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2014年12月19日04:55

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宮下眞二 『英語文法批判』 (XII) 7B

7B
 さてもう一人は小樽商科大学に在籍してゐた高橋英光といふ人の1984年の論考である(調べてみると、この人は現在、北海道大学の教授になつてゐるやうである)。「複文の認識構造について その1」と題されたこの論文は、宮下の理論を全面的に肯定した上で、欧米の理論を批判してゐる。

 高橋は序文でかう述べる。

   「この論文は `I think that she is honest'のような英語の複文についての研究であり1章ではBolinger (1972)の That’s that, II章ではKiparskys (1971) の "Fact" そして皿章ではHooper (1975) の "On assertive predicates" がそれぞれ取り上げられている。
   上記三論文が中心的に取り上げられているのは,これらが英語の複文に関る問題についての過去十余年の代表的研究であり, 多かれ少なかれその中で展開されている論点が他の, 特に日本の言語学者や英語学者に影響を与えていることもひとつの理由ではあるが, もっと重要な理由はこの三論文がいずれも言語にっいての核心的な問題に触れている上に, しかも明確な形で誤りを犯しているという点で批判的に扱うに価するだけの対象的客観性を持っていると思われるためであり, 検討を加えることによって複文の意味構造についての理解が深まると筆者が判断したためである。」

 高橋は、言語表現について以下のやうに正当な認識を示す。

   「言語表現は話し言葉であれ書き言葉であれ, 時間経過に沿った単語の連続体として我々に与えられる。しかし形式としては音声や文字の連続に過ぎない言語表現もその意味内容から見て行くならば, 文を構成する個々の単語の音韻に結びついた概念には抽象のレベルの違いがあるから, 文の意味内容は立体的なものとなることを我々は経験的に知っている。今食卓の上に置かれている果物を`the strawberry' と呼ぶこともできれば `the fruit' と呼ぶこともできる。目の前の橿の中に閉じ込められている動物を`the bear' と呼ぶこともできれば `the animal' と呼ぶこともできるし `he' と言うこともできる。`You might need some help' のような陳述が表す内容を `that' とか `it'と捉えることもできる。文や文章においてこのように様々に抽象の度合の異なる語句を使うことによって,話し手は聞き手への思想の伝達を効果的に行なうのであり, ここには抽象の上下を行き来する人間の認識の運動が存在する。それ故, 言語のSyntaxを研究する際には, 文を構成する各語句間の抽象の度合いの問題を常に念頭に入れておかないととんだ理論的誤りを犯さないとも限らない。」

 高橋はBolinger の「接続詞」that に関する論文を批判的に検討した後、次のやうに述べる。

   「認識論的見地から「代名詞」`that' を検討した宮下真二は「接続詞」の `that' と呼ばれるものの本質を看破して次のように言った。

( `I know that you are just' の) `you are just' は或る事態を分析的に捉
た表現であるが,この事態を全体としてつまり一つの統一体として捉へること
も出来る。この統一体即ち実体を話手との関係に於て捉へたのが `that' である。
`that' と `you are just' とは同一の対象を一方は総合的に, 他方は分析的に表
現してゐるのである。何故このやうに同一の対象を二度,別の面から表現するか
といふと,`you are just' で表される事態が一つの全体であると同時に `I know'
が表現している対象と目的関係にあり, 両者が総合されて, もう一つの立体
的かつ総合的な全体を成して居り, この全体が (1) の文で表現されてゐるから
である。(1 )の文は `you are just' が文全体の一部である事を明確にするため
に, 同一の事態を一旦 `that' で大禰みにかつ抽象的に代名詞で表現して置い
て, 次に具体的かつ分析的に再表現してゐるのである。η」

 さらに、宮下が書いてゐるのではないかと錯覚してしまふやうな以下の論述を行ふ。

   「文章における思考の展蘭が認識の上り下りにおいてなされているのと同様, 一文においても特にそれが複雑な構造を持つ場合には, 各語句間で様々に抽象の度合いが異なっているのであり, ここにもやはり認識の上り下りが背後に存在する。`I thought that you might need some help' とか `Did you know that you had a flat?' と言う時の話し手の認識は `that' で高い抽象の段階へ一気に上って次に言う事柄を言わば点的に凝縮して表現し, それから抽象から具体へと下りているわけであって, `that' は話し手の認識による抽象化の産物であり意味の原型は, 従節すなわち文(、、)以外(、、、)の(、)所(、、、)には存在(、、、、)しない(、、、)。ところが見た目には `that' は二つの節の間をつないでいるし, 話し手によって意味が自覚されていない習慣的な語であるために従節と同じ内容を持つとはなかなか気付きにくい。ある語の抽象度が高い時, その意味を捉えづらいのは事実であるが,意味を持たないと考えるならばそれは誤りである。Jespersenは `that' が従節に結びつけて読まれることとアクセントが弱いという音調上の事実に引きづられて本来「代名詞」であったものが「接続詞」になったと考えた時, 事実上 `that' は意味を失ったと言うに等しいのである。Bolingerは `that '本来の指示代名詞的意味が一応残っていると有意味性を認めた点ではJespersenより前進しているが, deicticとかanaphoricというものの本質を十分に把握していないために`that' は「前方照応」と決めこみ8), Jespersenによって指摘された本来の「後方照応性」を正しく応用することができなかったのである。」

 以下、詳しくは述べないが、宮下の所論をほぼ全面的に肯定した上で、Bolingerの論文を批判し、以下のやうに結んでゐる。

   「事の本質とそれを囲む状況とを明確に区別しなかったために両者を取り違えたり或はすり替えて問題を論じてしまうという失敗は別に現代の言語学のみに限られたことではない。17世紀のヨーロッパの生物学ではウジは腐った肉から自然に湧いてくるというのが常識であって, ハエが腐った肉に卵を生みつけてウジが生じるとは考えなかった11)。つまりウジというものの発生の本質をハエの卵とは考えないで腐った肉という「状況」と取り違えたのである。`that' という形式の「発生」を究極的には話し手による対象の把握の仕方とは考えずに前方照応性とか既定性という状況から「湧いて出てくる」と言うのと似た発想をした20世紀の言語学者Bolinger が17世紀のヨーロッパ生物学と共通した論理的誤謬を再現しているのを見ると思わず苦笑せざるを得ない。」

 北大の高橋英光教授が同一人物だとすると、同氏はその後いはゆる認知言語学の立場から研究を進めたやうであり、ごく一部を調べた限りでは、以後の論文に宮下への言及はない。しかしこの論文は、宮下の論法を採用し、十分に咀嚼した上で、日本の研究者への影響が大きい欧米の学者の論文を批判したといふ意味で、画期的なものだつたと言へる。以て瞑すべしと言ふべきか。

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