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2018年12月14日11:26

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魔界ラジオ【治療家になった話】

魔界ラジオ 2001年8月25日収録
【悪魔が白衣の道を選んだわけ(1)】

σ󾠅リスナーから
『この職業を選ん
だ理由って何?』

󾆸󾭝昔の話にゃ…

󾠅僕がまだ中学生
くらいだった頃…
父親が治療家で、
その日はたまたま
外出していたため
僕は一人院内で、
留守番をしていた

󾆸電話が鳴ったの

󾔣『うちの主人が
ギックリ腰で治療
して貰えますか』

󾠅父親は17時には
帰ると言ってた。
そこで17時30分に
診察予定を入れた

(17時を過ぎたが…)

󾭜󾆸帰って来ない
けどどうするにゃ

󾠅󾭛僕は必至に、
ギックリ腰関連の
本を読みあさった

󾆸󾭛患者来たにゃ

󾠅奥様に肩を借り
ながら車から這い
出る患者。反対側
の肩を支えて院内
に入れ応急処置を
開始する事にした

󾆸󾭛まだ無理にゃ

σ󾠅待たせる余裕
なんて無かった。
患者は一秒も早く
治して欲しいのだ


【悪魔が白衣の道を選んだわけ(2)】

󾠅読みあさった本
の中で、素人でも
簡単に出来る事を
いくつか試した。
あくまで時間稼ぎ
父親が帰ってくる
のを願っての事だ

󾆸効果有ったの?

σ󾠅最後にゴムの
バンドを腰回りに
巻く方法があった
…これでダメなら
平謝りするしか。
次の瞬間、患者が

󾌣『あの…トイレ
を貸して下さい』

󾠅󾭛肩を貸します

󾌣さっきより痛み
が引いたので一人
でも歩けそうです

󾆸󾭛本当に歩いて
トイレしてるにゃ

󾠅󾭛僕も驚いたよ
立てなかった人が
痛いながらも歩く
姿は感動的だった

󾆸それがキッカケ
になった訳にゃ?

󾠅後で帰ってきた
父親に報告したら
ひどく怒られたよ
『無免許で患者に
触るんじゃない』
…くやしくて後で
泣いた。悪い事を
してないのにって

󾆸免許さえあれば
処置出来たのにゃ

󾠅最初のキッカケ
は多分それかな…

󾆸󾭝なるほどにゃ

σ󾠅人を治す感動
が嬉しかったのさ

󾆸今でも天職なの


φ(゚Д゚ )フムフム…これまで何度となく、語り継いだ話なのですが、
初めての治療は、やむを得ない状況でした。いつものように留守番を
任されて電話が掛かってきたらポケベルで呼び出し、父親に連絡。
何時に患者が来るかを伝えれば、無事にお役御免となるはずでした。

その日、父親の帰りが遅かった要因として、ポケベルを忘れたまま
外出してしまったのが、後になって判明したのです。

ギックリ腰の患者さん、名前や連絡先を聞くのを忘れてましたが
予定さえ間違わなければ、後は父親が治療して終わり。だったのに。
…まずは短縮ダイアルで父親のポケベルに連絡をしてみましたが、

いつまで待っても連絡が来ません。再度ポケベルを鳴らしてみました。
すると部屋の方からピーピーと着信音が鳴るではありませんか。
(…ポケベルを持って行ってない!?)

ポケベルが鳴らなければ、父親から積極的に連絡が入る事も無く、
案の定、帰る時間帯を過ぎても連絡一つ来ないまま、予定時刻が近づいてきました。

このままでは応急処置すら出来ないと考え、治療所の本棚から
ギックリ腰関連の本を2−3冊開いて、何か簡単な処置ができないかと
必死に読み漁りました。一通り読み終わる頃には、患者が到着。


φ(゚Д゚ )フムフム…重症度合いが最も悪い、『一人で歩けないレベル』の患者が
奥様に肩を貸してもらいつつ、一歩ずつ車から歩いてくるのを手伝いつつ、
『親父が帰ってくるまでの間、応急処置しますのでベッドへどうぞ…』
と、時間稼ぎをする事に。

治療機器の使い方は、子供の頃から見慣れたもので、スイッチを入れることで
光線を当てたり、ツボを押さえたりと見よう見まねで、ひたすら時間が経つのを
待ち続けました。 …1時間経過しても、親父は帰って来ませんでした。

もう手だてが無くなり、これ以上は待たせられないなと諦めかけた頃、
骨盤周りにゴムチューブを巻く方法が本に書いてあったのを思い出しました。

(これでダメなら、平謝りして後日また治療に来てもらおう…)
籠の中に入っていたゴムチューブ、圧力をかけながら柔道の帯のように
骨盤をグルグルと周回させ、ヘソのあたりで縛って終了。


『トイレに行きたいので借りていいですか?』と患者が。
ああ、肩を貸して欲しいのだなと近づくと、なんと1人で立ち上がりました。

『…痛くないですか?』と問いかけると
『来た時よりは、楽になったみたいです。まだ少し痛いですけど、歩けそうです』

内心、ドキドキしながら見守っていましたが、患者は1人で用を足して戻ってきました。


『本日は親父が予定時刻までに帰ってこなくて申し訳ありませんでした。
治療費は応急処置しか出来なかったので結構です。ゴムチューブも
貸し出ししますので、また後日、親父が居る時に改めて治療を受けて下さい。』


…その後、1時間ほどして親父が帰ってきたので、やむを得ず応急処置した事を
報告した。 親父の表情は、けわしい物だった。
『何で患者を治療したんだ!? もし医療事故でも起こしたら大変なんだぞ!!』

悪い事だとは思ってても、仕方がない状況だった。目の前の患者を無下に追い返す
なんて出来なかったし、緊急事態だから…と、悔し涙を浮かべながら叱責された。

『予定の時間に返って来なかった、アンタが悪いんじゃない?』
と、助け船を出したのは母親だった。
『ポケベルは持って行かなかった、定時連絡の一つも寄こさなかった、
どれか一つでもやっていたら、息子はヘルプを出すことが出来たんじゃない?』

父親は、ぐうの音も出せなかった。自分の責任を棚上げにして怒っていたのだから。

『事情がどうであれ、結果的に患者を治療して、結果良くして返せたんだから、
褒めることはあっても、叱ることは出来ないわ』
と、僕の代わりに母親が父親に反論し始めた。


父も、反省したのだろう。ほとぼりが冷めたころ、僕に謝ってくれた。
『…だが、俺も遊びで治療をやってるんじゃないのは分かってくれるよな?
もしもまた、似たような事が起きたら、親父は居ませんって断るんだぞ』

そして僕に、小遣いを渡した。
『お前も良く、頑張ったな』と、にっこり微笑んだ。



φ(゚Д゚ )フムフム…かくして、幼少期?の思い出を引きずりつつ、高校生になった頃
大学の受験先を決める際に、父親がパンフレットを見せてくれた。

『人の治療をする道も、あるんだぞ』
柔道整復師の専門学校と書いてある。どんな資格が取れるのか、まだ知らなかった。

『…この資格を取ったら、人を触って(治療して)も良いのか?』
二つ返事で、父はうなずいた。

『僕が小さかった頃、免許も無いのに患者を応急処置して、怒られた事覚えてる?』
『さぁ、どうだったかな…』と、どこか遠くを見つめていた。


もしも治療の神様が居たとしたら、幼かった僕に、一度だけ力を貸してくれたに違いない。

親父が触って治したのではなく、自分の手で、患者を立ち上がらせることが出来た奇跡。


もしかすると、その頃から将来は決まっていたのかもしれない。
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