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日記一覧

 最後に、いはゆるプロパーの英語学者ではない学者への影響として、中部大学の三浦陽一教授の例を挙げる。三浦教授は政治思想史専攻で、米国の大学への留学経験があり、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)の共訳者でもある。この三浦教授が、自

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7B さてもう一人は小樽商科大学に在籍してゐた高橋英光といふ人の1984年の論考である(調べてみると、この人は現在、北海道大学の教授になつてゐるやうである)。「複文の認識構造について その1」と題されたこの論文は、宮下の理論を全面的に肯定した上で

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7(終りに) 英語学会では黙殺された宮下の理論だが、筆者の管見の範囲内で、二人の英語学者が宮下、およびその理論に言及してゐる。 ひとりは東京家政大学の小川明といふ人で、1990年(平成2年)の「東京家政大学研究紀要 第30集(1)」に、「宮下

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            6(承前) ともあれ、単位の表現であるといふだけでは、英語の冠詞を十分に解明したことにはならない。むしろここからが本番である。 「3節 語の内容が語の性格を決定する」は、抽象名詞、物質名詞、固有名詞が複数形や冠詞を取

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6 4章 「ever」と5章「不特定代名詞とeverとの複合代名詞」は、代名詞論の各論と見ていいので、ここでは省略する。 最後の6章「冠詞」に入る。 「冠詞は内容が極めて抽象的であり、かつその現象が極めて多様であるために、その本質がつかみにく

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       5C 言語は認識を直接の基盤とするから、当然この人間精神のあり方を反映するが、反映の仕方はさまざまである。今日われわれが個々の言語とみなす、日本語、英語、ドイツ語・・・それぞれに、特有の癖(見方)があり、その言語の話し手である

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        5B 三浦の『弁証法はどういう科学か』(1968年改訂版、講談社現代新書)から例を引かう。三浦は根本進の新聞マンガ「クリちゃん」の一枚を掲げる。クリちやんが苗に水をやつてゐる場面で、クリちやんの頭の上には吹き出しがあり、中で

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5A『英語文法批判』3章は「代名詞」である。本文の約半分を占めるこの章をうまく要約できる自信は、筆者にはない。本当に重要なのは、宮下の考への基礎をなす三浦つとむの認識論なので、その概要を記し、英語の代名詞論についてはごく簡単に説明するこ

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4『英語文法批判』2章は「名詞と形容詞」である。  「言語の内容とは対象――認識――表現といふ過程的構造であるから,名詞と形容詞との差別の根拠も,この過程的構造の中に求めねばならない。目の前にあるリンゴを ’a red apple’ と表現した時,話

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    3(承前) 宮下の論述は、「2節 固有名詞の普通名詞への転化」において切れ味を増す。ここが固有名詞論の白眉である。彼はまづ、イェスペルセンの説を紹介する。  「実際に理解される固有名が多くの属性を内包していなかったとしたら,われわれ

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3 本論は、イェスペルセンの説を受けた著者独自の理論の展開である。「1章 固有名詞 1節 固有名詞の本質」では、固有名詞の本質を明かにしようとする。まづ、イェスペルセンの『文法の原理』におけるジョン・スチュワート・ミルの説とそれに対す

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  2 『英語文法批判』は序論、本論より成り、本文は全246頁。ほかに「はしがき」、「目次」、「索引」。以下に簡略な目次を示す。 序論 イェスペルセンの歴史的課題と言語観    はじめに――41章 イェスペルセンの歴史的課題――72章 イェス

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宮下眞二 『英語文法批判』(1982年4月10日 日本翻訳家養成センター刊)                1 本書を通読するのは、おそらく3回目である。刊行後32年で3回。そして今回やうやく、本書を少し理解できたやうな気がする。よつてやや長めの文章

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