかもしれないが、USAでヒットしてる流行曲のPVは何もかもキラキラ輝いて見えて、JPOPなんてしょせんUSAやUKの2番煎じに過ぎないのでとにかくカッケーってなってた。
審美眼なんてもんはガキの頃のオイラには培われてなくて、

「今まで聞いたこともない(まったく既視感がない)UKやUSA発信の最先端映像や音楽 」
= かっこいい!

ってなってただけなのかもしれない。
多少歳をとった現在、USAやUKの最先端映像や音楽がなぜかキラキラ輝いて見えなくなったのはなんでなんだろう?
文字通り衰えたからか?
オイラの感性なんて衰える前に、若い頃から無いわけで衰えようはないのだがwww

人種や国籍に関係なく、若者の歌やダンスや演奏パフォーマンスは、身体的に美しい若者が肌を露出して、ピチピチのお肌を誇示して、さらに孔雀の様に派手で奇抜な服やお化粧をして男女にかかわらずその強烈な「美」をアピールしながら「演出」をしている。
そして、その「演出」はとりあえず、今までどこにもなかった新しいスタイルである。
思春期のガキはちょっと年上のお兄さんやお姉さんが、若く美しい身体と歌声と演奏パフォーマンスをこれ見よがしに「レバリッジ」を利かせまくってoutputしている映像と音響に「かっけー」ってなってしまっていたのかもしれない。

もうひとつは、日本人にとってUSAやUKは「世界一ナウい」という先入観があって、この先入観が後光効果となって、「人生経験と感性に乏しく先入観に完全に判断力を奪われていた若輩でおバカなオイラ」にはキラキラ輝いて見えたのかもしれない。

話は戻るが、最近のUSAのヒット曲のPVを見てると、若輩者の時のようにキラキラ輝いて見えない。
これは、人生経験が、初めから持ち合わせていない感性を補ったことによって、彼らの「若さと認知バイアスに存分に頼ってレバリッジを利かせまくった過剰演出」が、韓国などの軍隊張りに訓練されたダンスに比肩されるようになって認知バイアスも陰りをみせつつあるた事情ともあわさって生じたのだろうか?(韓国の軍隊張りのダンスはオリジナリティは潔く放棄してるけどwww ていうか「ビジネス」ではなく「アート」で考えたら、「オリジナリティ」の方こそが意味を持つと思うのだがw)

いつの時代も年寄は若者の悪ノリや幼稚さや若さ頼みの強引さに対して「最近の若者は・・・」の下りで冷ややかだが、現在の「老人」たちがガキの頃からすでに存在していたエレキギターも、それが世に出て奏者がもてはやされるようになったころ、その時代にすでに「老人」だった人生のパイセンたちは「ロックだのフォークソングなどクラシック音楽への造詣をまだ持ち合わせてないか、挫折した落伍者(ヨシキのような)が大人の目を盗んでノイズ遊びしてるだけの悪乗り愚連隊やんけ」って思ってたのかもしれない。そのクラシック音楽や歌舞伎などもこれらの萌芽期にすでに「老人」だった人生のパイセンたちからは退廃的な道楽のように見られていたわけだし。

見方を変えると、ゴッホやピカソの絵と、精神病患者が精神科医の前で描かされるロールシャッハテストの絵の違いを、「感性ゼロ」のオイラには見分けを付けることはできない。

アートなんて、凡才のガキや凡才の老害にとっては、しょせん性衝動発揚、異性の前で格好つける小道具、あるいは自分の社会的権威を誇示するための装飾品くらいの意味しかないというのが、凡才にとっての「アート」の位置づけなんじゃないだろうかなどと言ってみる。 
よくわかんないけど。



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